18
シバコウは口笛を吹きながら、二本足でモフモフと装飾が見事な螺旋階段を下りていく。一目、二階を覗いたシバコウはすぐに部屋を出ていた。
「ねえ、シバコウ?」
慌てて、僕は柴犬の背中を追いかける。
「なんじゃ?」
「桜井先生がやっている授業って、ここ最近の話なのかな?」
確信が、あった。
念を保有している者が統一神であることからも、授業内容が一気に身内話になっていた。
「ここにいる知り合いの誰かが、統一神なんじゃないのかな?」
突然、シバコウの眉間の皺がこれでもかと、深く入った。
僕たちの近くを移動していた桜井先生を強引に呼び止めている。
短い手を挙げている。
「どうした?」
片眉を上げた桜井先生が、細くて長い脚を、止めた。
「大ちゃんが授業内容をここ最近の話ではないのか、と疑っているんじゃ。大ピンチじゃ」
どうして大ピンチなのかはさっぱり分からないけれど、それでも桜井先生の表情は神妙なものに変わっていった。
そのため、小ピンチくらいではあるのかな、と僕は捉える。
「認めよう。授業内容は、ここ最近の話だ」
間違いなく僕以外は、神知学園に来る前の記憶を確実に有している。
だったら、どうしてここまで回りくどいことを、するのだろうか。
銃。
やはり現在進行形で、まだ問題は発生中であるのか。
「どうしたんです、大ちゃんさん。眉間に皺が寄っていますよ」
ぬるりと僕の肩の上に、リエルが座っていた。
「リエルは本当に、前から神の世界にいたんだね」
差し出された蜜柑を受け取る。
リエルは柔和な笑みを浮かべていた。
「そうですね。ところで大ちゃんさんは、神知学園の暮らしは楽しいですか?」
質問をしてきたリエルをじっと見る。狸が浮かべる表情は、まるで楽しそうじゃなかった。
茜に「こら。勝手に離れちゃダメでしょ」と怒られ、「そうでしたね」とリエルはぽつりと言った。僕の肩から、すぐに茜の肩へとリエルは乗り移っていく。
僕はその場で一度、目を閉じ、すぐにまた開ける。
最近、疲労感が全然、抜けない。
「さつまいもチップスを大量に頼むぞい!」
シバコウは大神殿の一階の部屋に戻るなり、叫んでいた。
その注文に呼応するようにして、部屋の中央にあった長机が舞台照明があるかのような光を浴び始め、上下左右、様々な角度から局所的に照らし出されていった。
「よし、ここでも念が通じたのう」
シバコウは今来たばかりの大神殿がまるで我が家であるかのようにして、木の椅子の背に寄りかかり、ふんぞり返っていた。
山積みのさつまいもチップスが、シバコウの前に出現している。
念。統一神の能力。
それをなぜ、シバコウは自由自在に扱えるのか。まさか、シバコウが。
「念は、実に奇妙な能力だ。能力の保有者だけでなく、近くにいる者も同様に、念を自由に扱える。そこにいる柴犬のようにな」
桜井先生は立ったまま、授業を開始していた。
近くにいた青梶がリエルを凝視して、含み笑いをしている。シバコウが統一神ではなかった。
でも。この場にいる誰かが、統一神である。
「あ、そうだ。ここでシバコウに初めて、さつまいもチップスをあげたんだ」
また僕は無意識に呟いていた。
シバコウはさつまいもチップスを食べる口を止め、その目だけを大きくしている。
「統一神は、絶対的な存在だった。対して、魔王も闇の帝王であり、こちらも唯一無二だ。歴史上、関係を持たない両者が、深い絆を結ぶようになった。最近の話だ」
統一神と魔王は共存を望み、互いの世界を残したまま、交流を続けようとした。
だが、神知学園のことで揉めた。
「魔王の配下である悪魔からの猛反発があったからだ」
「それがきなこだったと?」
僕は咄嗟に口を出した。桜井先生は肯定も否定もしない。髪を何度か掻き上げている。
青梶やドチグマが、僕を憂うような目つきで見てきており、茜やリエルは、どこか虚ろな表情をしていた。シバコウは、さつまいもチップスに夢中だ。
「それでも悪魔と魔王は和解した。互いの願いを知り、聞き入れ、話がまとまったからだ。だが、ここで。統一神が倒れてしまう」
魔王は懸命に、統一神を助けようとした。
「それで息を吹き返した統一神だったが、その時点で、大部分の記憶を消失してしまっていた。統一神と一緒に、再び世界を共創したい。魔王はあくまで生活も楽しみたいという想いから、神知学園の形式で、統一神の記憶が復活することを切に願った。時には、授業を妨害しながら、時には、魔王の存在ここにあり、と周りに威嚇しながら。常に、統一神を見守り続けていたんだ。その暴君の名は……」
桜井先生は一息吐き、破顔する。
「ジョセフィーヌ」
記憶が、思い出が。
どっと激流のようにして、僕の脳内に押し寄せてくる。
シバコウはふざけているような言動を取りながら、ずっと僕に対して、過去を思い出させるような発言や行動ばかりを繰り返していた。
今なら、はっきりと分かる。
桜井先生は、目を閉じていた。
その華奢な肩にリエルが座り心地を見いだそうとしている。
「じゃあ、やっぱり僕が……」
「そうだ、統一神だ。だから最初に質問しただろう。このペアはどちらが上か、と」
統一神と魔王がペアだった。
消失していた記憶が一気に戻ってきたせいか、頭が上手く回らない。
「改めて、自己紹介をしておこう。私は、桜井。魔王に仕える堕天使だ。黒板にも書いて説明しただろう?」
あの汚くて読めなかった方のピラミッドは魔王の序列だった、と今更、知る。
「最初から、僕は色々と勘違いをしていたんだね。そもそも神知学園は……」
刹那、シバコウがさつまいもチップスの袋に手を伸ばすことを止め、一点を睨みつけた。
「ねえ」
背後から急に声を掛けられ、僕は、え、としか言えない。
突然、目の前に出現したきなこは、静かに僕の前にまで移動してきていた。
「ごめんね、ジョセフィーヌ。あなたが遊びすぎて、もう時間がないの」
きなこは両手で、拳銃を握っていた。
その銃口は間違いなく、僕に向けられている。
リエルがきなこに話しかけようとした。
僕も釣られて、一歩、前に出た。
茜も同じくリエルを心配したようで、一気に、きなこに近づく。
銃声が、二回。
ぶわん、と音がした。感情階段。きなこが、消える。
それだけで、ない。リエルと茜も消失している。
「おい、なにしやがる」
青梶が低く唸った。感情階段。
きなこが宙を歩いている。
「おい、食っちまうぞ」
ドチグマの口から、業火が噴かれた。
ぶわん。感情階段が消えた。宙にいたはずのきなこも消失している。
立て続けに、銃声が、二回。
ドチグマの火が消え、部屋の一部が黒くなっている。と、分かった時には、今度は青梶とドチグマの姿が見えなくなっていた。きなこも、だ。
「これはまずいのう」
シバコウの声が掠れていた。
次々に、仲間が消えていく。何もできずに、ただ突っ立っているだけの僕は情けない気持ちになり、次第に、視界がぼやけていく。
「大ちゃん、しゃきっとせんかい!」
必死に、涙を拭う。
ぶわん。僕の眼前に、感情階段。
きなこが空中に浮かび上がった階段から、ゆったりとした歩調で下りてくる。
「ねえ、何をしてるのかな?」
喜色満面の笑みで、きなこは銃口を僕に向ける。
「眠たいのかな?」
「うん、ちょっと眠たいね」
素直に答えた。
が、なぜ今、そんな質問を。僕は答えてから、首を傾げる。
「きなこちゃん。まだ、時期尚早じゃ!」
「さあ。それはどうでしょうか?」
銃声。
今度は口を大きく開けた桜井先生ときなこが同時に、消えた。
あの満面の笑みは、わざとだったのだ。とは、その時に分かった。
口角の上げ下げだけで、感情階段を咄嗟に出現させたり、消失させたりしている。
階段を自由自在に活用したきなこはそれで姿を消したり、現したり、している。
「逃げるのは、卑怯じゃぞ。きなこちゃん」
宙に問いかけたシバコウだったが、きなこからの返事は、ない。
僕は姿を見せてこない相手に、少しばかり感謝していた。
今、きなこの顔を見てしまうと、どこか感情の蓋が壊れてしまうと思った。
「きなこちゃん。然るべき時に、この決着はつけるつもりじゃ」
「やっぱり、きなこが神知学園を破壊しようとしていたんだね!」僕は、叫ぶ。
大神殿の小窓からは、光が差し込まれていた。
その一筋の光は、シバコウだけを照らしていた。
「破壊とは、言い方が悪いなあ。ジョセフィーヌが楽しみを後回しにするから、こうなっちゃったんだよ?」
「楽しみだって?」
僕は、すぐにシバコウを凝視する。
今まで見たことがないくらいには、魔王は険しい顔つきだった。
「もう少しなんじゃ!」
「ドロップキックだって、もう完成しているんでしょう?」
きなことシバコウのやり取りが、いまいち僕にはよく分からない。
「きなこちゃん、卑怯じゃぞ!」
何度もシバコウが誰もいない空間に向かって、怒鳴っている。
僕は仲間を消された恨みを晴らそうと、きなこから銃を奪う機会を見定めていた。
緊急事態だ。で、あるのに、眠い。眠たい。
「ジョセフィーヌは何度、これを繰り返すつもり?」
仁王立ちになったシバコウは突然、姿を現したきなこに向かって駆け出していく。
ドロップキックの構えだ。
だが、その動きすら、完全に見切られている。
白いウサギが口の端を何度か、素早く上げ下げする。
ぶわん。感情階段が出てきて、きなこを包み込み、丸ごと消えた。
シバコウの技が、空を切る。
刹那、冷たくて、固い感触が、僕の後頭部から感じられていた。
唐突に、きなこが僕の後頭部に銃口を突きつけている。
「感情階段はまだ出てきていなかったはず」
声が震えていると、僕は言い切った後に、自覚する。
「この学園は、ね。他にも色々と移動手段があったんだよ?」
頭から、冷たい感触が消えた。
僕の目の前に銃口を移動させている。きなこは微笑する。
「さようなら」
銃声。
きなこの冷たい声色が、僕の心の奥底まで響く。視界が真っ暗になっていく。
「大ちゃん!」
シバコウが叫んでいる。目を閉じたまま、開けられない。身体が、重たい。
銃で撃たれたような感覚はなかった。だけど、燃えるように、身体が熱い。
大量の水が流れ込んでくる触覚だけが残っている。
意識が、遠のいていく。
次の瞬間、僕の身体は激流に飲み込まれていた。
モフモフの手が伸びてくる気配が、ある。なんとか、目を開けた。
シバコウの手を掴む。だが、すぐに手を離した。
柴犬の手には、銃があった。
どうして。
また目の前が、真っ暗になる。
失われゆく意識の中で、シバコウの叫びだけが最後まで、僕の心にじんわりと響いていた。
本当に、念があるのであれば。僕が、統一神であったのならば。
過去に、戻りたい。戻りたい。戻りたい。
強く、念じる。
シバコウは仲間だったのか。敵だったのか。
真相を、知りたい。




