壱
庭園の鹿威しがカツンと通常よりも大きく響いていた。今日はやけに空気が重く感じる。まさか、こんな夜中に警備を任されるとは思いも寄らない。そもそも、前回まで退治しようとしていた妖怪を見つけることができず、平安京の邪悪な靄がさらに厚く広がっていた。最初は雲が降りてきただけで晴れれば空気も晴れるだろうとたかを括っていたが、そうもいかないようだ。この平安時代に未来からやってきた土御門迅の影響なのか、最強の陰陽師と言われた安倍晴明の感覚が鈍っていた。本当ならば、すぐにも除霊できるはずなのに、見えない何かに邪魔をされているようだった。安倍晴明は式神を呼び、左腕に乗せて、念を唱えた。氷のような透明に見えない壁でパキッと割れた感覚に襲われた。
「何をどうこうしても無駄だということか……」
土御門 康成に憑依した土御門 迅は、任務を忘れないように先輩陰陽師に渡された巻物を広げた。頭をポリポリかいて、目を凝らす。松明で見ていたこともあるが、書いてる内容が達筆で理解に苦しんだ。
「口語訳してほしいなぁ……というか。マジで読めん!」
『世話の焼けるのぅ。今、読んでやるから。しっかり耳を広げて、聞いておけ。これは――』
頭の上で胡坐をかいて、ふわふわ浮いていた土御門 康成は白い髭を撫でて、通訳した。古文の勉強をしているようなものだ。それにも増して、先輩陰陽師の賀茂光栄は、安倍晴明と共に行動することが多いため、晴明よりも強い奴が現れたことに面白く思ってないようで、読めない字でわざと書いて任務をこなすように指示を出していた。
「――そもそもさぁ、なんで俺ばっかりこんな強そうな妖怪ばかり任務をやらなくちゃいけないんだ? おかしくねぇ? 試験だって、受けたけど合否がまだ出てないんだぞ。そんな奴に妖怪退治任せるのか? なんだ、この陰陽道って。訳分からねぇな」
『わしがそんなこと知るか!?』
「まぁ、じいちゃんに言っても、仕方ないことなんだけどさぁ! ってことは、先に向かうのは、前に行こうとして出来なかった白蛇の妖怪を見つけるか。確か内臓に入り込むんだったかな。考えただけで気持ち悪いなぁ」
土御門 康成に憑依した迅は、巻物を眺めながら、妖怪出現場所を確認する。商店街の店員を連続して襲っている。誰もいない通路を松明を持ちながら、歩いた。まだ仲良くなれない康成の式神カラスは、数メートル離れた杉の木から見下ろしてじっと迅を見つめていた。順番に辿っていくとあることに疑問を持つ。反物屋と八百屋、唐菓子屋、酒屋と続いてたが、一つのお店だけ、事件が起きていない。空白の場所だった。
「ここだけ、まだ何も起きていない。なんでだ?」
足を止めて、お店の前をジロジロと見つめる。事件の詳細を書かれた巻物を確認して、辺りを見渡す。その店は、小さな魚屋だった。次狙われる店なのだろうか。
『たまたまだろう? 次、襲ってくる可能性はあるよなぁ』
ふわふわと土御門 康成の霊が浮かぶ。迅は、腕を組んで考えた。邪悪な空気も前からあったが、ここ周辺の念は変わらずにいる。感覚が鈍くなっている。何かに邪魔されているような気分だ。
「……もしかして、白蛇じゃないかもしれない。未来と重なっているのかもしれない。俺の記憶と今ここは一緒か?」
『何のことを言ってるんだ? わしにはさっぱりわからないなぁ』
「ここにいる妖怪は《《蛸》》だ」
『魚屋だからか?』
「白蛇だと思われた長い体は、蛸の足で、内臓まで侵入したっていうことだ。辻褄が合う。さぁ、姿を見せろ!」
迅は、狩衣の袖を紐でくくりつけ、気合を入れた。地面に魔法陣を描く。懐から、お札を取り出した。安倍晴明が直々に作成した貴重な札により、さらに魔力が上がった。
『オン アビラウンケン シャラクタン ソワカ……―― 急急如律令!』
真夜中の平安京の左京・右京にある東市。迅の唱えた念により、漆黒の雲が渦巻いて、さらに暗く、重い空気になった。妖怪がいるであろう魚屋から、ふわふわと青白い光が浮かび上がってくる。
『――来るぞ!』
その言葉でズンッと、体全体に何かが重くのしかかった。まだ姿は見えない。
「姿を見せよ!!」
『疾風の舞・参』
二本の指を顔の目の前に出して、念を唱える。背中から強風がわき起こり、姿が見えなかった蛸の妖怪が、風に吹き荒れて、ふわりと空中に浮かび上がった。赤いはずの蛸は全身真っ白になっていた。
『あー蛇にも見えなくもないなぁ……』
『|臨・兵・闘・者・階・陣・列・在・前《りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん》』
真剣な眼差しで念を唱える。康成の声も届いていない。迫り狂う蛸の大きな足に手をかざした。手のひらから突風が吹き荒れる。純白な蛸は、迅の力により、一瞬にして砂のように消えていった。
背中で流れていく砂を見送って立ち去った。
「よし!」
迅は、太もも付近で康成に見えないように小さく拳を握って、達成感を得た。
『さすがは強力な札だったな……』
「うっさいわ!」
康成の言葉にぐさりと胸に刺さる迅であった。自分の力じゃないかもしれないと思うと少しだけ自信が無くなってしまう。




