参
細く輝く月を灰色の雲が隠した。ぼんやりと篝火の光が漏れる。稲荷神社の境内には赫と土御門 迅の2人の姿だけだった。重々しい空気が流れる。何の気配だろうか。どこか懐かしく、どこか息苦しささえも感じる。そんな雰囲気があった。
2人の間に冷たい風が吹きすさぶ。草履の音だけが響いた。
「ねぇ、あんたから鬼の匂いがするね……どこから来たの?」
「……鬼? 俺は鬼なんて飼っちゃいねぇよ」
「ふーん。飼ってるかどうか聞いたわけじゃないんだけど」
赫は、黙ったまま土御門 迅のそばに近づいた。横を通ったら、何かが分かる。そんな気がした。だが、何も感じなかった。鬼の気配は気のせいだったのかもしれない。もしかしたら、さっきまで一緒にいた鬼女の気配だったのか。土御門 迅は、自分の着物の匂いを嗅いだ。何の匂いもしなかった。
「鼻で感じる匂いじゃないけどね……あんたは僕の……いや、なんでもない」
「……何が言いたいんだ?」
「いずれ分かるよ。僕はやらなきゃないことがあるから」
赫は、持っていた箒を持ち直して、神社のお屋敷の方へと歩いて行った。意味深な言葉が脳裏に残る。立ち去ったのを見計らって、土御門康成はそっと迅の頭の上に近づいた。
「あいつは何者なんだ? いけすかないやつだ」
「あいつは、髪も瞳も服装も全部韓紅色だった」
「血色でも染めたようだなぁ」
「人間なのか?」
「いや、わからない……怪しいな」
「俺のことを鬼と言ったぞ。どこをどう見て、俺のことを鬼だというのか。なぁ、じいちゃん」
「ほう……」
土御門 康成は顎ひげをぼりぼりとかいて、悩んでいた。どうしてそんなことを言ったのか謎だったからだ。
「警戒した方がよさそうだ」
「それより獼猴桃はどこ行ったんだ? はぐれたんだ」
「ん? 獼猴桃はさっきまでわしのそばで羽根休めしていたぞ。迅のことが気に食わないらしい。もっと仲良くしてやりなさい」
「……じいちゃんから言ってくれって。俺に手に負えないから」
「知らんわ」
「ちぇ……」
土御門 迅は、呆れ顔で肩をすくめた。土御門 康成は用事が済むと姿を見せなくなった。そばにあった狛犬の石像を見上げ、どこか懐かしさを覚える。
「……あいつの神社にもこれがあったなぁ。あれ、そういや、どこに行ったんだ?」
しみじみ現代の稲荷神社の石像を思い出すが、白狐兎の姿が消えた。土御門迅は、どこに行ったか探すため、境内をウロウロと回る。篝火の小さな光に反射してたくさんの風鈴がきらきらと光って見えた。良い音色だった。
「……どちら様かな?」
この稲荷神社は、白狐兎の曾祖父の氷狐竜が神主であった。夜の訪問者に挨拶とお屋敷の中から出てきた。平安のこの時代では25歳で現代の土御門迅よりも若かった。氷狐竜に初めて会う土御門 迅は、戸惑ってしまう。
「あー、えっと……なんと説明すればよいか」
「この時代の者ではないのではなかろうか?」
勘の鋭い氷狐竜は狩衣の裾をぐいっとたくし上げた。
「あー、まぁ、そんなところですね」
「……白狐兎と一緒か」
「ご存じでしたか」
「もう、驚くことはしませんよ。あの人はここの使用人ですから」
「え?!」
ざざっと玉砂利の音が響く。少し離れたところにいたはずの白狐兎が敏感に反応して、近づいてきた。
「じいちゃん!? 俺が使用人ってどういうことだよ」
「……私は”じいちゃん”ではありません。氷狐竜です」
見た目は年の差を感じられない姿であるがゆえ、氷狐竜は額に筋を作る。白狐兎は、氷狐竜の顔を覗き込む勢いだった。土御門 迅はきょとんとした顔で話を聞いた。
「使用人ですか……道理でさっきの人も箒で掃除をしていたのですね」
「ああ、赫のことですね。最近、迷い込んできた身寄りのない少年です。どこから来たか定かではありませんが……」
「赫という名前なんですね、あの人は。不思議な感覚でした」
「力を奪われないようにお気をつけください」
こくんと頷いて合図する氷狐竜の目は真剣だった。他にも何か言いたそうだったが、土御門迅は、聞くに聞けなかった。
「それよりもさぁ! じいちゃんよぉ。俺が使用人じゃないでしょ?? 俺は修行するためにここにいるんでしょう? 違う?」
「”じいちゃん”ではない」
意地でも年寄りではないことをアピールしたい氷狐竜は屋敷の奥の方へ進んだ。隣には白狐兎がべったりとくっついている。
「さぁ、中へお入りなさい。あなたもこの中にいないと良くない者が近づいて来ますから」
「え、それってどういう意味ですか?」
「迅! 早く中に入れって。じいちゃんが結界張るから」
「結界? ああ、そっか。さっきの鬼女が来るかもしれないもんな」
土御門 迅は慌てて氷狐竜の後ろの方へ移動する。氷狐竜は、目を閉じて、念を唱えた。指先を立てた瞬間、透明な壁が辺りを大きく包み込み始めた。周りにウロウロとしていた妖怪たちが壁を察知して逃げていくのが見えた。
「無事、結界を張れました。ゆっくり休んでくださいませ」
「ありがとうございます」
氷狐竜は額に多量の汗をかくとほっとした様子で、土御門迅を屋敷の奥の奥へ案内した。白狐兎も一緒に中に行く。結界を張ったことにより、幾分気持ちは晴れやかになった。
月の周りに纏わりついていた雲も晴れわたり、綺麗な輝きを見せていた。




