表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/11

第三話 鉄血のドレス、思想のランウェイ

第三話 鉄血のドレス、思想のランウェイ


 王宮大広間は、むせ返るような香水の匂いで満ちていた。


 磨き抜かれた大理石の床には無数のシャンデリアが映り込み、黄金色の光がゆらゆらと波打っている。弦楽器の音色は甘く、壁際には色鮮やかな果実酒と料理が並び、貴族たちの笑い声が絶え間なく響いていた。


 だが、その華やかさの裏で、女たちは苦しんでいた。


「……う、ぐ……」


 若い伯爵夫人が扇子で口元を隠しながら、浅い呼吸を繰り返している。腰を異様なほど締め上げるコルセットのせいで、まともに息もできないのだ。


「大丈夫ですか?」


「え、ええ……少し締めすぎただけですわ……」


 そう言いながらも顔色は青白い。


 別の令嬢は椅子に座ったまま立ち上がれず、侍女に裾を持ち上げてもらっていた。重すぎる装飾と何重にも重なった布が脚へ絡み、まともに歩けないのである。


 だが誰も、それをおかしいとは言わない。


 苦しいほど締め付けられ、動けぬほど飾り立てることこそ、“気品”だとされていた。


 その時だった。


 広間入口の扉が開く。


 ざわめきが止まった。


 空気が変わる。


 静寂の中、ひとりの女がゆっくり歩いてくる。


 レティシアだった。


 白銀のドレスが、シャンデリアの光を柔らかく反射している。


 誰も見たことのない衣装だった。


 腰を締め付けるコルセットは存在しない。無駄に膨らんだスカートもない。白銀絹シルバー・シルクが身体の動きに合わせて滑らかに流れ、歩くたびに水面のような光が揺れる。


 肩から背中へ流れるラインは凛として美しく、それでいて息苦しさを感じさせない。


 何より。


 彼女は自然に歩いていた。


 優雅に。


 堂々と。


 まるで拘束から解き放たれたように。


「……なんだ、あれは」

「コルセットを着けていないのか?」

「でも……綺麗……」


 貴族たちが呆然と囁き合う。


 レティシアは視線を一身に受けながら広間を進んだ。裾が擦れるたび、白銀絹がさらさらと心地よい音を立てる。


 彼女は知っていた。


 前世、この夜会で何人もの令嬢が貧血で倒れたことを。


 それでも王宮は“淑女の美徳”だと言って笑っていた。


 愚かしい。


 女性を苦しめる衣装が、なぜ美徳なのか。


 その時、玉座近くにいたジュリアンが顔をしかめた。


「レティシア」


 広間の視線が一斉に集まる。


 ジュリアンは困惑と苛立ちを混ぜた声を出した。


「……その格好は何だ」


 レティシアは立ち止まり、静かに一礼する。


「カサブランカの新作ドレスですが」


「新作?」


「ええ。女性が呼吸でき、歩ける衣装です」


 周囲で小さな笑いが漏れた。


 ジュリアンは眉を寄せる。


「そんなもの、淑女の装いではない。伝統も気品も感じられないぞ」


「気品、ですか」


 レティシアは穏やかに聞き返した。


「女性が息もできず倒れることが、王国の気品でしょうか」


「それは……伝統には意味がある!」


「非効率にも、ですか?」


 ジュリアンが言葉を詰まらせる。


 その横で、マリアンヌが可愛らしく首を傾げた。


「でもレティシア様、女の子は可愛く我慢するのも大切だと思います。殿方に守っていただくためにも……」


 周囲の男たちが頷く。


 レティシアは彼女を見た。


 淡い桃色のドレス。細い腰。苦しそうな呼吸。


 あと二時間もすれば、彼女は確実に倒れる。


「守られなければ歩けない服に、価値はありません」


 静かな声だった。


 だが広間は水を打ったように静まる。


 レティシアは続けた。


「服は人を飾るためではなく、人を生かすためにあるべきです」


「何を馬鹿な……!」


 ジュリアンが苛立ったように声を荒げる。


「女性らしさとは慎ましさだ! 耐えることも美徳なんだぞ!」


 その瞬間。


「失礼」


 高位貴族のひとり、ランベルティ侯爵夫人が前へ出た。


 四十代半ばの彼女は、重たいドレスを支えながらレティシアを見つめる。


「少し、その布地に触れても?」


「どうぞ」


 夫人が恐る恐る白銀絹へ触れた瞬間、目を見開く。


「軽い……」


 周囲がざわつく。


「それに柔らかいわ……!」


 別の貴婦人も寄ってくる。


「本当にコルセットなしですの?」

「苦しくありませんの?」

「歩いてみても?」


 レティシアは頷いた。


 次の瞬間、婦人たちの空気が変わった。


「……楽」

「こんなに呼吸できるなんて……」

「肩が痛くないわ……!」


 彼女たちの頬に、驚きと歓喜が広がる。


 前世では誰も口にしなかった。


 苦しい、と。


 辛い、と。


 それを言えば“淑女失格”だったから。


 だが一度知ってしまえば、もう戻れない。


 ランベルティ侯爵夫人がはっきりと言った。


「わたくし、このドレスが欲しいわ」


 空気が変わる。


 別の夫人が続く。


「私も」

「娘にも仕立ててちょうだい」

「夜会用に三着お願いできる?」


 ジュリアンの顔色が変わった。


「なっ……!」


 貴婦人たちはもう彼を見ていない。


 彼女たちの視線は白銀のドレスだけへ向いていた。


 それは単なる衣装ではなかった。


 自由だった。


 呼吸だった。


 女たちを締め付ける旧時代からの解放だった。


 レティシアは静かに彼女たちを見回す。


「カサブランカは、女性を拘束するための服は作りません」


 白銀絹が光を弾く。


「美しさとは、苦痛ではなく機能の中に宿るものです」


 広間の奥で、古参貴族たちが青ざめていた。


 彼らには分かっていた。


 これは単なる流行ではない。


 市場そのものが変わる瞬間だと。


 古い価値観が、音を立てて崩れ始めている。


 ジュリアンが苦々しく呟く。


「……ただの服だろう」


 レティシアは彼を見た。


「いいえ」


 その瞳は静かだった。


「思想です」


 外では春風が吹いていた。


 王宮の庭に咲く白いカサブランカが、夜風に揺れている。


 まるで、新しい時代の訪れを祝福するように。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ