第8話 造っては、砕いて
炉の奥は、昼も夜もない、橙色の光に満ちていた。
天井の見えない高さから、底の見えない深さへ。無数のベルトが、際限なく流れつづけている。その上を、生まれたばかりの剣が、槍が、盾が、整然と運ばれていく。刃はどれも磨きあげられ、まだ誰の血も知らない。
けれど、それを握る手は、どこにもなかった。
アカリは、鋼の梁の陰で息を整えた。ここまで、都市には人の影ひとつなかった。機械が機械を造り、造ったそばから、また別の機械がそれを運んでいく。歯車の噛む音、蒸気の抜ける音、鎚の落ちる音。どれも規則正しく、いつまでも狂わない。目的の見えない勤勉さが、かえって背筋を冷やした。
里の鍛冶場では、ケトルが一振りごとに火加減を睨み、鎚を打っていた。使う者の腕を思い、握りの太さを削っていた。ここには、そういう体温がどこにもない。造ることだけが、造る理由になっている。
流れの終わりを、目で追う。運ばれた武器は、都市の外へ出ていくのではなかった。ベルトはぐるりと巡り、剣も槍も、都市の中心――巨大な炉の口へと、静かに吸い込まれていく。
造られては、砕かれて。
その意味を、アカリがまだ言葉にできずにいた、そのときだった。
炉の光が、大きく脈打った。
流れが止まる。鋼の床が、遠い地鳴りとともに割れていく。裂け目から、灼熱の腕が持ち上がった。人の腕ではない。都市そのものを掴めそうな、鋼と溶岩でできた巨大な拳。
――ヴェルクシュタットの巨腕。
女神の声が、耳の奥で小さく震えた。
「この工廠を、守るために造られたものです。……気をつけて、アカリ」
巨腕が、拳を開いた。
掌の関節の隙間から、白熱した鋼の破片が、雨のように撒かれる。アカリは身を低くした。息を詰め、足を滑らせる。喰らえば終わる一点は、胸のずっと下、足元の小さな灯にだけある。あとはすべて、掠っても構わない。
降りそそぐ火の粉の、髪一本の隙間を、アカリの身体は勝手に見つけていく。生前、光の雨のなかで覚えた感覚が、器の腕にそのまま伝わっていた。
巨腕が床を叩く。衝撃波が同心円に広がる。飛ぶな、と身体が知っていた。跳ねた瞬間が、いちばん死にやすい。アカリは波の切れ目に足を落とし、拳が持ち上がる一瞬の隙へ、矢を放った。
空を裂く、白い一条。
継ぎ目の赤熱した関節に、矢が突き立つ。巨腕がわずかに沈む。その繰り返しだった。撒かれる火を縫い、隙を数え、腱の一点を射抜く。息を詰め、また吐く。
やがて巨腕は、拳を胸の前で組み、掌のあわいから、光の帯を扇のように払いはじめた。逃げ場のない、広い薙ぎ。アカリは帯と帯のあいだ、指ひと差しほどの隙へ、身体を投げ込んだ。熱が頬を舐める。それでも、喰らわなければ、生きている。焼けた空気を吸い、また吐く。その一呼吸ごとに、器の腕がだんだん軽くなっていくのを感じた。
どれほど続けただろう。巨腕の内側で、なにかが軋み、限界の光を漏らしはじめた。
アカリは弓を大きく引き絞った。指先に、器の奥から力が集まってくる。放てば、視界ごと薙ぐ一矢。
――ごめんなさい。
なぜか、そう思った。
白光が、巨腕を貫いた。
拳が、ゆっくりと崩れていく。溶けた鋼が、雨だれのように床へ落ちる。倒れた腕の向こうで、止まっていたベルトが、何事もなかったように、また動きはじめた。
造られた剣が、また炉の口へ運ばれていく。
「……アカリ」
女神の声が、いつになく静かだった。
「視えました。あれが、雨の始まりなのです」
アカリは、炉の口を見た。運ばれた武器が、赤い光のなかへ落ちていく。溶けて、砕かれて、粉になって。そして炉の背から伸びた太い管を伝い、都市の空へと、汲み上げられていく。
「造られた剣も、槍も、盾も。ひとつとして、誰かの手には渡っていません。運ばれて、また砕かれて……あの管を伝って、空へ昇っていくのです」
「あれが――神鉄の雨」
アカリの息が、止まった。
武器になるはずだった鉄。それが粉になり、雨になって、里の空に、世界の空に、千年、降りつづけている。人々が影に隠れて暮らす、あの終わらない雨に。
「どうして、こんな……戦は、もう」
「ええ」女神の声が、痛みをこらえるように途切れた。「この工廠は、まだ知らないのです。戦が――千年も前に、終わってしまったことを」
誰もいない都市が、ただ勤勉に、届かない補給を続けている。命じた者も、受け取る者も、とうにいないのに。
アカリは、崩れた巨腕を見た。この巨きなものも、ただ、それを守っていただけだった。誰のためかも分からないまま、命令だけを抱いて。討ったことが、正しかったのかどうか、いまはまだ分からない。ただ、こうして流れつづける鉄を止めなければ、里の空は、いつまでも晴れない。
握った弓の弦が、汗で滑った。アカリは、それを握りなおした。
炉が、また脈打った。その熱は、都市が生んだものではないと、アカリにも分かった。裂けた床の底の底、大地のさらに奥から、赤いものが脈々と汲み上げられている。
「炉は、地の底から火を汲んで、燃えつづけています」女神が言った。「ムスペルの火。あの熱が、この機構を千年、止まらせずにいるのです」
止めるなら、火の源へ。
アカリは、割れた床の裂け目を見おろした。灼熱の風が、下から吹き上げてくる。息もできないほど熱いその奥へ、答えは沈んでいる。
弓を握りなおす。
降りるしかなかった。雨を止めるために。
――行きます。
まだ誰の手にも渡らない剣を背に、アカリは、灼熱の裂け目へと、足を踏み出した。




