第1話 来月の予定
敵国の使者は、城門で三度止められた。
一度目は門兵に名と用件を問われ、二度目は持参した書状の封蝋を確かめられた。
そして三度目は、城内へ入ろうとしたところを侍女に呼び止められた。
「お待ちください。泥を落としていただけますか」
使者の外套には、金糸でレグナード王国の紋章が縫いつけられている。
二十年前までなら、その紋章を見ただけで矢が飛んだという。
今日は濡れ布巾を渡された。
平和とは、そういうものなのだろう。たぶん。
城主補佐官エドガー・ヘイルは、応接室の窓からその様子を眺めていた。
「ずいぶん念入りに拭いていますね」
茶器を並べていた侍女が言った。
「素直な方で助かった。敵国の使者と玄関先で揉めた理由が、泥では格好がつかない」
「泥を持ち込まれる方が困ります」
国交より床板が優先された。
少なくとも、この城では。
*
ほどなく扉が開き、使者が入ってきた。
「レグナード王国使節、ルーファス・ベルンと申します。先ほどは、この城の入城作法をご教示いただき、感謝します」
「作法ではありません。泥を落とさないと侍女長に叱られるだけです」
「平和なのですね」
「そうです。そうですが、今の話から導く結論ではありません」
エドは、茶器のそばに立つ侍女を見た。
入城作法になったそうだぞ。
侍女はエドの靴へ目を落とし、無言で濡れ布巾を差し出した。
違う。そうだけど、そうじゃない。
エドは布巾を受け取らず、使者へ向き直った。
「アーヴェル辺境伯補佐官、エドガー・ヘイルです。長旅、お疲れさまでした」
二人は改めて、儀礼どおりに礼を交わした。
ルーファスは二十代半ばだろう。
淡い金髪を後ろへ撫でつけ、濃紺の外套を隙なく着込んでいる。
帯剣していたが、柄に手を近づける様子はない。
ルーファスは、エドの向かいへ腰を下ろした。
勧められた紅茶へ口をつけ、ほんの少し目を見開く。
「おいしいですね」
「侍女長が、敵国の使者に薄い茶を出せば城の恥だと」
「お気遣いいただいたのですね」
「先ほど、窓からあなたの靴の拭き残しを確認していました」
「厳しい方なのですね」
「この城で一番逆らってはいけない方です」
グレンよりも、とまでは言わなかった。国境を越えてきたばかりの相手に、城内の力関係をすべて教える必要はない。
ひとまず紅茶の味には、両国共通の見解が得られた。
悪くない始まりだった。
使者が持ってきた用件を除けば。
「本来であれば、グレン・アーヴェル辺境伯ご本人へ申し上げるべきことです」
「城主様は所用で席を外しております。私がお聞きします」
嘘ではない。
所用の中身も、戻る時刻も、出かけた先も分からないだけだ。
ルーファスは一度だけ扉へ目を向けたが、追及はしなかった。
*
「四日前、我が国の第一王女アーデル殿下が王宮から姿を消されました」
エドは、膝の上で組んでいた指へ力を入れた。
王族の失踪。
ただの知らせで終わる話ではない。だが、それをアーヴェル城へ伝えに来た理由が分からない。
「殿下がこちらへ向かわれたという情報でも?」
「二日前、殿下と思われる女性が国境を越えています」
「思われる?」
「深く外套を被っていたため、顔を確認した者はいません。ただし、ご本人の名を名乗り、王家の指輪を示したそうです」
「王女が自分の名前を名乗って出国したのですか」
「それを失踪と呼んでよいのかは、我が国でも意見が分かれました」
かなり大事なところで分かれていた。
「同行者は一名。年齢も性別も不明です。二人はレグナード側の検問所で、これを使いました」
ルーファスが懐から一枚の紙を取り出し、卓上へ置いた。
国境通行証の控えだった。
右下に、狼と城壁を組み合わせたアーヴェル辺境伯府の印が押されている。
エドは紙を持ち上げ、窓から差す光へ透かした。
紙質も、透かしも、印の癖も本物に見える。
書類番号は四一七。
発行記録を確認しなければ断言できないが、子供が芋版で作った偽物という望みだけは消えた。
「この通行証を、誰が発行したかは?」
「それを伺いに参りました」
質問がきれいに戻ってきた。
返却は受けつけてもらえそうになかった。
通行証が本物なら、発行した人間がいる。
偽物なら、印と用紙を用意した人間がいる。
どちらにしても、アーヴェル城は無関係です、と笑って済ませられる状況ではない。
エドは通行証を卓上へ戻した。
城主の不在を隠しながら、城主府の印が国外で使われた理由を説明する。
外交とは、ずいぶん無理のある仕事らしい。
「念のため確認しますが、アーデル殿下がご自身の意思で国境を越えられた可能性は?」
「検討しました」
「では、誘拐と決まったわけではないのですね」
「はい。ただ、殿下が自ら出国したと認めれば、王家が王女の動向さえ把握できていなかったことになります」
「誘拐なら、王家ではなく犯人の責任になる」
「それを私の口から申し上げるわけには参りません」
今、ほとんど言った。
*
ルーファスは紅茶をもう一口飲んでから、革筒を取り出した。
中から厚い羊皮紙を抜き、エドの前へ置く。
赤い封蝋には、レグナード王家の双頭鷲。
交易許可証でも、税関への照会でもない。エドが生まれてから、この城へ届いたことのない種類の赤だった。
「レグナード国王陛下から、フォルディア王国およびアーヴェル辺境伯家への正式な要求です」
エドは封を切り、文面へ目を落とした。
一、アーデル王女の所在を調査し、三十日以内に無事帰国させること。
二、国境通行証の発行記録を提出し、グレン・アーヴェル辺境伯本人が事情を説明すること。
三、期限までに履行されない場合、王太子クラウスを総指揮官とする王女捜索軍が国境を越え、アーヴェル城を接収すること。
一つ目を果たすには、王女の居場所を突き止めなければならない。
二つ目を果たすには、まずグレンの居場所を突き止めなければならない。
どちらも、今のエドには分からない。
そして三つ目だけは、こちらが何もしなくても、向こうが勝手に果たしてくれる。
親切な文書だった。
最悪の意味で。
読み進めるにつれ、文面は難しくなった。
和平条約の条項、外交使節の権限、軍事行動の範囲。
丁寧な言葉を幾重にも重ねているのに、中身は一向に穏やかにならない。
エドは最後まで目を通し、羊皮紙を卓上へ戻した。
「一つ、よろしいですか」
「どうぞ」
「王女が見つからず、通行証の説明もできないまま三十日が過ぎれば、王太子殿下の軍がここへ来る」
「はい」
「我々が城門を開けなければ、攻城戦になる」
「そのとおりです」
「今の話を、外交文書に慣れていない者にも分かるよう、一言でお願いします」
ルーファスは静かにカップを置いた。
「この城、来月落としますね」
お読みいただきありがとうございます。
『この城、来月落としますね』、開幕です。
敵国から攻められます。そして城主は行方不明です。
次回、エドがこの知らせを城内へ持ち帰ります。
なお、まともな反応をする者がいるとは限りません。
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皆さまの応援が、この城の防壁になります。たぶん。




