第15話 決闘より山羊が増えた
王宮を脱出したあと。アーヴェル城へ向かう旅の途中。
街道を外れた林の中で、グレンが剣を抜いた。
「よし。アーデル、手加減はしないぞ」
アーデルは顔を赤らめた。
王女相手に、その言い方。身分も女であることも、遠慮の理由にしていない。
「……もう一度言え」
「手加減はしない」
「よい。たいへん、よい」
口元が緩む。槍を構える前から、こんなに満たされてよいのだろうか。
グレンは首を傾げた。
「嬉しそうだな」
「気にするな。もっと強く言ってもよい」
彼が息を吸ったとき、遠くから二人を捜す声が聞こえた。
アーデルは即座に槍を下げた。
「追っ手だ。移動する」
「倒してから戦うか?」
「増援が来る。人の来ない場所を選ぶべきだ」
追っ手に見つからず、足場がよく、槍を振り回せる広さがある場所。そのうえ、食事も手に入るとなおよい。戦う場所を探しているはずが、泊まる宿を選ぶような条件になってきた。
*
次に見つけた広場では、グレンの腹が鳴った。
「先に飯だ!」
「戦ったあとでは?」
「腹が減ってると、お前に勝てん」
アーデルは、はっとした顔をした。
今のもよい。私を倒すために食事をする男。
「食べろ。私も食べる」
互いを倒す準備だけが、順調に進んでいた。
食料を分けてもらおうと、街道沿いの村へ入る。ところが、畑仕事の道具を持った村人たちが、一か所に集まっていた。
袖をまくった男が、二人へ駆け寄る。
「武器をお持ちなら、助けてくれませんか。山賊が山羊を連れていこうとしているんです」
村の端で、四人の男が山羊の縄を引いていた。一人は棍棒を持ち、近づく村人を追い払っている。
「俺が止める!」
グレンは村人へ剣を預け、歩き出した。
アーデルはその腕をつかむ。
「正面へ一人で行けば、囲まれる」
「だったら、俺が四人を引き受ける。アーデルは山羊を頼む!」
アーデルが手を離すと、グレンは笑って山賊へ近づいた。
「その山羊、置いていけ!」
棍棒を持った男が、歯をむいて笑った。
「お前一人で、俺たち全員を――」
「引き受ける!」
先に答えられ、山賊の笑顔が半端なところで止まった。
アーデルは畑沿いに回った。山羊を押し込んだ囲いの出口は狭く、縄を引く二人と、棒を持つ男が一人。
縄を切れば山羊が村中へ散る。まず出口を空け、村人に柵を閉めてもらう。
「右の二人を、こちらへ寄せるな」
「おう! そっちは任せた!」
グレンに棍棒が振り下ろされた。彼は男の腕をつかみ、後ろへ放り出す。
縄を放した二人が、彼の脇を抜けて逃げようとする。
「待て。山羊を置いていけと言っただけで、逃げていいとは言ってないぞ!」
グレンは二人の襟を両手でつかんだ。
アーデルは槍の柄で出口の棒を払い落とし、男の足を引っかけた。男が転ぶ間に、縄を拾って村人へ渡す。
「柵を閉めろ。人間は外、山羊は中だ」
村人がうなずき、山賊まで中へ押し込もうとする。
「そいつは人間だ」
「山羊を盗む奴は、山羊以下です!」
山賊を縛り終えると、グレンがアーデルを見た。
「お前に任せると、早いな!」
彼女は槍を持ち直した。口元が勝手に上がりそうで、少し困る。
王宮で聞く「お下がりください」より、今のひと言のほうが、ずっと好きだった。
*
村人たちは二人に食事を出した。
グレンは次の料理が盛られるたび、顔を輝かせて礼を言った。
アーデルは、自分の皿からパンを一つ渡した。
「まだ食べられるだろう」
「アーデルの分が減るぞ」
「お前には、万全の状態で私に挑んでもらう」
「そうか! じゃあ、俺の肉も食え!」
彼が肉を彼女の皿へ移す。渡したパンより、明らかに大きい。
何だかおかしくなって、アーデルは笑った。グレンも笑い、空の匙で彼女の皿を指した。
「残すなよ。俺を倒すんだろ」
危うく匙を取り落としかけた。
これほど的確な挑発を、惜しげもなく重ねてくる男がいるとは。
食後、村人が一頭の山羊を連れてきた。
「お礼です。どうか受け取ってください」
「いいのか! ありがとな!」
グレンが縄を受け取ると、別の家からも一頭。その隣の家からも一頭。
アーデルは数えた。十二頭いる。
「待て。運ぶ食料が増えている」
「大丈夫だ。こいつらは自分で歩く!」
グレンは満面の笑みで十二本の縄を握った。山羊は十二方向へ歩き始めた。
男の笑顔が、ゆっくり消えた。
「……まとまって歩かないのか?」
「陣形が必要だ」
アーデルは山羊の前に立つ。
「一列に並べ。足並みを揃えろ」
一頭が鳴いた。
「返事はよい」
その一頭が彼女の外套を噛んだ。
「行動が伴っていない」
グレンが笑いながら布を引き抜く。彼の服も、反対側から噛まれていた。
山羊を追い、縄を束ね直し、旅が再開した頃には、日が傾いていた。
「今日も戦えなかったな!」
「原因はお前の戦果だ」
「俺の城の中庭なら広いぞ。そこまで来い!」
アーデルは彼を見た。村人のために迷わず駆け出した腕が、今は山羊の縄を握っている。
「決闘で私が負けたら、もう一勝負だ。本気で逃げる私を、お前が追いかけて捕まえてほしい」
「勝っても終わらんのか!」
「気に入った強い男が、私を捕らえるためだけに作戦を練る。それが好きなのだ」
言っているうちに、頬が緩んだ。
「花束より、私専用の罠の設計図が欲しい。得意手も逃げ癖も調べた、丁寧なやつだ。こんなに私を見てくれたのかと、胸にくる」
グレンが目を見開いた。
「でも、閉じ込められるのは嫌なんだろ?」
「相手は私が選ぶ。勝ってもいない者に閉じ込められる気はない」
「そうか! じゃあ、俺が全部の逃げ道を塞ぐ!」
アーデルは顔を赤らめ、ゆっくりうなずいた。
「……そんな力任せに。よい。行こう」
戦うためだ。そう思って歩き出したのに、山羊の裾噛みと格闘するグレンから、なかなか目を離せなかった。
*
攻城まであと二十日。アーヴェル城の中庭。
アーデルが話し終えると、イルマは飼育費を書き足した。
「私のために考えた罠が好きなのだ」
「罠」
エドがそこだけ繰り返した。アーデルはうなずく。理解が早い。
エドがイルマの前へ茶を置く。
「俺の休憩を確保するなら、お前の分も入れよう。今日は一緒に休もう」
「……二人分ですね」
イルマの口元が少し緩んだ。彼女は帳簿を閉じ、エドの隣へ座り直した。
グレンが顔を上げた。
「アーデル! 山羊の柵の出口に俺が立てば、罠になるぞ!」
「私に勝ったら、そこへ入れるのか」
アーデルは顔を赤らめた。
「おう! 山羊もお前も、絶対に逃がさん!」
イルマが帳簿を開き直した。
「では、柵は十三頭分に変更します」
アーデルは満足そうにうなずいた。
「私の分も確保するとは」
「姫を頭数に入れるな!」




