第16話 姫は敵の城でよく眠る
攻城まであと二十日。
「姫様。お休みのところ悪いけど、当番を選んでおくれ」
アーデルは寝台から起き上がった。
少し横になるだけのつもりが、眠っていたらしい。戸口では侍女長マルタが、部屋の鍵と仕事の一覧を持っている。
「王女にも当番があるのか」
「城主にもあるよ。あの子の分は、逃げないうちに決めた」
アーデルは一覧を受け取った。食器運び、物資の仕分け、避難者用の寝具の準備。
何もしなくてよい、と言われるものと思っていた。それで退屈したら、グレンを探しに行くつもりだった。予定が先に見破られている。
「敵国の王女に物資を見せてよいのか」
「盗んだら返してもらう。使ったら帳簿に書く。散らかしたら片づける」
歓待にもほどがある。王女を働かせるにしても、もう少しありがたそうな顔をしてほしい。
「食事は鐘が鳴ったら。食卓に槍は持ち込まない。夜更かしもしないこと」
「夜襲があった場合は」
「敵が来たら起こすよ。それまでは寝ておくれ」
「待つ間に、グレンと稽古をしていても?」
「駄目。あんたたちの稽古で、先に城中が起こされる」
静かな稽古など、グレンに頼む気はなかった。アーデルは黙って窓を開けた。
中庭が見える。窓枠は丈夫で、廊下へ出れば階段も近い。
「よい部屋だ。窓から降りて、すぐ合流できる」
マルタは『よい部屋』にうなずきかけ、『窓から降りる』で真顔に戻った。
「寝る部屋を、出撃口として褒めるんじゃないよ」
*
物資の仕分けを選び、槍を部屋に置いて倉庫へ向かうと、グレンが叱られていた。
「十二頭分の餌、柵、世話をする人の手間。いただいた時点で、これだけ必要です」
財務官補佐イルマが、帳簿を彼の胸元へ突きつけている。
「でも、山羊はただだったぞ!」
「山羊をいただいた翌日から、山羊の食費がかかります」
贈り物だったのか。アーデルは礼を受け取ったときの自分の顔を思い出し、そっと視線を外した。
「あいつらも腹が減るもんな!」
グレンは、今度こそ分かったという顔でうなずいた。
「俺の飯を分けよう!」
イルマは無言で帳簿を高くした。顔ごと隠されたグレンが、その横からアーデルを見つける。
「おう! 助けに来たか!」
「お前ではなく、食料を助ける」
倉庫の入口には、棚卸し中の麦袋と飼料の袋が並んでいた。どちらも荷札がついているが、運ぶたびに通路で混ざる。
「人の食料は奥。飼料は入口の横だ。運ぶ先も分ければ、取り違えない」
アーデルが袋を指し示すと、エドが振り向いた。
「では、そちらの仕分けをお願いできますか」
「任せろ」
王宮では、どこにいればよいかを告げられた。ここでは、何をしたいかを聞かれた。
彼女が袖をまくると、グレンが横に並ぶ。
「アーデルが決めてくれ。俺が運ぶ!」
「重い袋も私に回せ」
「分かった。手加減はしないぞ!」
アーデルは顔を赤らめた。持ち上げかけた袋を、いったん下ろす。
仕事中にそれを言うのは、少しずるい。顔を戻せ。今は麦だ。目の前の男を倒すための時間ではない。
口元に力を入れすぎたらしく、グレンが心配そうに顔をのぞく。
「重いか?」
「軽い。もっとよこせ」
「おう!」
「物資運びで見つめ合わないでください」
エドの声で、二人はようやく袋を持った。
*
中庭の柵へ草を運び込んでいた者が、声を上げた。
「一頭、出ました!」
開いた出入口から抜けた山羊が、倉庫へ駆けてくる。グレンが両腕を広げた。
「止まれ! そっちはお前の飯じゃない!」
山羊は彼の脇を抜け、麦袋の荷札にかじりついた。
エドが荷札を引っ張る。山羊も引っ張る。
「お前、字も読めないのに何でこれを選ぶ!」
「旅では俺と同じものを食ってたぞ!」
グレンが山羊を弁護した。
「旅の仲間だ。俺だけ飯が違うのは悪い!」
「では、城主様を飼料の側に移しますか」
イルマは帳簿から目を上げなかった。
グレンが、はっとした顔になる。
「そっちなら、一緒に食えるな!」
「草ですよ!」
グレンの笑顔が止まった。
エドが叫んだ隙に、山羊は荷札を少し食べた。
アーデルは入口横の飼料袋から干し草を取り、山羊の鼻先へ差し出した。口が荷札を離れる。そのまま中庭へ誘導し、グレンに柵を閉めさせる。
「餌は先に柵の中へ置け。出入口を開けるのは、山羊が食べ始めてからだ」
「あいつの好物で誘い出したのか!」
グレンは彼女を感心した顔で見た。
アーデルはうなずき、背筋を伸ばした。彼がこちらを見る。次は私の好みを知りたくなったのか。よい。詳しく説明してやろう。
「お前の好物も調べるぞ!」
頬が熱くなる。
「捕まえるためにか」
「飯のとき、喜ぶだろ!」
そういう使い方もあるのか。
捕まえるためなら、喜んで教えられた。喜ばせるためだと言われると、なぜか答えに詰まる。
アーデルは彼を見たまま、返事を忘れた。グレンは待っている。待たれるほど、平然とした顔が作れなくなった。
*
山羊を十二頭数え直し、柵を確認した。食料は倉庫の奥、飼料は中庭へ運びやすい手前。荷札は、山羊の口が届かない高さへ付け直す。
エドが大きな字で『人用』と書いている隣で、イルマが自分の予定表を広げた。
「避難者用の食料の計算は、今夜のうちに済ませます」
「いや、俺もやる。お前、ずっと書いてるだろ」
エドが手を出すと、イルマは予定表を押さえた。
「あなたの仕事も残っています」
「そっちは父上に渡す」
彼女が目を上げた。数字を聞くときよりも、ずっと早い。
「渡せるんですか」
「渡す。父上が俺に渡すときの顔を真似する」
エドは穏やかに微笑んだ。イルマの口元が、ぴくりと動く。
「よく似ています」
「笑ったな。今夜はお前が先に休め」
彼女は予定表の夜の欄を空け、エドの席へ少し寄せた。
アーデルも、仕分けを終えた一覧を畳む。明日は住民を迎える準備だ。自分は通路と荷物の置き場所を見よう。
夕食を取り、そのあと寝る。次の仕事も、自分で選べる。
「アーデル、どうだった?」
グレンが彼女の顔をのぞいた。
「よい城だ。よく眠れる」
「そうか!」
自分を褒められたような顔をするので、もう少し言ってもよい気がした。まだここで手合わせさえしていない。それでも、もう居心地がよい。
「お前と働くのも、悪くない」
グレンは嬉しそうに笑った。アーデルも、今度は口元を隠さなかった。
「山羊も働けば、餌代を稼げるな! 草を食えば、草刈りになる!」
イルマが顔を上げた。山羊を見る目が、急に優しくなる。
「では、除草係として雇いましょう」
「雇う」
エドだけが手を止めた。
イルマは白紙へ『雇用契約書』と記し、グレンに渡した。
彼が柵越しに差し出すと、山羊は紙の端にかじりついた。
「おう! 引き受けてくれるか!」
「契約書を食う奴を雇うな!」




