第17話 白光の玉座
扉の向こうは、白かった。
火口の底で、あれほど固く閉ざされていた石の扉が、いまはただ静かに開いていく。力を蓄えて戻ったアカリが手を当てると、扉は抗うことをやめ、内側へと退いた。まるで、ずっと待っていたかのように。
一歩、踏み出す。
足の下に、地の感触はなかった。降る灰も、溶けた鉄も、雷鳴も、もうどこにもない。あるのは、際限のない白い光だけだった。上も、下も、右も、左も、白い。雨の源だと聞いてここまで昇ってきたのに、この場所には、雨の一滴も落ちていない。ただ、耳が痛くなるほどの静けさが、満ちていた。
——ここが、神々の座。
神は、どこにもいなかった。祭壇も、祈りの跡も、玉座を飾るなにひとつも。ただ白いだけの、がらんとした広間。神々が己を燃やし尽くしたあとの、燃え殻のように静かだった。ここから、あの終わらない雨が生まれているとは、とても信じられなかった。
アカリは、白の奥へと進んだ。
そのとき、器が、震えた。
自分の意思ではなかった。弓を握る手が、膝が、喉の奥が、覚えのない震えかたをする。恐れとは違う。もっと古い、もっと深いところから込み上げてくる、名前のつかない痛みだった。この足は、この場所を知っている——身体が、そう言っていた。
立ちどまると、白のずっと奥に、ほんの一瞬、誰かの背中が見えた気がした。四つの影が、肩を並べて、この静けさの奥へと歩いていく。振り返らずに。まばたきをすれば、もう消えている。器が覚えているものを、目が、勝手に映し出したのだろうか。
「……アカリ」
女神の声が、遠くから届いた。糸のように細く、いまにも切れてしまいそうだった。祠から神域までの道のりを、その祈りは、これまでのどんな距離よりも遠く渡ってきていた。
「聞いてください。この場所で、あなたの器に、なにが起きたのかを」
アカリは、足を止めた。
「千年前」女神は、言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。「〈終末〉との戦いの、いちばん終わり。ひとりの戦乙女が、雨を降らせるあの機構の——その核へ、みずから組み込まれました。世界を守るために。二度と、出られぬと知りながら」
ダグルーン、と女神は、その名を口にした。第一の戦乙女。すべての戦乙女の、長姉。
「彼女には、四人の妹がいました。弓、剣、魔、召喚。姉が核に囚われたまま千年が過ぎ、それでも雨がやまぬと知ったとき——妹たちは、姉を取り戻そうと、この神域へ挑んだのです」
アカリの胸の奥で、器が、また疼いた。
「けれど、四人は、この玉座の手前で散りました。ひとり残らず。……その身体だけが、真名を雨に奪われ、器となって、地の底に眠りつづけた」
女神の声が、途切れた。
「アカリ。あなたが宿ったその器は——その四人のうちの、ひとり。弓の妹の、身体なのです」
白い光のなかに、アカリは立ち尽くした。
この手。この足。この、弓を引く肩。ぜんぶ、姉を助けにきて、ここで力尽きた誰かのものだった。生前の自分が、雨の交差点で、頭より先に身体を動かしたように——この身体の元の主も、大切な誰かへ向かって、まっすぐに翔んで、そして、届かなかった。
足の下の白が、急に、墓のように思えた。
見渡せば、白のなかに、かすかな窪みが四つ、円を描いて残っている。ここで、四人が。アカリの器も、そのひとつから、掬い上げられて、遠い世界の魂を宿したのだ。
——あなたたちは、姉を、迎えにきたのね。
千年前に途切れた足どりの続きを、いま、同じ身体が、踏んでいる。そう思うと、この震えが、恐れではなく、懐かしさに似たものに変わっていくのが分かった。
不思議と、こわくはなかった。
生前の自分も、そうだった。雨の交差点で、車道に飛び出した子どもへ向かって、頭よりも先に、身体が動いた。避けきれないと知りながら、それでも、前を向いていられた。——この身体の元の主も、きっと、同じ目をしていたのだ。姉のもとへ、まっすぐに。届かないと知りながら、それでも。
ふたつの生が、どこか、同じかたちをしていた。だからこの器は、遠い世界の魂を呼び寄せたのかもしれない。そんな気さえ、した。
円の中心に、玉座があった。
白い石を削り出した、大きな椅子。神が座するための座。けれど、そこに、神の姿はなかった。空っぽの玉座の前に、ただ、白よりもさらに白い光が、静かにうずくまっている。
アカリが近づくと、その光が、ゆらりと立ち上がった。
かたちを、探すように。像を、結ぶように。光は、アカリを見た。そして——アカリと、同じかたちになろうとした。
同じ背丈。同じ肩の線。同じ、弓を提げた腕。まるで、磨きあげた鏡が、こちらを映すように。
顔だけが、白くのっぺりとして、まだ像を結びきれずにいた。けれど、それ以外のすべてが、アカリだった。アカリが身構えれば、向こうも身構える。半歩退けば、向こうも半歩退く。まるで、自分の影が、白い光のなかから、静かに起き上がってきたようだった。
背から、白い翼が、大きく広がった。
玉座の主は、神ではなかった。ここにあったのは、向き合う者を鏡のように映す、〈終末〉の写し身。世界を終わらせかけた災厄の、最後の残り火。神々が己を燃やして封じた、そのわずかな残りが、いまも、この座にわだかまっていた。
アカリは、弓を握りなおした。
鏡のなかのもうひとりが、まったく同じ手つきで、弓を握りなおす。
——あなたの奥に、誰かが、いるのね。
鏡が、かすかに、揺らいだ。




