参
平安京から北側に見える船岡山には緑豊かな木々が生い茂っていた。自然の中で動物たちが暮らしている。熊や猪、野うさぎが駆け回る中、その奥の方で、景色が歪んだ。血で染められたような朱色の柱が何本もそびえ立つ。砂紋が描かれた庭の先には、鹿威しの音が響く。数多くの鬼たちが集う大きなお屋敷がそこにはあった。
「急げ、急げ。早くしないと、お怒りになってしまう。よけろよけろ!」
細い体の黄色の角を生やした青鬼が食事を乗せた朱色の四足膳を持って、縁側を走っていた。
「ちょ、あぶねぇな! 気をつけろ」
「仕方ねぇだろ!? 酒吞童子様のお食事だぞ!!」
「食事の前にぶつかる方が悪いんだろぉが!?」
「そんなの知ったこっちゃねぇや!」
血の気の多い鬼たちが集まる屋敷はいつも騒がしかった。青鬼は何を言われても、前へ前と突き進む。お座敷の襖の前で深呼吸した。
(落ち着け~、落ち着け~。取り乱したら、首ちょんぱや。慎重にだ)
床に正座をして、呼吸を整える。四足膳を改めて、そっと持ち上げた。すると、青鬼が開ける前に襖が空いてしまい、持っていたお茶碗とお椀がグラグラ揺れた。
「わ、わ、わ!? 何すんだ、てめぇ! こぼれるところだっただろ!?」
相手の顔を見ずに叫んだ青鬼は、血相を変えて体が固まった。内側から襖を開けたのは、崇める酒吞童子本人だった。
「ん?」
この世のものとは思えないほどの恐ろしい顔をする酒吞童子を見た青鬼は、小さくなって持っていた四足膳で自分の顔を隠した。
「お、お食事をお持ちしました。大変、遅くなって申し訳ございません」
「……あぁ」
絞め殺されると思った青鬼は、そっと胸を撫で下ろす。お腹を空かせていた酒吞童子は口角を少しだけ上にあげた。
「次は無いぞ」
「ひぃーーーー申し訳ございません!!」
青鬼は、何度も土下座して謝った。酒吞童子が食べる食事は、人間の血肉を焼いたり、煮物にしたもの。お椀から爪が伸びていたり、お皿には中手骨つきのお肉があった。脇息に肘を置いて、よだれを垂らしながらむさぼり食べる。酒吞童子の隣には十二単を身に纏った絡新婦が長い黒髪を垂らして、べったりと体にひっついていた。
「そんなにお腹が空いていたの」
「食べておかないと、いつ力が無くなるか分からないだろ」
「最強だと言っていた貴方にも不安になることあるのかしら……」
「……嫌な予感がする……何かが近づいている気がするんだ」
バリボリと骨を噛みくだいて、ごくりと飲み込んだ。大きな盃には、お酒が入っていた。
「珍しいわね……そんなこと今まで……」
絡新婦が一言話した後、突然、襖が勢いよく開いて、強く風が吹き荒れた。
「……悠長にお食事ですか?」
知らない男の声がどこからか聞こえてくる。絡新婦は警戒して、立ち上がり、掌を真上に向けて、息を吹きかけた。掌から、大量の糸があちこちに飛んで行った。目の前がすべて、蜘蛛の巣に囲まれてしまう。酒吞童子は座敷の奥の奥の方、蜘蛛の巣で姿形は見えなくなった。
「何者だ!? 妾が相手をしてやる。出てこい!」
蜘蛛の糸をあちこちに増やし続けた。ここに人間が入ったら、身動きがとれない。
絡新婦は朱色の爪を光らせて、糸を飛ばし続けた。
「チッ……逃げたか。この時代の酒吞童子は逃げるのが好きってことか」
天井の梁に忍者のように上から見つめていたのは、令和時代からタイムスリップして来た白狐兎の姿だ。お尻からの長い尻尾が隠し切れない。この時代での霊力が弱まっていたため、本領が発揮できず。
「とりあえず、今日はこれくらいで。ただ見に来ただけだからな!」
ちょっとだけ体が震えていた白狐兎。本当は一人で来るのが怖かった。捨てセリフを吐くと、身軽にジャンプして、ずらかろうとした。すると、今まで無反応だった酒吞童子の腕が顔の目の前にあった。瞬間移動したように動作が早かった。
「私が逃げるだって?」
「ひぃーー。しっかり聞いてんじゃねぇか」
「初めて会うおぬしに言われるとは心外だな」
「未来のお前には何度も会ってるんだよ、俺は。くそ、話せ。その腕!」
上半身を腕だけでしっかりと固められた白狐兎は、ガブリと酒吞童子の腕をかぶりついた。
「何!?」
予想外の攻撃に目を見開いて驚いた酒吞童子は慌てて腕を離す。
「ラッキー!」
白狐兎は今のうちだとそそくさに逃げて行った。絡新婦の糸はちぎれてほぐれていく。
「稲荷のやつに噛まれるとは……あいつ、何者か」
「酒吞童子様、大丈夫ですか?」
「案ずるな。ただのかすり傷だ」
天井の梁から静かに床に降りた酒吞童子は、盃の酒を一気に飲み干した。
「何かが近づいている……あいつのことか? いや、もっと違う何か……」
絡新婦はそっと酒吞童子の横に近づいて、肩に頬を寄せた。酒吞童子は何度も何度も酒を飲むのを辞めなかった。
お屋敷の屋根の上でカラスたちが空へと飛び立った。黒い羽根が地面へと落ちていく。
黒い雲が大きな満月を隠していた。




