第2話 城主がいません
ずいぶん気軽に言ったな。
来月の天気か、新しい店の開店予定を告げるような口調だった。
落とされるのは、この城である。
エドは、レグナード国王の要求書と、その向こうに座るルーファスを交互に見た。
「一言でとお願いしましたが、もう少し手心を加えることはできませんでしたか」
「期限と結果を簡潔に申し上げたつもりです」
「簡潔すぎて、城壁に穴が開きそうです」
「まだ開いておりません」
「来月開けるという話をしているんです」
ルーファスは申し訳なさそうに目を伏せた。
表情だけなら、茶をこぼした客である。
持ってきたのは一万本単位の矢かもしれないが。
「王女殿下の所在と、通行証四一七の発行記録が確認できれば、軍事行動を避けられる可能性はあります」
「そこまでは理解しています」
「では、まずグレン辺境伯に通行証についてご確認を」
「あー……」
確認できれば、そうしている。
できないから、エドは城主の椅子に座り、敵国の使者へ茶を勧めているのだ。
エドは一度、扉のそばに立つ侍女を見た。侍女は無言で一礼し、部屋を出ていった。
「お呼びするのですか」
「呼んで来られるものなら、ぜひ私にもやり方を教えてください」
ルーファスの眉が、わずかに寄った。
「先ほど、所用で席を外していると」
「所用です」
「いつお戻りに?」
「十日前に出て、それきりです」
ルーファスは動かなかった。
ただ、外交官として整えられていた顔に、まじかコイツみたいな表情を浮かべていた。
「城主が、いないのですか」
「はい」
「十日前から?」
「はい」
「行き先は」
「分かりません」
「供の者は」
「いません」
「では、あなた方は城主が行方不明のまま、王女殿下を三十日以内に捜し、通行証の説明をし、必要なら籠城するおつもりですか」
「一つずつ言ってください。まとめると現実味が増します」
*
ほどなく、三人の重臣が応接室へ入ってきた。
先頭は筆頭家老ローデン・ヘイル。エドガーの父であり、先代ガレスの補佐官を務めた人物だ。襟元まで隙なく整えた上着と穏やかな目元は、これから息子へ仕事を渡す人間のものには見えない。
その後ろには城兵隊長ドーガン。古びた剣帯へ片手を添え、扉をくぐったあとも兵士のように背筋を伸ばしている。
最後は侍女長マルタだった。動きやすく袖を留めた侍女服に、大きな鍵束を提げている。鍵は歩くたびに鳴ったが、本人が視線を向けると、なぜか部屋の方が静かになった。
三人はルーファスへ礼をした。
「事情は伺いました」
ローデンが、エドによく似た落ち着いた口調で言った。
「王女殿下の失踪に加え、通行証の問題とは。難しいことになりましたな」
「父上。難しくした側の問題も説明してください」
「グレン様のことか?」
「ほかに城主がいますか」
ローデンは少し考えた。
「今回は長いな」
「十日ですからね」
「前回までより念入りに捜すべきだろう」
ルーファスがエドを見た。
今、前回までと言いましたか。
その視線は、今度こそ正確に読めた。
エドは小さくうなずいた。
言いました。残念ながら。
ローデンがルーファスへ向き直った。
「ご安心ください、ルーファス殿」
ローデンは壁際の書棚へ歩み寄り、分厚い革表紙の冊子を抜いた。
表紙には、金の文字で題名が押されている。
『城主失踪時対応マニュアル』
敵国の外交官が、初めて礼儀を忘れて冊子を凝視した。
「そのようなものが?」
「先代ガレス様の時代に整備されました。全三十六項です」
「三十六も」
「城主がいなくなる理由は、一つとは限りませんので」
納得しないでほしかった。
敵国に、辺境伯家とはそういうものだと思われてしまう。
そういうものではあるのだが、知られる必要はない。
ローデンはマニュアルを開いた。
「第一段階の城内捜索は済んでいる。寝室、執務室、酒蔵、井戸、屋根、厩舎を確認。第二段階として、城下の酒場にも聞き込みを行った」
「どうして屋根を確認する必要があるのですか」
ルーファスが尋ねた。
「マニュアルにあるからです」
ドーガンが答えた。
説明になっていないが、これ以上聞いてはいけないということだけは伝わったらしい。ルーファスは口を閉じた。
「第三段階も、すでに始めている」
ローデンは冊子を閉じ、エドへ差し出した。
「周辺街道、関所、近隣の村へ照会を出した。王女殿下の件もある。捜索範囲を国境まで広げる。指揮は任せた」
「父上は?」
「城内をまとめる」
「私も城内をまとめる立場です」
「実地で覚えるよい機会だ」
王女捜索、外交交渉、通行証の調査に、城主捜索が加わった。
教育熱心な父を持つと、息子はよく育つ。
主に仕事が。
*
「城主様のお部屋は、毎朝整えております」
それまで黙っていたマルタが言った。
「十日間、ずっとですか」
ルーファスが尋ねると、マルタは当然のようにうなずいた。
「いつお戻りになってもよいように。あの方は泥だらけで帰ってきますから、お湯と着替えもすぐ用意できるようにしています」
「戻られると、お思いなのですね」
「戻りますよ」
マルタの答えに迷いはなかった。
「戻ったら、まず座らせます」
「お休みいただくために?」
「説教をするためにです」
心配と怒りは、同時に存在できるらしい。
この城では、たいてい怒りの方が声が大きい。
マルタは鍵束の脇へ差していた、折れ目のついた紙を抜いた。
「それで今朝、机を壁から動かして掃除をしておりましたら、脚と壁の隙間から、これが出てきました」
「書き置きですか」
エドは立ち上がった。
「裏返しで挟まっておりました。白紙だと思って、危うく窓拭きに使うところでした」
「使わなかったんですね」
「城主様の字が見えましたので」
マルタが紙を卓上に置く。
全員が身を寄せた。
紙は便箋を半分に裂いたもので、封も宛名もなかった。置き手紙というより、思いついたことを忘れないための覚え書きに近い。
エドは署名を見る前から、グレンの字だと分かった。線は太く、字と字の間隔はばらばらで、迷いだけがない。剣の振り方と同じだった。
大きく勢いのある文字が、三行だけ並んでいた。
『俺より強いやつに会ってくる。
留守は頼んだ。
グレン』
「強いやつとは、どなたを指しているのですか」
ルーファスが尋ねた。
「分かりません」
「そもそも、人間なのですか」
「人とは書いておらん」
ドーガンが短く答えた。
エドは、もう一度最初の一行を見た。
人間。獣。腕の立つ旅人。何かの比喩。
グレンの場合、どれも同じくらいあり得るのが困る。
沈黙の中、ローデンが感心したように息をついた。
「今回は書き置きがある」
「字も読める」
ドーガンが続けた。
「留守を頼むこともできています」
マルタまでうなずいた。
「褒めている場合ではありません」
エドは紙を両手で持ち上げた。
出かける理由は書いてある。
戻らない理由は分からない。
そして、肝心なことが一つも書かれていない。
「行き先を書け、バカ」




