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僕は、シバコウの顔をじっくりと見ていた。
シバコウは何食わぬ顔で、前の世界でもお気に入りだったという「さつまいもチップス」を食べ続けている。
チョコを出現させたシバコウの念とやらによって、さつまいもチップスの袋も勝手に僕のバッグの中に入っていた。
僕とシバコウは旧知の仲であった。
その点については、疑いの余地もない。
シバコウと僕のやり取りは、初対面のそれでは生み出せない重厚かつ軽妙なトークが完成されていると、自負しているし、自信もあった。
さて。
シバコウが繰り出した念については、どうだろうか。
まるで念のことなど知らない。
更に、このツンツン頭の淳ちゃんなる存在も、どう頭をこねくり回しても、些細な記憶すら、思い出せない。
「やっぱりこの味が一番じゃのう」
淳ちゃんこと伊藤淳は、シバコウや僕の家の近くに住んでいた。らしい。
「知らないよ?」
「まあ、大ちゃんは生前の記憶をほぼほぼ失っておるからのう」
バリバリ、バリバリと、さつまいもチップスを頬張る僅かな隙間だけで、シバコウは淳ちゃんの説明を雑に完結させていた。
ピンとは来ない。
ツンツン頭の淳ちゃんが口を大きく開けたまま、隣の席をちらりと、見る。
白いウサギが退屈そうな面持ちで座っていた。
「美味しいのう!」
語尾だけ声量を上げるシバコウの口を塞ぎながらも、僕はウサギの観察に徹する。
体毛が雪のように純白で、目は琥珀色だった。
「きなこちゃん、お久しぶりじゃのう!」
僕の手から解放されたシバコウの口が、白いウサギとの再会を喜んでいる。
「シバコウ、また会えて嬉しいなあ」
なぜかシバコウは一度、驚いたようにして、身を仰け反らせた。
機敏にシバコウが動いた反動により、さつまいもチップスが数枚、床に飛び散っている。
「ワシの名はシバコウかのう?」
途端にシバコウは記憶喪失になったかのような表情を浮かべていた。
「どうしたの。シバコウ?」
「いやいや。なんでもないんじゃ」
それからしばらくの間、シバコウときなこは互いの尻尾をクルクルと追いかけ続けていた。近くで観察すると、思ったより、きなこの体つきはしっかりしている。
「で、神になるって、どういうことだよ?」
淳ちゃんはシバコウときなこを交互に見ていた。僕もまた、淳ちゃんの視線を追う。
シバコウの挙動には、やや違和感があった。
淳ちゃんときなこ。双方ともに、シバコウとの会話が微妙に噛み合っていない。
「神になる。そのままの意味じゃよ」
せっかく綺麗に整頓したばかりの僕のバッグの中をかき乱すようにして、新たなさつ
まいもチップスの袋を、シバコウはせっせと盗み出そうとしている。
シバコウの念は、なぜか僕のバッグを必ず経由していた。尻尾をフリフリしている柴犬のケツを僕はパシッと叩くが、尻尾のフリフリがより強くなっただけだった。
「なんじゃ。淳ちゃんは、きなこちゃんとは知り合いではないのかのう?」
「シバコウ。少し、変わっているけど、そうなんだあ」
きなこがフワフワの耳を少し、左右に揺らした。
突然、シバコウが僕の机の上に勢いよく、飛び乗った。
四本足での着地だ。
後ろ足で器用に顔をひっかくその様は、完全にただの柴犬だ。
「やあ、淳ちゃん。きなこちゃん。神様界のプリンス・シバコウじゃ。またの名をジョセフ
ィーヌ。改めて、よろしくじゃ」
淳ちゃんが恐る恐るシバコウの前足と、握手しようとしている。
ただ淳ちゃんと握手する間、シバコウの目は終始、きなこに向けられていた。
「ジョセフィーヌなんて、別名はないはずだよ?」
小声で、僕は口を挟む。
「心機一転、ネームもチェンジじゃ」
「ジョセフィーヌの響き、私は好きだなあ。ずっとそれでいいと思うよ?」
「やめんかい、きなこちゃん。照れるじゃろう?」
前の世界でも、こんな風に柴犬とウサギが交流していたのかと思うと、ふと僕は涙が出そうになった。
その原因が僕自身、さっぱり分からなかった。
泣きたくなるほどの過去が以前に、あったのかな、と熟考するが、当然、記憶の欠片すらも思い出せやしなかった。
「シバコウとここのウサギは、ずっと昔から知り合いなのか?」
淳ちゃんは忙しなく、シバコウときなこを交互に見ていた。
明らかに淳ちゃんは、僕と同様、無知である。
だったらどうして、知り合いでもないウサギとこの学園に入学したのか。
「そうじゃ。きなこちゃんとはワシが淳ちゃんと知り合うずっと前からの付き合いなんじゃ。それはそうと、淳ちゃん。目上の方に、ここのウサギなんて呼ぶのはよくないぞい」
「ああ、悪い。悪い」
乾いた笑みを、きなこはずっと浮かべている。
「どうした、淳ちゃん。急に寂しそうな顔をしよって」
「ずっと淳ちゃんは、前の世界が心残りみたいで」
きなこは悲しそうな目をしながら、それでも楽しそうに前の世界について振り返っていった。シバコウも「あの時のご飯は最高じゃった」などと、主に食事の感想ばかりだが、それでも前の世界を回顧し、絶賛していた。淳ちゃんは聞き役に徹している。
全員が過去の記憶をそれなりに覚えている。
僕だけが、空っぽだ。
「よし。ワシは決めたぞ」
「急にどうしたんだ、シバコウ?」
淳ちゃんがモフモフの背中を撫でながら、尋ねる。
この時、教室の中は、祭りでもやっているのかというくらいには盛り上がっていた。
誰もが、近くの者に話しかけ、グループになり、雑談を繰り広げている。
「神様になってやりたいことを、全部やるんじゃよ」
なんとなく無理だろうなあ、と直感で、僕は思った。
でも、僕はシバコウの意志を尊重したかった。
シバコウには、恩がある。
「大ちゃんは、これからどうしたいんじゃ?」
首を伸ばして、シバコウが僕の顔を覗き込んできた。
「うーん。シバコウが神様になるのを応援しようかなあ」
本心ではない。
本当は一番に、失った記憶を取り戻したかった。
ただ、それはシバコウの応援をしながらでも実現可能であり、何より、シバコウは僕の知りたい過去の出来事を知る存在でもあった。
だったらシバコウの夢を叶えつつ、同時進行で僕のしたいこともしよう、と考えていた。
「ダメじゃ。己の未来は、己で決めるべきじゃ。ワシのために、とか言いながら、それは思考を放棄しとるだけじゃよ」
仏頂面になったシバコウが、何度か首を横に振っている。
きなこも急に顔つきが険しくなったような気がした。
「恩のあるシバコウを応援したいだけだってば」
「でも、あの日。結局、ワシは大ちゃんを助けられてはおらん。あれは、失敗じゃ。だから、ノーカウントじゃよ」
「それでも」
また僕とシバコウが口論になりかけた時、「なあ。どうして身近な知り合いばかりが同時期に、この学校に来たと思う?」と、淳ちゃんが誰にともなく、尋ねた。
「詳しい事情を知っているの?」
すぐに僕は、聞き返す。
だが、その時、ガラガラと音を立て、先生らしき人が入ってきて、それで淳ちゃんの質問は宙に浮いたまま、終わった。
きなこが顔を歪めたまま、ひどく悲しそうな視線を淳ちゃんに飛ばしている。
淳ちゃんの存在は、まるで覚えていなかった。
だけど、きなこの物憂げな顔つきを、僕は知っていた。
心の奥底で、何かがきらめいていた。




