第24話 本気で相手をしてくれ
「寝台を、もう少し窓から離してはどうだ」
手洗いを終えたクラウスは、妹の部屋へ入るなり言った。
「朝、明るいほうがよい。私がここに置いた」
「では、窓を小さく――」
「部屋を暗くしないでくれ」
兄の指が、窓と寝台の間で止まった。
グレンが寝台の端を少し持ち上げた。
「動かして比べてみるか?」
「城主様、まず、使っている本人に聞いてください」
「ここがよい」
「おう!」
グレンが寝台を下ろした。クラウスも、窓を指していた手を下ろす。王太子と城主が二人いて、部屋の主に二人とも止められていた。
エドはそっと息を吐いた。部屋一つで工事まで始まっては、今日中に訪問が終わらない。
続く食堂では、クラウスが妹のいつもの席を確かめた。
「グレンは向かいに座る。食べながら話せるからな」
アーデルの説明を聞いた兄は、向かいの椅子をじっと見た。
座るだけの椅子が、王太子に警戒されている。
*
執務室では、イルマが通行証の台帳と、王太子へ渡す写しを用意していた。
エドはクラウスとルーファスに、不自然に記録が欠けている箇所を示した。調査で確認できたことも、まだ分からないことも説明した。
「四一七の発行者は、まだ特定できていません。原本はこちらに保管し、写しをお渡しします」
ルーファスが台帳と写しを照合し、受け取った日付を書いた。クラウスも記録の欠落を確かめた。
「検問側の記録と突き合わせよう。欠けた記録についても調査は続ける」
その隣で、アーデルが自分の意思で王宮を出て、この城に滞在していると記した書面に署名した。グレンも、王宮へ入り、彼女と脱出した経緯の書面へ署名する。
エドは二枚を王太子の前へ揃えた。
「ご本人たちの説明として、国王陛下へ届けていただけますか」
「私が直接聞いた説明と合わせて届ける」
クラウスは書面を読み、それから妹を見た。
「閉じ込められているのではないことは、よく分かった」
「そうだ。このあと、グレンと勝負をしたい」
兄が眉を寄せた。
「ずっと約束していたのだ。兄上にも見てほしい。私は、こうして暮らしたい」
クラウスはすぐには答えなかった。エドも黙って待った。窓の大きさより、妹がここにいる理由を見てもらえるかもしれない。
「……二人の勝負だけなら、見せてもらおう」
*
中庭の中央で、グレンが木剣を、アーデルが穂先を丸めた稽古槍を構えた。
立ち会うドーガンが、先に有効な一撃を当てたほうの勝ち、と決めた。周囲の荷をどかし、エドたちは壁際へ下がる。イルマも仕事を区切って見に来た。
「妹が転んだ場合は――」
「わしが止める。殿下は、そこから動かんでください」
ドーガンはクラウスの椅子を指した。王太子は腰を下ろしたが、両手を膝に置き、今にも立ち上がりそうだった。
エドはその横へ立った。城主と王女の勝負が、兄の乱入で終わるのだけは避けたい。
「手加減はいらない。勝ちに来てくれ」
アーデルの声に、グレンが笑った。
「そのつもりだ!」
槍を構えたまま、彼女の頬が赤くなる。
「よい返事だ」
クラウスの口が開いた。妹の戦意を見せられた兄の顔だった。
開始の合図と同時に、槍が伸びた。
木剣が弾く。乾いた音が中庭に響いた。アーデルはすぐに槍を引き、次の突きを放つ。グレンが剣で押し返しても、穂先は間を置かず戻ってきた。
エドは口を閉じた。二人が楽しそうだ、などと考えていられたのは始まる前だけだった。木と木がぶつかるたびに、肩が強張る。
アーデルの槍が、グレンの胸へ伸びた。
グレンは木剣で穂先を外へ弾き、そのまま前へ出た。左手が槍の柄をつかむ。
アーデルが引き戻そうとするより早く、グレンが柄を引いた。彼女の体が前へ傾く。右手の木剣が、その肩を打った。
「そこまで!」
ドーガンの声で、グレンが手を離した。
アーデルは肩を見て、次にグレンを見た。グレンも息を弾ませ、彼女を見ている。
「……私の負けだ」
「次の突きが来る前に、捕まえたかった。何度もは防げん」
アーデルは目を見開いた。握り締めていた槍を下ろすと、口元に笑みが広がった。
「もう一度だ。次は、槍をつかませない」
「おう。俺も違う手で勝つ!」
クラウスが腰を浮かせた。
エドは身構えたが、王太子は妹を見たまま座り直した。
アーデルはまだ笑っていた。兄が止めるかどうかを確かめず、グレンと次の勝負の話をしている。
「あの子は、負けてもあんな顔をするのか」
クラウスの小さな声に、エドはうなずいた。
「本気で相手をしてもらえたのが、うれしいんだと思います」
*
執務室へ戻ると、クラウスは国王への報告へ一文を加えた。
「父上には、攻城の中止を求める」
エドは思わず王太子の顔を見た。
「妹は無事で、自分の意思でここにいる。城を攻めて連れ戻す必要はない、と私から伝える」
アーデルが兄の前へ進んだ。
「私も父上と話したい。だが、帰ったらまた閉じ込められるのでは困る。望まない結婚も断る」
「その希望も添える。私も、お前の話を聞いていただけるよう働きかけよう」
「ありがとう、兄上」
クラウスの表情が緩んだ。妹が差し出した手を、両手で包む。
正式な中止には国王の返答が要る。通行証の調査も残る。攻城まで十六日という期限は、まだ変わらない。それでも、城を攻めるはずの人が、攻めずに済ませるための報告を書いている。
エドはイルマと書面を点検した。彼女は写しの枚数を数え、渡す分と城に残す分を揃える。
「攻城を取りやめてもらえたら、二人で城下へ行かないか」
言ってから、エドは自分の声に驚いた。仕事の用事を、何も考えていなかった。
イルマの指が紙の端で止まる。
「買い出しですか」
「いや。ただ、歩きたい。お前と」
彼女はしばらくエドを見てから、小さくうなずいた。
「では、その日は帳簿を置いていきます」
エドは笑った。終わったあとの予定が、ようやく一つできた。
書面を受け取ったクラウスは、護衛の一人を王宮への早馬に出した。自身もルーファスと残る護衛を連れ、国境で待機している千人のもとへ帰る支度をした。
城門で見送るアーデルに、グレンが声をかけた。
「父親と話しに帰っても、また勝負しに来い」
「次も私が負けたら?」
「何度でも来い。一生相手をしてやる!」
アーデルの顔が赤くなった。クラウスは馬の手綱を持ったまま、ぴたりと止まった。
エドは二人の間へ顔を向けた。
「再戦の約束を求婚みたいにするな!」




