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柴犬の名は、シバコウ。またの名を、ジョセフィーヌ  作者: 木村文彦


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「また寝ていたぞ」

 起きたばかりの僕に、桜井先生の冷たい言葉が耳に響く。

 最近、ずっと眠たいなあ、と僕は瞼を擦る。

「衣食住は娯楽だと言っているだろうが。さつまいもチップスも、だ」

 顔の重力をすべて机に預けているせいで、隣にいるシバコウの顔がぐにゃっと潰れている。突然、立ち上がった柴犬はモフモフと僕の胸の中に飛び込んできた。

「気をつけんと、残り二つじゃからのう」

 僕の胸の辺りをモフッと触ってきたシバコウは、意味深に頷いている。

「二つ?」

「うむ」 

「さあ授業に、戻るぞ。念とは、統一神が有している特殊能力だ」

 黒板に書かれた大きな一文字を、桜井先生は指差しながら、力強く発していた。

 ここだけは真剣に耳を傾けろ、との想いを、桜井先生から強く感じる。

「ちょっと」

 僕は、シバコウの肩を何度も強く叩く。

「統一神の使える能力が、念だってさ!」

「そうらしいのう。それより、痛いんじゃが」

 俊敏な動きで、シバコウは僕の近くから離れていく。

「愛の大きさが痛みに変わっているだけだって」

「そんな重たい愛、ワシにはいらん」

 もっと授業を続けてもらい、統一神が有している念とやらを、桜井先生には熱く、長く、説明してもらいたかった。が、現実には、「よし。ちょうどいいタイミングだな」と桜井先生は何を思い至ったのか、露骨に授業を中断している。

「これから名前を呼ばれた者は、すぐに移動するように」

 桜井先生が呼んだ名前の中には、僕の名があった。

 廊下に出るなり、シバコウは踊り始め、リエルはせっせと床の上に蜜柑を置き始めている。遠くから、青梶とドチグマが冷めた目で見ている。

 謎の行動を始めた柴犬と狸を監視していた桜井先生は、なぜか咎めようともしない。

 ただ白く細い指で、ある一点を差すのみだ。

「おっ、効果ありじゃ、ひゃっふーい!」

 シバコウが踊りを止めずに、リエルの置いた蜜柑をそっと手で移動させる。

 桜井先生の示していた床の一部が、光った。

 訳が分からない。

「感情階段が見えてきたぞい!」

 床が光っているだけで、それ以外の変化は廊下に、ない。

 ただ光っている床の面積が少しだけ、増えたような気もする。

 ぶわん。

 妙な機械音がして、宙に浮かぶ階段が輪郭を帯びてきた。

「宙に浮かぶ階段だって?」

 僕が叫ぶと、桜井先生は顎に手をやっていた。

 注意するどころか一言も発さずに、状況の進捗を慎重に見守っている。

 移動すらせずに、その場に留まっている。

 その間、シバコウは叫ぶ。

 リエルも次々と、蜜柑を床の上に置いていく。

 僕は戸惑い、茜は不安がり、青梶とドチグマは我関せず、だった。

「それ、大ちゃん。やっと、出番じゃ! スペースの広がった光っている床にタップダンスじゃ!」

「え、ダンス用の靴なんか履いてないよ?」

「そもそも、大ちゃんは靴を履いておらんから、気になどしておらんわい。ほれ、リズミカルに、タン、タ、タン、じゃ!」

 タン、タ、タン。

 言われるがままに、僕は光っている床の上で、タップダンスとは名ばかりの足踏みを、した。

 急に目の前が黒くなりつつある。

 ただ依然としてシバコウの声は明瞭に聞こえるので、意識を失いかけているわけではないとは、分かる。

「ほれ、もう一回!」

 タン、タ、タン。

 今度は僕の眼前が一度、完全に真っ黒になった。

 感情階段だけが、目の前でぼんやりと浮かび始めている。この階段。

 時折、光るが、ずっと明るいわけではない。

 僕は慎重に、階段の感触を確かめつつ、踏みしめるようにして、上っていった。

 少しずつ明らかに廊下ではない暖色系の明かりを満たした空間が広がり始めてきた頃、「成功だな」

 と、暖色系の明かりに照らされる桜井先生の満面の笑みを、僕は見ていた。

 どこかでシバコウが、「タン、タ、タン!」と、まだ明瞭に伝えてきている。

「夢の中でいた大神殿だ」

 思わず、言葉が漏れていた。

 ようやく顔だけでなく、全身が見えるようになった桜井先生が、また顎に手をやっている。



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