第4話:帰らぬ英雄と不当労働のジム
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「まだ帰ってこないな」
友人は、ジムの画面を指先で弾きながらぼやいた。あの日、私たちは全力を尽くして育てたポケモンを、近所の公園にあるジムに配置した。彼らは配置された当初、誇らしげにジムの頂でその存在を主張していたが、いつの間にか一週間が過ぎ、二週間が過ぎ……今やその姿は、ジムの歴史の一部のように風景に溶け込んでいる。
「これ、不当労働じゃないか?」
友人は冷めた目で呟いた。配置して8時間20分。そこでその日に受け取れる50コインの上限に達する。それ以降は、どれだけ攻撃に耐えようが、どれだけ過酷な環境で立ち尽くそうが、得られるコインはゼロ。完全にタダ働きだ。本来、ポケモンとは勝つために育てるものではないのか。しかし、このジムというジムに鎮座した瞬間、彼らは永遠に負けを待つだけの存在へと成り下がる。
「勝者を閉じ込めて、負けを待つ。こんな搾取がどこにある?」
ジムは、もはや戦いの場ではない。この住宅街の端っこ、人通りの少ない過疎地という名の、終わりのない監獄だ。プレイヤーの労力を吸い上げ、コインという対価を支払うことなく、ただシステムの安定のために彼らを立たせ続ける巨大な収奪システム。私たちは、自分たちの育てた相棒たちが、誰か通りすがりのトレーナーに倒されるのを、指をくわえて祈るように待っている。
「勝つことが目的のゲームで、勝つと追い出される。負けて帰ってくるのを待つなんて、歪んでるよ」
友人の言葉に、胸の奥がチクリと痛んだ。私たちは、このゲームを遊びたくて始めたはずだった。だが、いつの間にか私たちは「労働力」を管理する搾取側の人間になっていたのだ。自分たちの相棒が、このジムという名の過酷な職場で、どれほどの疲労を蓄積させているのか。画面の中で、彼らはただ虚空を見つめ、無表情に立ち続けている。
「……そうだ。あいつに頼もう」
友人がふと思いついたように呟いた。私たちと違う色のチームに所属している、別の友人のことだ。同じチームの私たちは、どうあがいても自分たちの配置したポケモンを攻撃することができない。仕様の壁が、私たちをジムの管理者として固定している。だからこそ、敵対色のあいつに連絡を入れ、この過疎ジムまで来てもらうしかない。私たちは「解放」という名の、自分たちのポケモンを倒してもらう作業を依頼することにした。そう決意したとき、スマホの中の相棒が、画面のこちら側をちらりと見て、少しだけ寂しげに笑ったような気がした。彼らもまた、この過酷な労働から解放されたがっているのだと、その時初めて知った。
私たちは指定された場所で待ち合わせた。友人が到着し、慣れた手つきでジムを攻撃し始める。激しいタップが続く。相手のポケモンを何度も倒し、ようやく相棒がジムから引きずり下ろされた。その瞬間、道端に野生のポケモンが姿を現した。
私たちは、先ほどまで戦っていた緊張をそのままに、条件反射でボールを構えた。狙いを定め、画面に向かってスワイプする。指先から放たれたボールが空を描き、目的のポケモンにぶつかる。その瞬間、ボールが開き、彼を中に吸い込んだ。
私たちはボールの中で激しく揺れるポケモンを見つめる。捕まえたところで、彼らもまた、いつかどこかのジムという監獄へ送り込まれる運命にある。私たちは、このゲームという名の捕食者だ。捕まえては管理し、不要になれば博士に送り、アメに変える。その循環から逃げられないと分かっていても、指先は次のボールを求めて動いてしまう。
ようやく相棒がジムから戻ってきた。画面に表示された相棒の体力は、ボロボロに減っていた。報酬のコインは、たったの50枚。2週間近くもあのジムで立ち尽くした対価としては、あまりに安すぎる。しかし、彼が戻ってきたという事実だけが、今の私たちには唯一の救いだった。
「次は、もうこんなジムには入れないでおこう」
友人はそう言って、画面に映る相棒を見つめた。しかし、私たちは知っている。このゲームを続ける限り、また別の「ジム」が私たちを待ち構えていることを。また次のポケモンが、8時間20分を過ぎてもなお、報酬の増えない不当労働へと駆り出される日が来ることを。私たちは、システムの歯車として、今日もまた、画面の中の英雄たちを、戦場という名の監獄へ送り込み続ける。
西大島の夜は、相変わらず湿った風を運んでくる。私たちは帰路につきながら、手の中のスマホを見る。そこに収まった英雄たちは、もう何も語らない。ただ、次なる労働を待つかのように、データの檻の中で静かに息を潜めている。




