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柴犬の名は、シバコウ。またの名を、ジョセフィーヌ  作者: 木村文彦


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 僕は、螺旋階段の途中で固まっていた。

 大神殿の玄関は広く、こちらも床には、滑らかな黒い大理石が敷き詰められている。

 その玄関には今、明らかに戸惑った表情を見せた青梶がいて、自らを「ジョセフィーヌ」と名乗るなぜか忍者の衣装を身に纏った柴犬が「帰らんぞ」といわんばかりに、大神殿の入り口の中央で、あぐらを組み、鎮座していた。

「単独で来たのか?」

 青梶が、柴犬の肩にそっと手を置いている。

「うむ。その通りじゃ。遊んでくれんかのう?」

 忍者の印らしき手癖を、柴犬は青梶に見せつけている。

「魔王が来た、と下の者から伝言があったが、柴犬。どこに魔王がいるのか、知らないか?」

「そうじゃ。ワシこそが、魔王。ジョセフィーヌじゃ!」

 勢いよく仁王立ちになった柴犬は流れるように忍者の印を手際よく、結んでいった。

 青梶は身構える。ただ一向に、術は発動されない。

「おかしいのう」

 柴犬は首を傾げている。

 青梶の近くを浮遊していたドチグマが「おっ、食っちまうぞ?」と素っ気なく反応しただけである。

 僕は階段を下りきる前に引き返そうかな、と逡巡する。

 青梶と目が合ってしまう。

「おお、大。いいところに来たな。ちょっと魔王紛いの柴犬をとっとと追い払っといてくれないか?」

 ドチグマに目を輝かせている柴犬を観察した後、仕方なく僕は階段を下り、柴犬の目をじっと見て、聞いた。

「何しに来たの?」

「遊びに来たんじゃ!」

「しょうがないなあ。じゃあ、遊ぼうか」

 僕は柴犬の前に立つ。

 柴犬の尻尾が、左右に揺れている。

「え、いいのかのう?」

「うん、いいよ」

「おお。気に入ったぞい。お主のこと、青梶殿より好きかもしれんのう」

 僕は神様の仕事など一切気にせずに、柴犬との戯れるだけの時間を多大に割いていった。

 そのおかげか日に日に、魔王は僕に懐いていった。

「ふむ。なら、大ちゃんじゃな」

 名前を教えると、魔王は四本足で素早く、僕の周りを旋回した。

 神の仕事をせずに、柴犬と遊んでいたのは、ただ僕が不真面目なだけだった。

 前の世界の寿命がこっちの世界でも反映されると知ったために、向上心が欠如したことも、自称、魔王の柴犬と戯れる大きな理由になっていた。

「それでどうして、単独で大神殿に来たのさ?」

「それはのう。ちょっと魔王城に居づらくなったからなんじゃな」

 魔王には、生涯、連れ添うと誓った絆と呼ばれる相手がいるらしかった。

「絆を結んだきなこちゃんの愛が重くてのう」

 些細なことで、その絆を結んだきなこと口論になったらしく、それで魔王は、急いで魔王城から大神殿に避難してきた、ということらしい。

「だったら早く、その絆とやらに謝った方がいいんじゃない?」

「いんや。絶対に嫌じゃ。とにかく今は、遊ぶぞい!」

 魔王に対する警戒心から、精力的に柴犬を見張っておこうと思ったわけではない。

 ただ単に、神の世界を極めてやろう、といった向上心がなかっただけだ。

 それでも周りの評価は違った。

 緊急の仕事として、僕が敢えて、魔王である柴犬と積極的に交流を行い、神の世界における危機を未然に防いでいた、と判断された。

 絶賛された。

 下っ端を極めていた僕の神における地位がこれで、ぐんと上がった。

 当初、柴犬に対して、完全なる無視を決め込んでいた青梶とドチグマであったが、柴犬が魔王である事実が神の世界にも轟いた瞬間、「おい、柴犬。ちょっとこっちに来い」と青梶の方から、魔王を呼びかけるようになっていた。

「なんじゃい、青梶殿。決闘でもしたいのかのう?」

「しねえよ。そんなことより一階にあった銃は、魔王の物か?」

 青梶が、魔王を睨みつけている。

「うむ、いかにも」

 そのまますぐに柴犬を連行していった青梶は、大神殿の一階の部屋に堂々と置かれていた物騒な品を、手に取っていた。

 僕は会話にこそ参加しなかったものの、一人と一匹のやり取りが面白そうだと感じて、こっそりと、彼らの後ろをついていった。

「それはワシの武器じゃな」

「そんな大事な物をなぜ、大神殿の中に置いている?」

 魔王に対して物怖じせず、どのような重大な疑問に関しても、すぐに口に出せるのは、この時点では、青梶だけであった。

 いくら見た目が柴犬であったとしても、ジョセフィーヌと名乗る本物の魔王である。

 魔王であるとの判定は、大文殊様が下していた。

 ――あの柴犬は、本物の魔王である。

 ということは、つまり、この柴犬の裏には、悪魔や堕天使が大量に控えている。

 うっかり魔王に失言などしようものなら、外交の破綻が生じた、と向こうに認識され、最悪の場合、大戦争の引き金となる恐れが少なからず、あった。

 だが大神の青梶は、魔王の柴犬になど、動じない。

「それは絆を結んでいるきなこちゃんと仲直りするために、ここで準備していた品じゃ。一応、ワシのとっておきの武器でのう。最近、改造したんじゃよ!」

「その、きなこって奴は、誰だ?」

 青梶は苦虫を噛み潰したような表情で、魔王に詰問を続ける。

「ほれ。以前、青梶殿は一度に多くの悪魔を大神殿から追い払ったじゃろう? あの中にいたはずじゃよ。白いから、目立ちやすいはずじゃ」

 魔王や悪魔の対応は、青梶の専売特許だった。

「ああ。あの白いウサギか」

 そのためか青梶の脳内では一瞬で、答えが導き出されている。

「で、その悪魔と柴犬の絆っていうのは、どういう関係性になるんだ?」

 青梶は追及を止めない。

「うむ。青梶殿でいえば、ドチグマ殿よりも濃い関係性と呼べるじゃろうな。それが、絆じゃよ」

「そんなに深い関係なのか?」

「いかにも。甘くて重い関係性じゃ!」

「あまり羨ましくはない関係性だな」

「うむ。いかにも」

 盗み聞きをしていた僕が密かに部屋の片隅で頷いていると、「ところで、大ちゃん。盗み聞きなんて気持ち悪いぞい」とモフモフの魔王から言われてしまう。

「ああ。大、いたのか。もう、話は終わったから、後の魔王の世話は頼んだぞ。ついでに銃の管理も頼む」

「え、暇じゃないんだけどなあ?」

 嘘だった。

 だけど、また魔王である柴犬と迂闊にも、キャッキャと遊んでしまったとする。

 すると、また勝手に神の位が上がってしまいそうだった。

 それが、嫌だ。怖い。

「ドチグマ殿。背中に乗りたいんじゃが」

 魔王はお構いなしに、部屋に入ってきたばかりの龍に喋りかけている。

「ようやく忍術を開発したんじゃよ」と続けるシバコウに対して、ドチグマはしゅっと、息を漏らしていた。ちょっとドチグマも楽しんでいるようだ。

「止めておけ」

 青梶の制止も虚しく、既に、柴犬はドチグマの背中に飛び乗っていた。

「騎乗の術が成功したぞい!」

 神の大神殿で、魔王が叫んでいる。

 ドチグマも満更ではない様子で浮遊を続けている。

 しばらく龍は魔王と一緒に、大神殿の旅を楽しんでいた。



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