第3話:工場という名の聖域と、飢餓という名の策略
西大島の夜は相変わらず湿っぽい。街灯の光が、私の手の中にある古い「Pokémon GO Plus +」、私たちが勝手に「ブラプラ」と呼んでいるデバイスをぼんやりと照らしている。使い勝手の悪さは今に始まったことではない。接続はすぐに切れ、ボタンを押すたびに虚しいバイブレーションが響く。しかし、私たちはこれを手放せない。
「なあ。ブラプラがずっと市場から消えている理由、考えたことあるか?」
友人は、冷え切った自販機のコーヒーを口元に寄せながら言った。私は「製造の遅延だろう」と答えた。だが、友人は首を振った。
「違う。製造ラインが止まっているんだよ。理由なんて一つしかない。任天堂が、次世代機である『Switch 2』の生産に、工場のリソースを優先的に割り当てているからだ」
私は耳を疑った。確かに、噂される次世代機の製造数は尋常ではない。ネット上では、すでに数百万台単位での先行製造が水面下で進んでいるという話もある。最新の予測では、任天堂は今年度だけで実に1500万台から2000万台規模の初期出荷分を確保しようとしているとも言われている。これを支えるためには、極めて高度な精密部品を扱う工場をフル稼働させなければならない。任天堂が抱える協力工場の数は限られている。その限られたパイを、ブラプラのような「周辺機器」に回す余裕など、今の彼らにはないのかもしれない。
「想像してみろ。2000万台の心臓部を生産するために、どれだけの電力、どれだけの職人、どれだけの半導体が必要か。ブラプラなんて、その巨大な波に押し流された微小なプラスチックの塊に過ぎないんだ」
友人の言葉には、資本主義の残酷な理屈が透けて見えた。私たちは、ポケットの中で「次のゲーム機」という巨大な夢のために、自分たちが求める小さなデバイスの製造を奪われている。
「そして、この飢餓感が、次の策略に繋がる」
友人は、噂されている「ソフトオートキャッチャー」の話を持ち出した。
「最近、アプリだけで自動捕獲できるようになるんじゃないかって噂があるだろ。もし本当に実装されても、『1日1回』とか『短時間だけ』みたいな厳しい制限付きになる気がするんだ」
「うまい手だよ。タダで便利な機能を少しだけ見せて、プレイヤーを依存させる。喉が渇いたところで『もっと使い続けたければ、デバイスを買え』と突きつけるんだ」
再販されるか、あるいは新型が出るかは分からない。だが、もしそんな機能が実装されれば、新しいブラプラがその制限を解除する役割を担う可能性はある。今のブラプラの使い勝手の悪さを改善し、より洗練されたデバイスとして市場に戻す。その時、私たちは迷わず財布を開くことになるだろう。便利さを知った人間は、もう元の不便には戻れないのだから。
「全部、計算の内なんだよ。最初に不便を押し付けて、次に代替手段をチラつかせ、最後に最高の課金体験をさせる。私たちは、デバイスを『所有』しているんじゃない。彼らの販売戦略という名の迷路の中を、順序通りに歩かされているだけだ」
私は、手に持ったブラプラのボタンを無意識に押した。反応がない。接続が切れている。私たちは、こんなにも不完全な道具に、自らの生活の大部分を依存させている。工場の製造ライン一本の優先順位が変わるだけで、私たちの日常の効率が左右される。それは、あまりに脆く、あまりに依存的な生だ。
「Switch 2が世界を塗り替えるとき、ブラプラを握りしめて歩いている俺たちは、何者になるんだろうな」
友人の問いかけに、答えはなかった。ただ、西大島の夜風が、街灯の影を少しだけ揺らした。私たちは、ハードウェアの覇権争いという巨大な歯車の、そのまた端っこで、小さな振動に一喜一憂している。もし噂どおりソフトオートキャッチャーのような機能が実装される日が来るなら、私たちのスマホの中に静かな革命が起きる。それは便利さという名の福音か、それとも、完全なる管理社会への入り口か。
私たちは知らない。しかし、夜になればまた、この壊れかけたデバイスを鞄に詰め込み、街へ繰り出す。たとえそれが、誰かの利益を最大化させるための、計画された行動であったとしても。




