第19話 敵国の商人に頼みがある
攻城まであと十八日。
「手紙は一通です」
エドは、執務室の机に並んだ二枚の書類を見た。
「はい。こちらは、手紙を国境まで届ける料金の見積もりです。もう一枚は、帰りに仕入れてくる商品の注文書です」
城内に滞在するレグナードの商人は、まくった袖を直し、にこやかに二枚を重ねた。
会談の具体案を、次に国境へ出る商人の荷車へ託す相談だった。もう帰りの商売まで決まりかけている。
「帰り荷は、まだ頼んでませんよ」
「何も積まずに帰るのは、もったいないでしょう」
隣のルーファスがうなずいた。
「空の荷車を戻すより、必要な物資を運べる方がよいですね」
商人の笑顔が深くなる。
「では、お二人が必要な品をまとめてくだされば」
「俺たちが仕入れまでやる話になってるかな?」
「ご希望が決まっていなければ、見本を。布、縄、釘などは?」
商人が鞄から次々と品を出した。ルーファスが会談の下書きを持ち上げると、その空いた場所に釘の袋が載る。
「場所を空けていただいて、助かります」
商人が笑いかけた。ルーファスは礼儀正しく微笑み、下書きを抱える腕だけを引いた。
「手紙を頼む机が、売り場になってる!」
エドが釘の袋をどけると、イルマの手が横から伸びた。
「運賃は確認します。商品の注文は、城の在庫を調べてからです」
財務官補佐は、演習後の柵の点検を記した帳面を脇へ置き、注文書を商人へ戻した。
「まだ買うと決めていません。注文書に城の名前まで書かないでください」
商人は紙をのぞき込んだ。笑顔のまま、注文主の欄へ指を置く。
「すぐ注文していただけるようにと思いまして」
「その前に、商品の見積もりをお願いします」
イルマは注文書を裏返した。エドは、手紙の運賃の見積書だけを彼女の前へ揃える。俺が止めるより早い。買う約束をしたことにならずに済んだ。
*
「引き受けていただけるんですね」
エドが尋ねると、商人は今度こそ料金の紙を伏せた。
「戦になったら、こちらの買い手にも、向こうの売り手にも会えません。荷だけあっても商売にはなりませんから」
机の隅の荷札を、商人の指が揃えた。
「ここに残ってよいと言っていただいた分は、働きますよ。運賃をいただく分も」
「そこは別なんですね」
「長く働くには大事です」
エドは少し笑った。
敵国の人間だというだけで追い出さずに済んだ。その先で、また両国を行き来したいと言ってくれる人がいる。頼むのをためらっていた自分の方が、国境を意識しすぎていたのかもしれない。
商人が布と縄を鞄へ戻し、机の中央を空けた。今度は、書状を置くための場所だった。
エドも会談の下書きを受け取った。互いに困ることが分かれば、違う国の人とも、こうして同じ机につける。
ルーファスが封筒を机に置いた。
「国境から殿下への取次ぎは、私が手配します。封は開かず、そのままお渡しください」
「承知しました。で、返書は、どちらへ?」
「私へ」
「受け取ったら、こちらでも確認します」
エドが続けると、商人は二人を見比べ、帳面にエドの名を書いた。
「では、お問い合わせはまとめてエド様へ」
「今、二人とも話したでしょう」
「最後に確認する方へ出せば、一度で済みます」
「俺が全部答えることになるだろ!」
ルーファスが商人の帳面をそっと自分の方へ寄せ、自分の名も書いた。
「レグナード側への連絡は私です。国境を越えた仕事まで、エド様へお渡しできません」
ありがたい。エドは深くうなずいた。
「国境の手前なら、私からお願いすることもありますが」
「今は、その話を広げないでください」
*
グレンとアーデルが席に着き、会談の提案を確かめた。
場所は国境検問所。日時は返書で相談する。出席はクラウス王太子、グレン、アーデルに、双方の補佐一名ずつ。城側はエド、レグナード側はルーファスの出席を提案する。
「まず、アーデル様から、ご自身の意思と同行の事情を。その後、城主様の説明を伺う形にします」
エドの説明に、グレンはうなずいた。
「壁を越えたのは俺だ。そこは、俺が話す」
「王宮を出ると決めたのは私だ。私の代わりに謝る必要はない」
アーデルはグレンへ向き直った。
「兄上には、私から話したい。途中で口を挟まず、聞いていてくれ」
「分かった。お前の話が終わるまで待つ」
グレンは、手元の提案書へ目を戻した。
エドは二人を見た。守ると宣言して話を引き取るかと思っていた。けれど、グレンは彼女が自分で説明したいと言えば、あっさり譲る。
アーデルも、すぐには紙へ目を戻さなかった。グレンの横顔を見て、張っていた肩をそっと下ろす。
「お前の番になったら、私も聞く」
「おう。逃げずに話すぞ!」
その声なら、国境の向こうにも届きそうだった。会談では、少し音量を下げてもらおう。
「その後、帰国と通行証の調査について、要求への対応を確認します。会談を申し入れても、攻城の期限は変わりません」
ルーファスが念を押し、全員で文面を確かめる。
エドは別の紙に、問い合わせ先を書き分けた。レグナード側の連絡はルーファス。城側の調整は自分。費用と納入はイルマ。
「金額の約束は、俺を挟まずイルマへお願いします。俺より正確です」
イルマがペンを止め、エドを見た。
「あなたが値段を確かめずに買う約束をすると、私があとで予算を組み直すことになります」
「分かった。お前に聞いてから決める」
エドは、まだ空いている帰り荷の欄を彼女へ向けた。
イルマの口元が、ほんの少し緩む。いつも彼女に約束の後始末を頼んでいた。今度は、決める前から一緒に考えられる。
紙を間に置いて向き合うだけなのに、返事を待つのが妙に楽しかった。
*
写しを残して封をし、荷車まで見送った。商人は封書を濡れないよう包み、運び手に引き渡した。荷車が城門へ向かう。
会談の具体案は送れた。次は、クラウスの返書を待つ。
「兄上は、進め方の相談にはすぐ答えるだろう。私の話になると、確認が増えるが」
アーデルが、去っていく荷車を見ながら言った。
「以前にも、そういうことが?」
エドが尋ねると、彼女は眉を寄せた。
「大会に出たときもそうだった。試合の準備をしたいのに、兄上の確認が終わらなくてな」
兄君の話は、詳しく聞いておいた方がよさそうだ。
エドが戻ろうとすると、商人が問い合わせ先の紙を差し出した。
「この下に、夜の受付も足しておきました」
末尾には、両国共通窓口と書いてある。
「昼は国ごと、夜はまとめて。エド様の執務室は、いつも灯りがついておりますから」
エドは商人を見た。ルーファスも、紙を見たまま眉を寄せた。
グレンだけが、嬉しそうに紙をのぞき込んだ。
「助かるな! 俺に来た相談も、夜ならそこへ回せるぞ!」
エドは、勝手に足された一行をペンで消した。
「敵味方で俺の残業を共有するな!」




