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第26話 攻城は中止です

 攻城まであと七日。

「攻城は中止です」

 城門を入ってきた外交官ルーファスの声に、グレンが両腕を上げた。

「そうか!」

「梁を置いてから喜べ!」

 城兵隊長ドーガンの声が飛ぶ。抱えていた補修用の梁まで持ち上がり、そばの職人たちが一斉に頭を下げた。

 グレンは慌てて梁を下ろした。ドーガンが周囲を確かめ、職人たちへ手を振る。

「よし。誰もぶつけとらんな」

 エドは梁から離れ、ルーファスの持つ封書を見た。

「正式な、ご命令ですか」

「はい。国王陛下が、攻城命令の撤回と、捜索軍の撤収を命じられました」

 ルーファスが王家の封蝋を示す。

 発行記録を送ってからも、補修と備蓄は続けていた。返答のない朝が来るたび、エドは残りの日数を数え直した。

 今朝も数えた。七日、と。

「中で、読ませてください」

 その声だけで精いっぱいだった。

     *

 執務室の机に、国王の正式な返答が広げられた。

 エドと財務官補佐イルマが並んで座り、向かいにルーファス。グレンとアーデルも椅子を寄せた。

 エドはまず、攻城命令を撤回する一文を読んだ。次に軍の撤収。読み落としがないか、もう一度、初めから目を通す。

 王女の無事と滞在の意思、通行証四一七の発行記録を確認したことが記されていた。

「クラウス殿下は、すでに軍へ撤収の指示を出しておられます」

 ルーファスの説明を聞き、エドは書面を押さえた。指先に、少し力を入れる。

 期限を延ばしたのではない。城を攻める命令そのものが、なくなった。

「……よかった」

 隣でイルマが、静かにうなずいた。

 アーデルは書面の続きを読んでいた。

 帰国しても部屋に閉じ込めない。本人の同意なしに婚姻を進めない。そのうえで、一度、直接話をしたい。

 父からの返事を確かめ、彼女は顔を上げた。

「帰ろう。私も父上と話したい」

 グレンもうなずいた。

「俺も行く」

「グレン様には、王宮への無断侵入について、直接の説明と謝罪を求めておられます」

「分かった。俺がやったことだ」

 ルーファスの言葉に、グレンは姿勢を正して答えた。

 アーデルが、その横顔を見た。

「私が王宮を出た理由も、私から話す」

「おう。一緒に話そう」

 彼女は短くうなずき、ポケットから部屋の鍵を取り出した。

「これは持っていく。帰ってきたら、また使うからな」

「お前の部屋は、そのままにしておく!」

 グレンの返事に、アーデルの口元が緩んだ。鍵を、また自分のポケットへしまう。王宮を逃れた彼女が、今はこの城を帰る場所に選んでいた。

 エドは二人を見てから、書面へ目を戻した。

 戻ってこられるようにして送り出せる。無理に誰かを差し出す必要は、もうなかった。

 ルーファスと、王宮へ向かう日程を決めた。クラウスも同行する。出発は二日後。城を留守にする間の仕事は、筆頭家老ローデンとエドが引き受ける。

 話が済むと、エドは机の端に貼っていた猶予期限の紙をはがした。

 毎日、残りの日数を書いていた紙だ。

 明日は、数えなくてよい。

「エド。ありがとうな」

 顔を上げると、グレンがこちらを見ていた。

「俺が始めた騒ぎを、お前たちが収めてくれた。皆にも、俺から礼を言いたい」

 エドは返事をしようとして、一度うなずくだけになった。

 苦労した話なら、いくらでも出てくる。だが今は、城が残り、皆がいつもの仕事へ戻れる。それが、自分でも驚くほどにうれしかった。

     *

 城下への知らせはローデンが引き受け、各部署へも正式な中止を伝えた。

 午後、エドが執務室へ戻ると、イルマが備蓄の注文書を分けていた。

「追加の注文は止めました。届いた食料は普段の食事に使います。保管しておく分も、無駄にはしません」

「頼む。急に全部なくしても困るからな」

 机の脇には、二人で確かめてきた帳簿が積まれている。

 エドは窓の外を見た。まだ明るい。

「今日、行けるか。城下」

 イルマが顔を上げた。

「はい。行きたい店も、決めました」

 エドは自分の仕事をローデンへ引き継ぎ、急ぎの用件が来たら対応してもらえるよう頼んだ。戻ってくると、イルマは帳簿を閉じて待っていた。

 二人で城門を出た。

 通りでは、食料を売る商人が店先の札を書き直していた。『籠城に備えよう』を消し、『平和を祝おう』と書いている。

 その下に積まれた保存食は、同じだった。

「どっちにしても売るんですね」

 イルマが小さく言った。エドは笑いかけたが、商品を見直した。戦がなくなっても売れるなら、商人も困らずに済む。

 売り手の明るい声を聞きながら、二人で店の前を通り過ぎた。

 歩きながら、エドは何度か腰へ手をやった。そのたびに文書袋を置いてきたことを思い出す。

「何か忘れましたか」

「いや。書類がないと、落ち着かなくて」

 イルマが、何も持っていない自分の手を見た。

「私もです」

 顔を見合わせ、二人で笑った。ようやく取れた休暇《しょるいからのだっそう》だ。何をするかまで、書類に決めてもらう必要はない。

 イルマが選んだのは、布を扱う店だった。

「仕事着を買うのか?」

「いいえ。休みの日に使う肩掛けを」

 そう答えてから、彼女は一度エドを見た。

「また、こうして出かけたいので」

 エドは店先で立ち止まった。

 一度きりの約束を果たすつもりで来た。彼女は、次に出かけるときのことも考えていた。

「俺も、また来たい」

 イルマが微笑んだ。

 選んだ肩掛けを羽織り、イルマがエドを見た。

「どうでしょう」

「似合ってる。次は、それで来てくれ」

 彼女は肩掛けの端をそっと整え、うなずいた。

     *

 夕方、二人が城へ戻ると、廊下にグレンとアーデルがいた。

 侍女長マルタが、旅に持っていく二人の上着を広げている。

「お帰り。城主様たちの支度も、今のうちに済ませておこうと思ってね」

「助かります。着替えを忘れて行きかねませんから」

 マルタは二人へ、それぞれの上着を渡した。

「着替えは入れた! それから、これだ!」

 グレンが、上着の内側を誇らしげに示した。

 小さな布が縫い付けられている。

 『アーヴェル城 グレン。見つけた方は、城主補佐官エドガーへお知らせください』

 エドは布とグレンの顔を見比べた。

「……マルタさん、これは」

「また連絡もせず、どこかへ行かれたら困るだろう」

 確かに困る。困るが。

「私の分もある」

 アーデルまで上着を広げた。同じ文面で、名前だけが変えてある。

「王家の指輪もお持ちですよね?」

「身元は分かる。しかし、どこへ帰りたいかまでは分からん」

 アーデルは縫い付けられた城の名を指でなぞった。

「これなら、お前の城へ連絡が行くな」

「おう! 迎えも呼べるな!」

 グレンが笑い、アーデルも満足そうにうなずいた。マルタは二人を見て、針箱を閉じた。

「二人そろって迷子札を喜ぶな!」

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