第20話 お兄ちゃん、応援に来たよ
攻城まであと十八日。
王宮を出る前、アーデルがレグナードの武術大会に出場した日。
控室の机には、替えの防具、水差し、布巾、果物が並んでいた。対戦相手の資料を広げる場所がない。
「兄上。欲しいのは、相手の得意な攻めについての情報だ」
「その前に、朝食はどれだけ食べた?」
襟も袖口も隙なく整えた兄クラウスが、果物の皿を妹へ寄せる。
「食べた。武具の点検も済んだ。あとは相手を調べたい」
「そうか。では、防具の留め具をもう一度確認しよう」
「済んだと言った」
兄が胸当てへ手を伸ばす。アーデルが身を引くと、背後の護衛が替えの胸当てを差し出した。
替えを着たいわけではない。
扉が開き、書類を抱えた大会係が頭を下げた。
「殿下、武具の点検が遅れ、開始が間に合いません」
クラウスはすぐ彼へ向き直った。
「次の試合で使う分を先に調べなさい。点検済みの物は控室へ戻し、まだの物と混ぜないように。予備の点検も、両選手の分を同じように進めてくれ」
係がほっとした顔でうなずく。
「承知しました」
「試合順の変更が必要なら、決める前に審判へ相談を」
何を先にすべきか決め、誰に確認するかまで伝える。兄のこういうところは頼もしい。
アーデルは資料を引き出した。
「では、私も準備に――」
「待ちなさい。お前の予備は、もう一組あった方がよいな」
帰りかけた係が、扉の前で止まった。
*
クラウスは、アーデルの資料の上へ別の紙を広げた。
表題は『応援計画』。
控室から試合場までの道に、護衛を立たせる位置が記してある。妹の前後に付き添う者まで、別にいた。
「何かあれば、すぐ対応できる」
「私が知りたいのは、試合中に相手がどう動くかだ」
「試合前後の安全も大事だろう」
兄は真剣だった。大会の進行を整えたときと、同じ顔をしている。
「兄上。私は一人で試合場へ行ける」
「分かっている。護衛は二人に減らそう」
兄が紙の印をいくつも消し、満足そうにペンを置いた。
大幅に譲った、という顔だった。
「二人では、一人にならん」
「二人は付き添うだけだ」
「その付き添いがいらないと言っている」
アーデルは紙の下から対戦相手の資料を抜いた。
長槍を使う相手だ。攻めをしのがれても、続けて突いてくるらしい。間合いを詰めれば引くのか、それとも押し返してくるか。試してみたい。
胸当てに兄の指が触れた。
「緩んでいないか?」
「さっきと同じだ」
「動いたからな」
動くたびに点検されていたら、相手の前へ行くまでに一日かかる。
アーデルは資料を置き、兄の手を胸当てから外した。
「私は、この防具で戦う。替えは控室に置いてくれ。護衛は試合場の外へ。中では相手と私だけにしてほしい」
クラウスの眉が下がった。
「お前の強さを疑っているわけではない」
「なら、私が準備したとおりに戦わせてくれ」
兄は手を離した。まだ何か言いたそうに口を開いたが、アーデルが資料を持ち直すと、閉じた。
心配してくれることは分かっている。けれど、万一の怪我ばかり確かめられると、自分まで負けるために支度をしている気になる。
勝つための準備をさせてほしかった。
「姫様、次の試合です」
呼びに来た係へ、アーデルはうなずいた。
自分で槍を取り、扉へ向かう。護衛たちは兄を見た。
「……外で待機しなさい」
ようやく、通り道が空いた。
「アーデル、水を飲んでから――」
「飲んだ!」
アーデルは振り返って答え、今度こそ試合場へ出た。
*
袖を肘まで巻いた対戦相手が、木槍を持って礼をした。
アーデルも槍を立て、礼を返す。相手の目は、彼女の槍先を見ていた。兄のいる席も、護衛の数も見ていない。
それでいい。
開始の合図と同時に、相手が踏み込んだ。
正面への突きを横へ払う。相手はすぐ槍を引き、もう一度、今度は肩を狙ってきた。
アーデルは半歩退いて避けた。相手は追ってくる。資料どおり、攻めを途切れさせない。
なら、こちらから近づいたらどうする。
次の突きを払うと同時に、アーデルは一歩前へ出た。
相手は下がらず、槍の柄で押し返そうとする。アーデルはその柄を、自分の槍で下から跳ね上げた。
相手の槍先が上を向く。空いた胸元へ、アーデルが槍を突き出した。
木の穂先が胸当てを打ち、審判が止める。
「勝者、アーデル!」
相手も武器を下ろし、深くうなずいた。最後まで勝ちを取りに来てくれた。短い勝負だったが、もっと試したい攻めがある。
アーデルは笑って槍を下げた。
「見事だ、アーデル!」
兄が立ち上がり、大きく手を叩いていた。自分が勝ったような笑顔だ。
見ていてくれた。そのことは、素直に嬉しかった。
ところが、彼女が兄の方へ歩くと、拍手が止まった。
「肩は?」
「当たっていない」
「胸は?」
「当たったのは相手の胸だ」
兄はようやく息をついた。すぐに布巾を取る。
「汗を拭こう」
「それは自分でやる」
アーデルは布巾だけ受け取り、礼を言いに来た相手へ向き直った。
「よい相手だった。次も手合わせを頼みたい」
兄の笑顔が消えた。布巾を渡した形のまま、手だけが残っている。
「次も?」
「もう一度、今の連続攻撃を受けてみたい」
「今、お前の肩を狙った男だぞ」
「そういう試合だ」
相手が、兄とアーデルを交互に見た。姿勢を正して口を開きかけた、その前に兄が言った。
「お兄ちゃん、許さないからね!」
「手合わせの約束だ。何を心配している」
「試合は終わったのに、そんなに楽しそうに話す必要があるのか!」
アーデルは額を押さえた。
勝てば褒めてくれる。怪我をしなければ喜んでくれる。けれど、誰と戦いたいかまで兄に決められたくはない。
彼女は相手へ礼を返し、自分の槍を持った。
「兄上。応援は嬉しい。次は、準備の間だけ静かにしていてくれ」
「もちろんだ。必要な物は、先に全部揃えておこう」
兄は力強くうなずいた。
話が通じたようで、次の控室が心配になった。
*
アーヴェル城の執務室で、アーデルは話を終えた。
「俺も見たかったぞ、その試合!」
グレンが身を乗り出した。
「次はお前が相手だ」
「おう! お前には絶対に勝つ!」
アーデルの頬が熱くなった。この男に勝利を喜ばれるのも、全力で倒すと言われるのも、どちらも嬉しい。
エドが書類を片付け、イルマの帳面を置く場所を空けた。
「さっきの見積もり、ここで一緒に見よう」
イルマがうなずき、隣へ座る。エドは彼女が帳面を広げるのを待ってから、見積書を二人の間に置いた。
「その大会で、一番手こずったのは?」
エドの問いに、アーデルは即答した。
「兄上だ。相手に勝てば試合は終わる。兄上は、勝ったあとも心配をやめん」
「一番の難敵が応援席にいる!」




