第6話 城壁は畑になっていた
攻城まで、あと二十八日。
イルマの帳簿には、敵軍の攻城と城主グレンの帰還が、同じ「襲撃による損害」の欄に並んでいた。
「城主様の欄は消したか」
「額が分かるまで空欄です」
「消せと言ったんだ」
「まず城壁の状態を見てください。壊れる場所が分からなければ、修繕費を見積もれません」
もっともな話だった。城主の帰還費用まで見積もること以外は。
エドは城兵隊長ドーガンと城壁修繕技師ネリアを呼び、城を一周することにした。なぜかレグナードの使者ルーファスもついてきた。
「王女殿下の捜索について、お話があったのですが」
「防備を点検します。お話はあとで」
「では、歩きながら」
「散歩に誘っていません」
ルーファスは立ち止まった。エドたちが歩きだすと、控えめな距離を保ってまたついてきた。
*
最初の空堀で、エドは足を止めた。堀の底にキャベツが並び、老人が桶で水をやっている。
「ここは空堀ですよね」とエドがドーガンに尋ねた。
「そうだ」とドーガン。
「いつから畑にしてるの?」とエドは老人に尋ねた。
「二十年ほど前からです」と老人が答えた。
「隊長は知っていたんですか」
「毎年見ている。去年は虫に食われた」
「畑より城を見てください」
ドーガンは老人に言った。
「全部抜け。敵に渡すな」
「まだ小さいんです。もう少し待ってもらえませんか」
「敵は待たん」
「敵が来る前なら、育ちます」
「育ったところを敵に食わせる気か」
「私が先に食べますよ!」
老人は桶を置き、キャベツを両手でかばった。エドは堀を見渡す。畑になっているのは一角だけだ。
「まず兵が通る場所を空けよう。邪魔になる所から片づけて、収穫できるキャベツは城へ運ぶよ」
「売ってもいいですか」と老人。
「城の備蓄にする分は、ちゃんと買い取るよ」
「値はあとでイルマに決めさせる」とドーガン。
堀の上では、見張りの若い兵が老人の水桶を受け取った。二人で畑を続けてきたらしい。ドーガンはそれを見て、すぐには撤去を命じ直さなかった。
次の矢倉は、交易品の木箱でいっぱいだった。
「弓兵を置く場所がない」とドーガン。
「箱を動かせば入れます」と持ち主の商人が言う。
「どこへ動かす」
「そこまでは、まだ」
「戦が終わるまで置いていただければ」と商人は続けた。
「戦が始まる前に弓兵を入れたいんだ」とエド。
「箱をどけずに、弓兵だけ入れられませんか」
「それができたら、困ってないよ」
ネリアが棚の奥から窓を開けた。外を見ようとしたドーガンの前に、吊るした反物が揺れる。
「見張りの邪魔になる」
「ですが、敵からはこちらの兵も見えません」と商人。
「こっちからも敵が見えないだろ」
「お互いさまですね」
「敵と目隠しで戦う気はないよ」
エドは商人に、箱の数を書き出して移す順番を決めるよう頼んだ。昨日、門を通した商品を、今日は矢倉から出す。商人の顔にその計算が浮かぶ。
「移動の手間賃は、どちらが?」
「費用はイルマと相談するよ。先に箱を動かそう」
「では、私がイルマ様に相談してきます」
「相談はあと。箱を置いて逃げるなよ」
兵舎の半分では、湯気が上がっていた。共同浴場になっている。
「ここも元へ戻す」とドーガン。
「浴槽はどうする?」とネリア。
「壊して運び出せ」
「火薬を使えば一息です」とネリア。
「やれ」
「待ってください! まだ人が入っています!」
「出してから壊す。そこまで言わんと分からんのか、エド」
「出しても壊さないでください!」
ドーガンはエドを睨んだ。浴場の戸の向こうから、湯をかける音がする。かつて兵が寝起きした場所で、今は町の人が体を洗っている。
城を守る準備をするほど、ここで続いてきた暮らしをどこへ移すか決めなければならなかった。
*
投石機には洗濯物が干されていた。
「動くか」とドーガンが尋ねる。
ネリアは腕木に触れ、縄を確かめた。
「動かす前に、洗濯物を下ろします」
「下ろせば動くのか」
「まず下ろさないと、下着の飛距離を測ることになります」
「それは避けたい」とルーファスが小さく言った。
敵国の使者と、初めて意見が合った。まったくうれしくない。
城壁の上では、ドーガンが古い石積みを指した。
「崩れた所を積み直せ。昔からそれで守ってきた」
「表だけ直しても、奥の傷みは残ります」
小柄なネリアは石の継ぎ目へ指を入れた。砂がぽろぽろ落ちる。
「ここを外して、中から補強します」
「敵が来る前に壁を減らすのか」
「傷んだ石を残したまま、その上に積む方が危ないです」
「石を外している間に攻められたらどうする」
「その場所を先に決めるための点検です」
二人とも城を守る話をしている。エドは割って入る言葉を探した。
「隊長は、敵がどこを狙うか分かりますか」
「正面を避ける。守りの薄い所だ」
「ネリアは、薄い所が分かるか」
「石を調べれば」
「なら、先に二人でそこを探しましょう。直し方は、その石を見てから決める」
「爆薬を使う場所も見ていいですか」とネリア。
「城壁には使わせん」とドーガン。
「浴槽には使わせようとしましたよね?」とエド。
「浴槽は城壁ではない」
「正論!」
ネリアは返事の代わりに、壁の継ぎ目を見た。
エドはルーファスと目を合わせ、階段へ視線を移した。もう下りてほしい。
ルーファスは首を横に振り、ネリアの手元を見た。
居残る気か。
「その継ぎ目なら、正面から同じ箇所へ石を当て続けます」
彼は城壁の外側を指している。
「こちらの軍にある投石機なら、射角を――」
「待ってください」
エドが遮ると、ルーファスは指を下ろした。
「失礼しました。壁の話でしたので」
「あなた方が攻める壁です」
「ええ。ですから気になって」
ネリアは指された箇所を叩き、眉を寄せた。
「……ここ、音が違います」
もう一度叩く。隣の石とは違い、奥で鈍く響いた。ネリアが緩んだ石を外すと、向こうに暗い空間が見えた。
エドが灯りを差し入れる。壁の内側が、通路のように奥へ延びている。先は光が届かない。
「誰がこんなものを」
ドーガンは穴をのぞき、額を押さえた。
「ガレス様だ。昔、秘密の抜け道を作ると言っていた」
「完成したんですか」
「途中で飽きたと聞いた」
「飽きちゃったのかぁ」
ネリアが外側の壁を叩く。薄い石の向こうから、同じ音が返った。
「ここを崩されたら、敵が空洞に入れます」
エドは暗い穴を見た。ガレスが掘りかけた道を、今度は攻めてくる敵が使う。ルーファスもすぐ隣で穴を見ていた。エドは大きく息を吸った。
「城壁に敵の裏口を作るな!」




