壱
細く長い月が真っ暗な夜空を照らす頃、大きな松の絵が描かれた煌びやかな襖に、大量の血しぶきが飛び散った。バキボキと骨が折れる音とともに、皮膚の剥がれる音も響いていた。生臭い血の匂いも漂っている。
「……一枚、二枚……これで、何枚目かしら」
人形のような長い黒髪の女が真っ白い着物を羽織り、笑みを浮かべていた。頬には斜めに返り血が飛び散っている。畳の上に倒れ込んでいる男は、銀色の狩衣を着ていたが破れかぶれで原型をとどめていない。体はバラバラに角度を変えて折れ曲がっている。女が数えていたのは、膝に付いている皿だ。丸いものを取り出して、小皿のように重ね合わせていた。
その部屋へたまたま立ち入った女房の中臈である須恵子が業務を終えて、衝撃な現場を目撃する。
「あ、あ、あんた、何をしてるかぁ!? 何者じゃ!!!」
腰を抜かして、立つこともできず、ただ、ただ、声を震わせていた。人一人が殺されているのだ。唇が震えて、呼吸が浅くなった。
「……お前さん……」
ぽきぽきと首の骨を鳴らす。
「あたしが見えるのかい?」
指に付いた血をぺろりと舐める。舐めた舌は蛇のように長かった。不気味な目つきで須恵子を睨んだ。瞳の中は赤く、人間とは思えないほどの口の大きさで笑った。
「ま、まさか! 妖怪か!?」
「ハハハハハ……もう、遅いのよ。気づくのが」
ここから早く逃げなければ、殺される。そう思った須恵子は、腰を抜かしたまま体を動かそうとしたが、なかなか動かない。四つん這いになって畳の上を歩く。その畳にはいたるところに、殺された男の肉片や、骨、血が散らばっていた。
妖怪の女は、持っていた皿を自由自在に操り、空中に浮かばせた。
「逃げたって無駄だぁ~!!」
「ぎゃぁああああーーーーーー」
女の足が透けて見えた。ふわふわと浮遊している。両手を構えて、上半身を須恵子に向かって襲い掛かる。
騒ぎを聞きつけた一人の男が廊下をバタバタ走る音が響いた。真夜中の悲鳴はただ事ではない。
須恵子の顔に女の飛ばした皿が頬に当たる。血で一本の線ができた。
「ひゃぁーー!! やめてくれーー」
がっしりと肩を捕まれて、逃げ場を失った。足がガタガタ震えている。
『オン アビラウンケン シャラクタン ソワカ……』
どこからか念が唱えられている。姿は見えない。
須恵子の肩をつかんでいた手を放し、女の長い髪がふわふわと浮かんだ。蛇のように空間をうねうねと動きはじめる。黒い髪はセンサーのように人を探し始めた。今のうちだと思った須恵子は、おそるおそる体を後ろへと移動させた。
「化け物め……殺されてたまるものか……」
小さな声で言いながら、逃げようとすると殺された男の頭に手があたり、転がって身震いがした。
「ひぃぃいいいい~!!」
「今、逃げようとしたなぁ~!? あたしから逃げようとするなんて、百年早いわ!」
『オン アビラウンケン シャラクタン ソワカ……』
エコーがかかって、念がさらに強くなる。女は須恵子を金色の豪華な襖に追い詰めた。白く冷たい手で顔をつぶされそうになる。
「お前みたいな女がいるから、男共は蝶のように逃げていくんだよ!!」
「やめて……私は何もしてない……」
頬をつぶされそうになる。ギリギリと追い詰められる。
『オン アビラウンケン シャラクタン ソワカ……―― 急急如律令!』
女の手の強さが先か、念が先か、一瞬の違いだった。念を唱えた瞬間に、女の体は煙のように消えていった。須恵子の体は大量の汗でびっしょりであった。消えた瞬間に畳の上にぱったりと倒れた。
そこへ駆けつけたのは、迅が憑依する土御門 康成の姿だった。須恵子の上半身をそっと持ち上げた。恐怖と安心で憔悴しきっていた。
「無理もない。怨念が強いやつだった……」
血だらけの畳にバラバラになった男の死体を見た康成は、ため息をつく。
「もう少し、早く来れたらよかったなぁ……あの女の気配を早くに分かっていたら」
「……あ、ありがとうございます」
「あいつは……人間に化けて鬼であることを隠していた……人間である時は人に裏切られてきたことが多かったらしいな」
「鬼……だったんですか」
「一人で行動するのは避けた方がいい。狙われやすいからな」
「はい……気を付けます」
「立てるか?」
「え、ええ。あの~、どなたですか? お名前」
「忘れてくれていい。もう大丈夫。さぁ、行くといい」
「は、はい!」
須恵子は、康成に丁寧にお辞儀すると部屋を出て行った。
ふわりと、空中に康成の霊が現れる。
無事、妖怪を除霊できて胸をなでおろしていた。
『随分とまぁ、丁寧に話すんじゃなぁ』
「俺はいつも丁寧だ。じいちゃんは俺を知らないだけだろ?」
『いーや、わしは知っておる。お前のことは全部な』
「はぁ?! どこまで知ってるんだよ!?」
『今は秘密だ。教えないわい』
「けっ、適当に言っただけだろ。あ、やべ。明日、陰陽道の試験だっていうのに、寝る時間短くなる!」
『早く寝ろぉ』
「言われなくてもそうするって!」
月明りが差し込むお屋敷の廊下を小走りで進んだ。
後ろの壁際で、師匠である安倍晴明が覗き見ていたことは康成と迅は知ることはなかった。
――翌朝、屋敷の皆が集められて、なぜ事件が起きたのかの事情聴取が始まった。 事件の全貌を全て知っていた安倍晴明が、丸く収めてすべてが解決した。
その話の中で、土御門康成が活躍したということは一切、出てくることはなかった。
屋敷の外にあった古い井戸には、妖怪の女が集めた膝の皿が何枚も落ちていたことは誰も知る由もなかった。水の滴る音がいつも響いていた。




