第8話 帰ったぞ
攻城まで、あと二十一日。
「グレン様だ!」
城門の上へ着くなり、エドは兵たちの歓声を聞いた。
東街道から、大柄な男が軽い足取りで歩いてくる。服は泥だらけで、肩には剣を担いでいた。背筋はまっすぐに伸び、顔立ちも整っている。黙ってさえいれば、堂々たる貴公子に見えた。
その貴公子が、こちらへぶんぶん腕を振っている。一点の曇りもない、ご機嫌な笑顔だった。
生きていた。
エドは手すりをつかんだ。胸の奥が緩みかけたところで、隣を歩く銀髪の女が目に入った。
女も泥のついた外套を着ている。背筋がまっすぐで、城壁と門を順に見上げていた。
さらに、山羊が一頭、二頭。
後ろにもいる。
エドは数え直した。十二頭いた。グレンが束ねて持つ縄の先で、群れが街道いっぱいに広がっている。
「何を連れて帰ってきたんだ」
エドが言うと、後ろから来たイルマが答えた。
「十二頭の山羊です」
「いつ牧場を始めた!」
ローデンは目を細めた。
「よくぞ、ご無事で」
ドーガンも黙ってうなずいた。剣の柄に置いていた手が離れる。
門の内側では、マルタが泥を落とす布を用意していた。兵が水桶を持ってくると、彼女はもう一つ運ばせた。
「山羊の分もか」
「あの子は一桶じゃ足りないよ」
「城主を荷車みたいに洗うな」
その横で、治療師セラが袖をまくった。
「洗い終わったら、傷を確認します」
「その前に説教だ」
ドーガンが上から言った。
イルマは帳簿を開く。
「説教のあとに署名をいただきます」
帰還を喜ぶ時間は短かった。仕事が待ち構えるには十分だった。
*
門前へ着いたグレンに、門番のロッテが声をかけた。
「合言葉をお願いします!」
「俺だ!」
「合言葉をお願いします!」
「城主だぞ!」
ロッテは門の脇の小窓から顔を出した。
「はい! お帰りなさいませ! 合言葉をお願いします!」
「知ってるなら開けろ!」
グレンが門を叩くと、門の内側で兵たちが身構えた。
ドーガンが城壁の上から命じた。
「ロッテ、そのままだ。確かめるまで開けるな」
エドは隊長を見た。
「本人だと分かっていますよね?」
「留守にした城の規則を、本人に覚えさせろ」
「犬か何かですか」
グレンは少し考えて、先月の合言葉を言った。
「変わりました!」
「いつだ!」
「城主様がお出かけになっている間です!」
「それなら分かるはずないだろ!」
今度は、グレンが正しい。
そう思った瞬間、彼は幼い頃にエドと使っていた秘密の合言葉を大声で叫んだ。
エドは手すりから身を乗り出す。
「昔の秘密を街道へ流すな!」
「駄目か!」
「城の合言葉だったことがない!」
グレンは胸を張った。
「グレン・アーヴェル!」
「名前を名乗り直しても開きません!」
ロッテの声には、憧れの城主と話せる喜びがあふれていた。門を開ける気はなかった。
銀髪の女が、静かにうなずく。
「正しい対応だ」
「俺の城だぞ」
「城主だからこそ、規則を守れ」
グレンは女を見た。女は門の上の兵へ目を向けている。
「見張りも動いていない。指揮が行き届いている」
「お前は入る側だろ」
「防備を確かめるいい機会だ」
エドは二人を見下ろした。
「見学に連れてきたのか!」
横で、ルーファスが手すりへ近づいた。女を見た途端、足が止まる。
さっきまで普通だった顔から、血の気が引いていく。
「お知り合いですか」
エドが尋ねても、返事はなかった。
ルーファスは女を見たまま、両手で手すりを握った。
「倒れるなら内側にお願いします」
彼はそれにだけ、小さくうなずいた。
*
グレンは閉じた門を見上げ、それから城壁へ目を移した。
エドは嫌な予感がした。
「城主様。そこで待っていてください」
「こっちの方が早い」
グレンは山羊の縄を女へ渡し、石の継ぎ目へ指をかけた。
「登るな!」
片足が壁へ乗る。門番たちが慌てて小窓へ集まった。
「正門があるだろ!」
「開かん」
「だからって攻めるな!」
銀髪の女が一歩下がり、城壁を見上げた。
「上から槍で止められる」
グレンはエドを見た。
「俺を刺すか?」
「刺しません! 下りてください!」
女はグレンへうなずいた。
「なら、登れる」
「攻略の助言をするな!」
ドーガンが手すりへ歩み寄ると、グレンの足が止まった。
「下りろ」
「ドーガン。帰ってきたんだぞ」
「帰るのと、壁を登るのは別だ」
グレンは渋々、地面へ戻った。
三頭の山羊が彼を囲み、服の裾を噛んだ。グレンは剣を地面へ置いて、一頭ずつ布を引き抜く。最後の一頭を離すと、最初の一頭がまた噛んだ。
「これは食い物じゃない」
エドは山羊を指した。
「それはどこから?」
「村でもらった」
「何をしたんだ」
「ちょっと助けた」
説明はそこで終わった。グレンは女から十二頭分の縄を受け取り、束ねて門の取っ手へ結ぼうとする。
「そこにつなぐな。門が開いたら引っ張られるだろ」
「門は開くんだな!」
「そこだけ拾うな!」
門の内側から、マルタの声がした。
「グレン様。入ったら、まず靴を脱いでもらうよ」
彼は即座に門から離れ、靴を脱いだ。
銀髪の女が初めて、少し目を見開いた。
「命令には従うのだな」
「マルタだぞ」
それで説明したつもりらしい。エドには説明になっていた。
父が上から声をかける。
「お疲れでしょう。すぐに中へ」
「よし!」
「その前に、お話があります」
「あとで聞く!」
「では門もあとで開けましょう」
「玄関を交渉の道具にしないでください、父上!」
グレンはもう一度エドを見上げ、脱いだ靴を持ったまま大きく手を振った。
満面の笑みだった。留守を任せた相手が、いつもどおりそこにいる。それだけで安心したような顔をしている。
「エド! 帰ったぞ!」
言いたいことは山ほどあった。まず、無事でよかった。それから、どこへ行っていた。なぜ連絡を寄越さない。国王から床いっぱいの命令書が来たぞ。
口を開くより先に、隣の女の外套が風でめくれた。
内側に見えたのは、双頭の鷲。
ルーファスが携えてきた、レグナード王家の紋章と同じだった。
エドはグレンと女を交互に見た。
「帰ってくるだけで国際問題を増やすな!」




