壱
――――平安時代・中期――――
黒い篝火の炭がパチパチと燃え始める。大きな杉の木で羽根を休めていたカラスが何かに気づき、飛び立った。東の空には細く輝く三日月があった。
どこからか地面に生き物の足が、こすれる音が聞こえてくる。
白い狩衣を着た男が気配を感じて、進めていた足を止めた。一条天皇が乗る牛車を前に神経をとがらせる。天皇の隣には、皇后である白肌の綺麗な藤原定子が牛車に揺られていた。
「……何かが来る」
京都の正門である羅城門の前にたどり着いたのは、天皇と皇后が乗る牛車。護衛として安倍晴明率いる陰陽師達が列を連なって歩いていたが、異変に先に気づいたのは安倍晴明であった。
「晴明よ、慎重にだ。いいな?」
横にいたのは賀茂光栄だった。
「言われなくても……」
イラ立ちを見せながら、安倍晴明は、懐からお札を一枚取り出した。
念を唱える前に草むらから大きな黒い影が目の前に現れて、あちこちに白くて長いネバネバしたものを飛ばし始めた。弟子たちが攻撃をよけることなく、身体中にくっついて、身動きがとれなくなった。
「な、何者だ?!」
賀茂光栄は慌てふためき、牛車に近づいて、敵の攻撃から守ろうとするが、一歩遅かった。鋭く長いネバネバした白い糸のようなものは、牛車に狙いを定めて次々と攻撃していた。
「やめろ、やめろ! ちくしょう……晴明!! 早くしろ。あいつは絡新婦だ!」
「分かっているなら、お前が攻撃すればよかろう!」
晴明は音静かに絡新婦のそばに近づこうとするが、逃げ足が速すぎて追い付かない。その間に次々と糸が矢のように飛んでくる。あまりにも早くて頬に一筋の線を書いたように頬が切れた。
「上様、お逃げくださいまし!!」
安倍晴明は大声で叫び、精神を落ち着かせて掌を合わせた。
『オン アビラウンケン シャラクタン ソワカ―― 急急如律令!』
懐から札を取り出し、呪文を唱えると安倍晴明の真下に青白く光る魔法陣が浮かびあがった。辺りは一瞬、眩しい光に包まれるが、絡新婦は眩しがるがすぐに復活して体を大きく見せつけると、油断していた賀茂光栄の体にかみついた。
「うわわわわあああああぁあああーーーー」
あまりにも感じたことのない痛みに耐えきれず、叫び声をあげた。
後ろの列に並んでいた一人の陰陽師が、颯爽と前の方に現れる。安倍晴明は次の呪文を唱えようと準備していたが、その男に手柄を取られてしまう。
『オン アミリタ テイセイ カラ ウン……』
その男は静かに呪文を唱えた。安倍晴明もまだ使ったことのない呪文であった。
呪文を唱えると、上半身をケガした賀茂光栄の体がみるみるうちに癒されていく。
続けて、その男は、手慣れたように襲い掛かってくる絡新婦に向けて呪文を唱えた。持っていた札が緑色に光り始める。
『|臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前《りん・びょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん》』
胸の前で唱えながら手印の九字を結んだ。一振りするたびにオーラが強まっていく。絡新婦は苦しみ悶えた。彼女の頭の中に綺麗な花畑が浮かんでくる。
人間だった頃の記憶が脳裏に自然と浮かんでくる。
絡新婦になる前はごくごく普通の農民の娘として平和な人生を送っていた。貧しい生活であったが、隣に住む幼馴染の真と仲良く暮らしていた。
顔立ちが良いと宮廷に呼ばれ、藤原家の嫁として仕えることになったが、身分の違いのため、価値観が合わないと感情的になり、寝ている間に高級な皿でこの世を去った。嫌だと言えない宮廷に仕えたはずがあまりにも残酷で惨めな終わりに悔しくて、絡新婦となって生まれ変わった。
過去の記憶を読み取った陰陽師の男は静かに深呼吸をした。
「この世界にも恨み辛みがたまっているんだなぁ……」
砂のようにキラキラと輝かせて、絡新婦は、天国の花畑で手招きしている真に笑顔で飛びついた。手を振って二人とも笑顔を見せた。
「お、お前は何者だ?! 晴明でも使わない呪文を使っておるな!」
「落ち着け。光栄、私が話す。おぬし、どこから来た? 陰陽道にいる者だろうが、見たことが無い。雰囲気もどこか……名を申せ」
賀茂光栄の体を押しのけて、安倍晴明はごくりと唾を飲み込む。じっと睨みつける。
「……知らずにして、ずっとそこで見ていたんですか。土御門 迅ですよ」
その言葉を発すると目には見えない何かに頭をどつかれる。
『馬鹿もん。お前は今、わしに憑依してるだろうが!?』
『げ、間違った。本名なんだっけ。えっと……』
『土御門 康成だ。わしの名前も忘れたか!』
『三十代の前のじいさんの名前なんか、分かるか!?』
目には見えない何かと争っているのを、安倍晴明と賀茂光栄は不思議そうに眺めていた。幽霊は見えているが、何をしているのか理解不能だった。
『早くしろ。安倍晴明様が待っているんじゃぞ!』
「へいへい……失礼しました。名前は土御門 康成です。以後、お見知りおきを」
土御門 康成に憑依している土御門 迅は、袖口を合わせて、そっとお辞儀する。作法がここに来る前にスパルタで指導されていた。この時代の会釈だ。
「……土御門 康成だと?」
「知っておるか? 光栄」
「知ってるも何も……無位の下級陰陽師だ。土御門など、まだまだ弱いはずだ」
「なに? なぜ、下級のはずのおぬしが呪文を使えるのか」
「へへへ、さーてね。じいちゃんに聞いてほしいわ」
『馬鹿もん!』
「いってーー」
土御門 迅は、空中に浮かぶ土御門 康成に殴られる。幽霊でも、パワーはあるように威力抜群だった。
「侮れないな……」
「次の護衛には、着いてきて貰わないといけないな」
「ああ……」
「どうかなさったのか?」
「大丈夫ですの?
一条天皇と藤原定子が外が気になり、様子を見に出て来ていた。
「ああー、上様。ご心配をおかけしております。もう、大丈夫です。行きましょう、行きましょう」
「そうなのか? なら、よいか」
「あら、その殿方……」
藤原定子は、土御門 迅を見つけて近づいた。何をされるのだろうと心臓の高鳴りが早くなる。
「これ、着いてましたよ」
どこから降ってきたのか、杉の木の葉が肩にくっついていた。あまりにも近い距離に何も言えなくなる。ぺこりとお辞儀をして、後ろに下がった。
「あらら、可愛いわね」
動きが珍しかったようで、藤原 定子は、気になって仕方なかった。
「上様、そろそろ……」
「そうだな。さぁ、行こう」
安倍晴明は、誘導して、ギロリと土御門 迅を睨みつけた。自分よりも高度な呪文を唱えることに不満を抱き始める。
「俺は元々、強いだっつーの。全く、未来の俺を見せつけたいわ」
迅は、ボソッとつぶやいた。それは誰の耳にも届いていなかった。
『余計なことを言うな!』
また康成にげんこつを食らった。
「痛いんだって、それ。手加減してくれよ」
康成はぷかぷかを空中を浮かんでペロッと舌を出した。
「修行しろ、修行!」
「…………」
後頭部をぼりぼりかきながら、一行は羅城門を無事、潜り抜けるのであった。




