第10話 窓から来た貴公子
攻城まであと二十一日。
私はアーデル。レグナード王国の第一王女だ。
武術大会で三度優勝したが、政略結婚を断ったため部屋に閉じ込められた。稽古は禁止、散歩にも許可が要る。
私の槍より、よく知りもしない男との結婚のほうが安全らしい。
これは、攻城予告の四日前の話だ。
その窓から、男が来た。
「よし、着いた! お前がアーデルだな。俺はグレン・アーヴェル。決闘を申し込みに来た!」
私は長槍を取り、男の鼻先へ向けた。
「まず、なぜ窓なのか説明してもらおう」
「正門で申し込んだら帰れと言われたんだ。こっちなら話を聞いてもらえると思ってな」
「入口を変えても、断られた事実は変わらないだろう」
「そうか。もう一度、正門から来るか?」
「来直せとは言っていない」
上等な服に土をつけ、窓枠に両肘を載せている。肩から葉を払う仕草まで堂々としていた。黙って立っていれば、絵物語の貴公子だろう。
惜しい。立ってすらいない。
「私と戦うために、王宮の壁を登ったというのか」
「東で一番強い相手を探してたんだ。お前、武術大会で三度勝ったんだろ? ぜひ一度、手合わせしてくれ!」
槍を向けられているのに、彼は笑っている。
下をのぞくと、梯子も縄もない。壁の出っ張りに足を載せ、腕だけで体を支えていた。
侵入者なのは困る。しかし、これほど強そうな侵入者を追い返すのは、もっと困る。
私は槍先を下げた。
「条件がある。私を王宮の外へ連れ出せ。そうしたら戦おう」
「おう、任せろ!」
男は窓枠を越えた。
「待て。理由を聞かなくていいのか」
「ここじゃ家具が邪魔だもんな。いい椅子だ。壊したらもったいない」
腹立たしいが、彼はすでに椅子をよけている。本当に私を出してくれるのか。
「では、家具を守るために外へ出よう」
槍を握り直す。
今度こそ、自分の足で外へ出る。
*
グレンは扉を引き、開かないと分かると押した。
「鍵がかかっている。外の近衛兵が持っているはずだ」
「なるほど。じゃあ、こっちだな」
彼は蝶番へ指をかけた。
「こっちとは何だ。鍵穴は反対側だぞ」
「鍵は外にあるんだろ? こっちの金具なら、俺の手が届く!」
木が軋み、木ねじが木片ごと抜けた。
気づけば、グレンが扉を一枚抱えている。
開いた。いや、なくなった。
何日も私を閉じ込めていたものが、ただの木の板になっている。笑いがこみ上げた。こんなにも簡単に壊れるものに、私は怯えていたのか。
廊下の近衛兵二人と目が合った。
「殿下! そ、その男は何者です!」
「決闘の相手だ。これから外へ出る」
「なぜ扉を持っている!」
「置く場所がなくてな。ここだと邪魔だろ?」
「そういうことを聞いているのではない!」
剣が抜かれた。私は槍の柄で一人の手首を打ち、剣を落とす。もう一人がグレンへ踏み込んだ。
「おっと!」
グレンが扉を立てた。兵士は鼻をぶつけ、しゃがみ込む。
「いい扉だな。盾にもなるぞ!」
「持っていくつもりなら反対する。階段の角で引っかかる」
「横にすれば通れそうだ」
「試合前に腕を疲れさせるな」
「それもそうだ!」
彼は扉を壁に立てかけた。
奥の階段へ走る。正面からは兵が上がってくる。狭いほうを下りれば庭へ抜けられる。
「近衛兵は殺すな。私の都合で巻き込まれた者たちだ」
「分かった。道を教えてくれ。前は俺がやる!」
階段の下に現れた兵士の腕を押さえ、グレンは足を払った。倒れる背中まで支えて床へ下ろす。
「そこで寝ててくれ。階段から落ちると危ないからな」
「侵入者に心配される筋合いはない!」
私は笑いを噛み殺し、彼の背中を追った。
*
庭では、近衛兵が正門への道を塞いでいた。
「さすが王宮だな。まだこんなにいる!」
「感心している場合ではない。左の塀を越えるぞ」
「なら先に行け。俺が引きつけて、あとから追う!」
グレンが兵の列へ向き直る。
私はその袖をつかんだ。
「却下だ。お前が捕まれば決闘できないではないか」
「ああ、それは困るな!」
「二人で抜ける。私が道を選ぶ。お前は、追いついた者だけを止めろ」
「よし、任せた!」
彼はすぐ隣へ戻ってきた。
私たちは左へ駆けた。追ってきた兵の剣を槍で跳ね上げ、グレンがその腕をつかんで後ろの兵へ押し戻す。
追手がもつれた隙に塀へ着いた。
彼が腰を落とし、両手を組む。
「ほら、乗れ! あとは上に押し上げるぞ!」
「投げるなよ。足首を捻れば踏み込みが鈍る。お前に有利な試合になるだろう」
「分かった。ゆっくり飛ばす!」
「飛ばすなと言っている!」
実際には静かに持ち上げた。言葉だけが不安な男だ。
塀へ肘をかけ、槍を外へ落とす。グレンも跳び、縁をつかんだ。私はその手首を引いた。
「重いな。扉を置いてくれて助かった」
「おう。決闘のためだからな!」
引き上げ、二人で外へ下りた。
足が地面に触れた。
王宮の外。見張りの目も、許可を求める扉もない。風が頬を撫で、土の匂いがする。どこへ行くかを、誰かに決められていない。
私は槍を拾い、走った。王宮が見えなくなっても、頬が緩むのを止められない。
出た。私が出たかった場所へ、自分で出た。
いや、グレンと一緒に出た。
「見ろ、広いぞ! 家具もない!」
グレンが道脇の空き地を指さした。平らな地面。槍を振っても枝に当たらない。
私は石突で地面に線を引いた。
「この線を越えたほうが負けだ。追手が来たら中断して、次の場所で続ける」
「おう! それなら逃げながらでも戦えるな!」
王女だからでも、強いからでもない。ただ私が戦いたいと言ったから、彼はそれを受け入れている。
「では、お前はあそこへ立て。私は――」
王宮の方角から笛が鳴った。
私たちは振り向き、また走りだした。
「惜しかったなあ。もう少し静かに追ってきてくれればいいのに」
「追手に気遣いを求めるな!」
今度は、声に出して笑った。
逃げているのに、追われているのに、胸が軽い。
自由とは、何も恐れないことではないのかもしれない。恐れながらも、自分で走る方向を選べることだ。そして今、私の隣には、私の選択を疑わずについてくる男がいる。
「よし! 今度こそ思いきり戦おうな!」
「ああ。逃げ切ったら、覚悟しておけ」
もう、角を曲がるのに許可はいらない。
私は槍を握り、グレンの背中を追った。
*
アーヴェル城の応接室で、私は説明を終えた。
「……王宮の扉は、そのままですか」
エドが額を押さえている。
「ああ、壁に立ててきた。通行の邪魔にはなってないぞ!」
グレンの返事に、私は補足した。
「蝶番を強くすれば、グレンの鍛錬にも使える。修繕の際に提案しよう」
「王宮の扉を鍛錬道具にするな!」




