第十一章 多祁理宮の七年
安芸、多祁理宮。
七年いた。
七年は長いか。——四十五年よりは短い。
なぜ七年かかったか。記す。理由は四つ。
理由の一つ目。船が足りない。
十二隻で美々津を出た。十二隻で東の果てまで行けるか。——行けない。
瀬戸の海は島が多い。島が多いということは海峡が狭い。狭い海峡は潮が速い。速い潮を十二隻が縦に並んで抜けると——先頭と最後で半日ずれる。半日ずれた船団は船団ではない。ばらばらの船だ。ばらばらの船は沈めやすい。
船を増やすのではなく——船を換える。小さい船を減らして大きい船を増やす。大きい船は遅いが、人が多く乗る。少ない隻数で全員が動ける。
多芸志美美が安芸の船大工を見つけた。この土地の船大工は瀬戸の潮を知っている。日向の船大工より——海峡の船を知っている。
「日向の船は外海の船だ。波に強い。——しかし瀬戸は波じゃなくて潮だ。潮に強い船は形が違う」
多芸志美美が安芸の船大工と並んで船底を覗いている姿を、何度も見た。測る目が光っていた。——母に似た顔で、母が知らなかった土地の技を吸い込んでいた。
二年目の冬に新しい大船が二隻できた。三年目にさらに二隻。速い船を三隻から五隻に増やした。
船の数。入ったとき十二。出るとき十六。——四隻増えた。七年で四隻。遅いか。遅くない。良い船を作るには木を乾かす時間がいる。乾いていない木で組んだ船は——沈む。
理由の二つ目。兵が足りない。
八百では足りない。何に足りないかは分からない。敵の数が分からないからだ。——しかし「足りるかどうか分からない」は「足りない」と同じだ。分からないなら増やす。
安芸の男を雇った。志願ではない。雇った。飯を出し、弓を渡し、並ぶことを教えた。
安芸の男は瀬戸の潮を知っている。漕ぎ手として使えた。日向の男は弓がうまいが船に慣れていない。安芸の男は弓が下手だが船で育っている。——混ぜた。日向の弓と安芸の櫂を同じ船に乗せた。片方だけでは半端だが、混ぜれば足りる。
五年目に千を超えた。七年目には千二百。
人の数。入ったとき八百。出るとき千二百。——四百増えた。
理由の三つ目。筋が要る。
筋とは——飯と水と情報が流れる道のことだ。
宇沙都比古のような損得の目を持つ者を、安芸の湊にも見つけなければならない。飯を買い、水を確保し、東の情報を集める。全部、人を通して流れる。人と人を繋ぐ——それが筋だ。
稲飯命がこの仕事をやった。無口な男が筋を作るのは意外に思えるが——考えてみれば合っている。稲飯命は余計なことを言わない。余計なことを言わない男は、商いの相手に信用される。「あの男は約束したこと以外やらない」という信用。それが一番固い。
三年目に安芸から吉備までの筋ができた。吉備の先は——まだない。吉備の先は吉備に着いてから作る。
理由の四つ目。——俺が急がなかった。
これは理由というより性分だ。四十五年待った男は、急げない。急ぐ体が出来ていない。
五瀬命は三年目に言った。「そろそろ出ないか」と。
俺は言った。「まだ早い」と。
「何が足りない」
「兵の並びがまだ甘い。——千人を並べて動かしたことがない。百人を並べるのと千人を並べるのは違う」
「どう違う」
「百人は声が届く。千人は届かない。——旗だけでは足りない。旗を見る者を十人置いて、十人が各百人に声で伝える仕組みが要る」
「面倒だな」
「面倒です。——面倒なことを先にやっておくと、面倒じゃないときに楽になる」
「…………」
「もう二年ください」
「二年!」
「四十五年のうちの二年です」
「……お前にそれを言われると反論できん」
五年目にも同じことを言った。「もう少し」と。兄は怒らなかった。——六年目には聞かなくなった。待つことに慣れたのだ。待てる総帥は強い。待てない総帥は——兵を先に死なせる。
七年のあいだに起きたことを、いくつか記す。
二年目の夏。稲飯命が弓の試合を開いた。日向の兵と安芸の兵を混ぜて。
日向の男が圧勝した。当然だ。弓は日向の方がうまい。
しかし——安芸の男たちは怒らなかった。怒る代わりに、日向の弓をじっと見ていた。学ぶ目で。
稲飯命がそれを見て、黙って日向の弓を一張、安芸の男に渡した。「引いてみろ」と。安芸の男が引いた。ひどい射だった。——しかし三月後に、そこそこ当たるようになった。
混ぜた軍は——技も混じる。日向の弓が安芸に渡り、安芸の船が日向に渡る。どちらかが上ではない。混じることで全体が上がる。
記す。混ぜた軍は——純粋な軍より遅いが、遠くまで行ける。
四年目の冬。三毛入野命が熱を出した。
高い熱だった。三日下がらなかった。——軍の中で人が倒れると、空気が変わる。三毛入野命は笑い声で空気を持たせている男だ。その男が笑わなくなると——軍が暗くなった。
暗い軍は夜に弱い。夜に弱い軍は朝まで持たない。——前にもそう記した。記した通りになった。兵の喧嘩が増えた。些細なことで殴り合いが起きた。
四日目に熱が下がった。五日目に三毛入野命が笑った。「死ぬかと思ったが面白かった」と言った。何が面白いのか分からないが——兵が笑った。笑った途端に喧嘩が止まった。
記す。この人は——旗でも弓でも船でもない。しかし、いなくなったら軍が止まる。替えが利かない。
六年目の秋。多芸志美美が結婚した。
安芸の船大工の娘。手が大きくて、板を削るのがうまい女だった。多芸志美美が「船のことが分かる女は初めてだ」と言った。——父と同じだ。仕事の話から入る恋は、この家系の型らしい。
俺は黙って見ていた。息子の嫁に口を出すことではない。
ただ——嫁の手が温かかったのは、聞こえた。海人の手は冷たい。船大工の手は温かい。木を削る手は温かいのだ。
吾平津媛の手は冷たかった。——あの冷たさが恋しくなるとは思わなかった。
七年目。春。
足の裏が——もう痛いくらいだった。東に。引くのではなく、押している。地面が足の裏を東に押している。
今だ。——これ以上待ったら、足の裏が体を追い越す。体より先に足が東に行ってしまう。
「出る」
五瀬命に言った。
「——やっとか」
「やっとです」
「長かったな」
「長かった。——しかし短くもあった」
「どっちだ」
「両方です。七年は長くて短い。——四十五年と同じです」
五瀬命が笑った。声がでかい笑い方で。七年で少し枯れたが——まだでかい。まだ五瀬命だ。
多祁理宮、七年。
得たもの。船四隻。兵四百。筋。弓と船を混ぜた軍。並べて動かす仕組み。息子の嫁。
失ったもの。十一人。病で八。事故で三。名は記した。それと——七年。
四十五に七を足せば五十二。五十二歳の遠征軍の長。——若くはない。若くはないが、足の裏はまだ温かい。温かいうちは——歩ける。
出航の前日。湊に出た。海に手を入れた。
澄んでいた。——まだ。
しかし遠くに——かすかに、濁りがある気がした。気がしただけかもしれない。遠すぎて確かめようがない。
記す。澄んでいる。ただし東の遠くに——何かがある。まだ聞き取れない。
聞き取れないものは、近づけば聞こえる。近づく。
東へ。
〈第十一章・了〉




