其之捌 1月4日 ペンと弓と 一射入魂
俺はその人をじいちゃんと呼んでいたんだ。
本名は知らなかった。
ばあちゃんから話を聞く、その時までは。
だって、じいちゃんはじいちゃんでしょ。
「ソウ。お前、イタズラしてねえか? コタツの電源が入らねえんだけど」
「俺はそんなことしてないよ。機嫌が悪いか、情緒不安定か。どっちかじゃない?
ああ。ついたよ」
「あれ、なんでだ!? おかしいな、さっきは確かに……」
「そのコタツって、ヤスみたいだよね」
「誰が情緒不安定だ!」
ポコッ。ポコッ。ポコッ。
じいちゃんはいつも、竹箒を持って寺の境内を掃除してた。
秋になるとイチョウの葉を集めて、焼き芋を作ってくれたりしてね。
落ち葉の焚き火に、煙がもくもく出てるのを見ているのは面白かったよ。
でも俺たちが、小学一年生のある日。
突然倒れて、そのままいっちゃったんだ。
だからじいちゃん本人との思い出は、そんなに多くないんだ。
「筋肉痛で、ペンも持てん。ソウ。マッサージしてくれ」
ヤスはそろそろ、課題をやらないと間に合わないと思ったみたい。
でもコタツのテーブルの上で色々広げたままで、ぼんやりしてる。
ヤスは最近ずっと木魚バチ振り回しているし、肩も凝っているのかな。
「いいけど、俺がやると効きすぎるって前に言わなかった?」
「そんなこと、オレ言ったか?」
「言ったよ。昔にね」
ゴリゴリッ。
「あぁっ。ん」
「もう、ヤス。変な声、出さないでよ」
「出したくて、出してるんじゃねえよ! あっそこは。効く、ぜ」
ヤスの無意識の一言は、いつも俺の真ん中を正確に当ててくる。
いわゆる、第六感ってやつだろうか。
俺は相手の気とか、動作を読む力のことだと思ってる。
だから向かい合っただけで気圧されたり、心を読まれたような錯覚を起こすんだ。
面白いよね、剣道って。
「俺がやりにくいから、ヤスはちょっと黙っててくれる。
集中出来ないから」
「お、おう? 善処するぜ。んっ……ふぅ」
あ、ダメだコレ。
俺はヤスの肩に添えた両手はそのままで、ゆっくり目を閉じた。
心で足踏みを揃えて、胴を据える。
弓構え。
指先から伝わる矢の重みを感じながら、弓を番える。
平家物語の那須与一って、あなたは知っているかな。
扇の的を一射で射抜いた、弓の名手ね。
彼は十一人兄弟の末っ子でさ。
名前は十の余りで、与一なんだって。
家族と縁を切って、源氏側についた人なんだ。
あの扇の的は、与一が全てを賭けた覚悟を描いた場面だと思うんだ。
俺も末っ子だからさ。
何となく親近感がわいてやってみたくなったんだ。
ゆっくりと拳を前へ。
打ち起こした視界の先に、ヤスはいない。
あるのは的だけだ。
俺の心の、真ん中にあるもの。
キリキリ。
大三、そして引き分け。
弦を限界まで引き絞ると、俺自身が空間に溶けていく。
この「会」の瞬間が、俺は好きなんだ。
ザシュッ。
弓道部礼節・掌の小説ーー!
残心。
的の中心を射抜いたかは、見えなくて構わない。
ただ指先から抜けていった重さと振動が、俺の真ん中を支えてくれる。
何者でもない、俺自身を。
今はそれが凄く、心強いんだ。
「ソウはやっぱり、ホラーゲーと歌以外はオレより上手いな。スキル配分、おかしくねえか?」
「ははは、何だよそれ。ヤスだってたくさん、持ってるでしょ。
努力とか根性とか」
「そんな泥臭いスキルはいらねえんだよ!
ステータスで突出してるのは、運だけだしよ。
まあ感謝する瞬間が、ないこともないけどな」
弓道においての第六感は、弓矢と的と心が三位一体となって同化する。
その瞬間を感じ取れるかどうか。
自分の意志で放つようで、そうじゃない狭間の時間。
そこに自分自身が真っ直ぐ立てるかどうか。
そういうことなのかなって、俺は思ってる。
まあ俺の、勝手な自論だけどね。
俺は漱石が抱えている深い思想よりも。
どうしようもなく。
自分の醜い部分さえ、美しく描いてしまう康成の志が好きなんだ。
剣道も弓道も、姿勢が大事だからね。
だから俺が、礼節で康成を借りてることはヤスには内緒だよ。
俺の声が聞こえるあなただから、話したんだ。
誰にも言わないでね、約束だよ。
「マッサージが得意な幼馴染がいて、よかったね」
「うるせえ、バカ! 黙ってろって言ったのお前だろ! 本気で殴ぞ!」
ポコッ。ポコッ。ポコッ。
ちなみにヤスが熱を出した、その日。
ばあちゃんが蜜柑の皮を剥きながら、教えてくれたんだ。
リイチさんはね、って。
俺はその時、初めて知ったんだ。
じいちゃんの名前がリイチだって言うことと。
川端康成に横光利一って名前の、親友がいたことをね。
「はいはい。そうだったね。じゃあ黙ってるよ」
「……ったく。わかれば、いいんだよ」
ヤスの肩や腕を揉んであげていると、俺も心が軽くなる気がしてくる。
不思議だよね。
マッサージしやすいように座る位置を変えたら、和室の壁に何か貼ってあるのに気が付いた。
それはチラシだった。
丁寧にマスキングテープで留めてある。
映画『るろうに剣心ー京都大火編ー』。
ヤスと初めて一緒に観た映画だった。
何で今まで気が付かなかったんだろう。
武道館で練習試合をした後に、そのまま地下鉄に乗って映画館へ行ったんだよね。
エレベーターや座席に移動する時、すごく恥ずかしかったのも覚えてる。
リュック型の防具袋と竹刀袋が邪魔でさ。
あれ、弓道部じゃないのかって?
中学の時は、俺も剣道部だったんだよ。
でもヤスと同じ高校、行けなかったからさ。
剣道をやる気にはどうしても、なれなくて。
だって戦友じゃなくて、対戦相手になっちゃうだろ。
俺はそんなのは絶対、嫌だったから。
でも剣道を嫌いになった訳じゃないんだよ。
俺も今でも好きなんだ。
でも好きだからこそ、続けるのが難しいことってあるでしょ。
あなたにもそういう経験、あるかな。
だから今も続けてるヤスは、凄いなって。
俺は本当に、そう思うんだ。
「ソウ、サンキュ。だいぶラクになったぜ」
「そう? よかった。これで勉強に集中出来るね」
あの頃のヤスと俺がそこにいるみたいで、俺は近くで見てみた。
そしたら、違和感に気付いた。
裏側の壁には小さな穴があいていたんだ。
ヤスはこれを隠すために、貼ったのかな。
それとも。
「オレは課題やるけど、ソウは好きなことしてていいぞ」
「……ううん、ヤスと一緒に遊びたいから。終わるまで、待ってるよ」
「ひとり遊びも出来ないのか、お前は。
器用なのか不器用なのか、どっちなんだ。まあ、いいけどよ」
どうして穴があいているのか聞きたかったけど、ヤスの邪魔をしたくなかったから。
俺は黙って背中を預けて、窓の外の景色を見ていることにした。
薄暗い空模様で、降っているのは雨なのか雪なのかよく分からなかった。
でもヤスの背中から伝わる体温が熱くて。
何だか俺の心の篝火みたいに感じられた。
そういえば、この前はごめんね。
怖がらせたりして。
こっちの天国がどこにあるかって?
……さあ、どこだろうね。
俺が知ってるのは、冬休みのことだけだから。
どういう意味かって?
……すぐにわかるよ。
ザシュッ。




