弐
「ここから見える景色は最高なものね……」
平安京に住む女官の珠代がボソッと呟き、目を閉じる。平安京の全部を一望できる船岡山での展望台から覗くのが憩いとなっていた。土御門 康成に憑依する迅は、熊や山賊から守る護衛として共に行動をしていた。
「そうですね。それは大変綺麗なものですよ」
土御門 迅は、肩の上に乗る式神カラスと喧嘩をして、適当な返事をしていた。一般人にはカラスの姿を見ることはできない。
「疲れも吹っ飛ぶわぁ。聞いてる??」
「ええ、もちろんですとも。(こら、黙って見とけって)」
横でぶちぶち文句を言いながら、着いていたのは式神カラスの獼猴桃だった。
(何をぉ。黙ってと言いますけどねぇ。もう、付き合いきれません。知らな~い!)
「くっ……(小学生と話す方がまだマシだ。ちくしょう。憎いカラスめ)」
獼猴桃は虫の居所が悪かったらしく、空へと飛び立って行った。陰陽師の相棒の式神カラスが離れるのはあまり見かけないものだ。土御門迅は、ご不満な顔を見せながら、女官の珠代のそばに近づいた。
「さっきから何を言っておりますの。ぶつぶつと……」
「あ、はい。すいません、次から気をつけます」
「何言ってるの。次はないわよ。今日はここまでが護衛。自分の予定も分からなくなってしまったの」
「へ?! 大変失礼いたしましたぁ。それでは、この辺で失礼いたします」
「ちょっと……待ちなさい。展望台から見える景色は最高と言いましたが、何やらあそこからのろしのように燃える煙が見えるわ。大丈夫なのかしら」
珠代が指さす方向に見えるのは、煙がモクモクと天高く伸びていく様子だった。あのままではいけないと、慌ててその場から立ち去ろうとすると、ぐいっと土御門迅の腕を着物の上から掴まれてしまう。あまりにも強い力に対抗ができず、男の力のはずなのに、身動きが取れ無くなる。
「な?! そんなに強く引っ張らなくても……逃げませんよ」
十二単を身に纏う官女は、長い黒髪をなびかせて、明るい表情が一変する。暗雲が突如立ち込めてきた。綺麗に見えた平安京の景色が一気に歪む。
「誰が、逃げるって、言ったんでしょうかねぇ」
とても低い声で変貌する女官がいる。頭から大きな角を生やし、口から鋭い牙を見せつけた。未だに土御門迅の腕は握りしめられている。
「何者だ!? 女官ではないな!」
「……簡単に名乗るものですか!」
女の声だったのが、どすの効いた声に切り替わる。土御門迅は、懐から札を取り出した。式神カラスに声をかけようとしたが、さきほど口喧嘩をしたまま近くにはいなかった。カラスがそばにいないと力が半減する。
「獼猴桃!」
土御門迅が叫んでも、どこからも返事が無かった。
「ああ!! あいつがいない。ちくしょー。こんな大変な時に」
『落ち着け。集中すれば大丈夫だ』
土御門 康成は頭の上で話す。その声に迅は、もやもやする。できるのならば、自分でやってくれと思ってしまう。
「そんなの言われなくても分かってるわ!」
平安京の煙がどんどん大きくなる中、迅の目の前に現れた鬼女は、みるみるうちに全身を大きくした。人間である体を変化させた。筋肉がむきむきになっていく。
「2つ同時に処理できる訳がないだろうってよぉ!」
窮地に立たされる。土御門 迅は、持っていたお札を人差し指と中指で挟むと、念を唱えた。
『水龍千波万波!!』
地面に浮かび上がる魔法陣から大きな青い龍が現れて、遠くに見える煙へと届くように送り込んだ。海の波のように流れる大量の水が龍の体に沿って押し寄せていく。まさか、自分に攻撃されると思った鬼女は全然当たらない攻撃に笑うしかなかった。
「おいおい。まさか、私よりも先にあっちの方を片付けようとするのかい? ちゃんちゃらおかしいねぇ……ん!?」
腰に両手をつけて、笑う鬼女は、土御門 迅の攻撃が来ると思っておらず、不意を突かれた。なぜか、こぶしが頬を突き抜ける。
(まさかの素手で攻撃!?)
土御門迅がボクサーにでもなったような恰好で、着物の裾が揺れている。冷や汗が止まらない。鬼女は、口から血を地面に吐き捨てた。
「ほぉ、そっちがそう来るなら、今度はこっちから行くよぉ!」
手のひらの中から長いこん棒を生み出した。自由自在に操るマジシャンのようだった。
「うわ、マジか!? 油断できないわ……よし、逃げろ~~」
(迅! 何をしておる。攻撃だろ。なんで、逃げるんだ!?)
さらに攻撃するかと思いきや、土御門 迅は、その場から逃げ出した。今は、平安京の燃える火が気になった。同時に対処なんて、考えてもいない。ここは既にまやかしの中にいることに気づいてしまったからだ。仕組まれた罠。土御門 迅は、霊体の康成の声など聞いていない。船岡山から平安京に向かう途中の森の中を必死で駆け下りる。履いてる草履がだんだんとボロボロになるのが分かった。足元にあった木の枝がポキッと折れると、体が勢いよく地面にたたきつけられた。豪快に転んでしまう。
「ハハハ、ちょうどいい枝が落ちているもんだ。観念しなぁ!」
鬼女が手を伸ばし、土御門迅の着物をつかみ起こそうとすると、透明な壁が現れて、ばっくりと空間が捻じ曲がる。割れた透明な空間から手がひょろりと伸びて来た。
どちらが先か、土御門迅の腕をぐいっと引っ張る者がいた。流れるがまま、鬼女につかまる思いならと、痛みを感じながら、体をゆだねた。
引っ張られた先は、大きな神社の境内だった。狛犬が目の前にある。引っ張った男は、土御門 迅の体を自分の腹に引き寄せていた。ごつんと頭同士がぶつかる。
「いたたたた……まったくいつになってもお前は石頭だな!」
「はぁ?!」
初対面の男に言われたくないと、顔を目の前に出した。すると、その顔はどこか見たことのある男だった。
「忘れたとは言わせないぞ。お前が俺のお稲荷を盗んだんだ」
「……なんだ。狐か」
狐と人間の半妖である白狐兎。令和時代の現在で警察の仕事のバディを組んでいた。韓紅色の着物を羽織っていた。その隣には鹿の子絞り風の着物を着た少年が箒を持って立っていた。
「狐じゃねぇ!? お前、痛めつけられたいのか!! ああ!」
「ねぇ、その人、誰」
「……元気良いやつめ。ん? そいつは何者だ」
空間がねじ曲がり、さっきまでいた景色が透明な窓の中から見えたが、一瞬して消えた。土御門 迅は、白狐兎の霊力により、引き寄せられたのだった。鬼女のところから逃げきれたのだ。向こうの空間から追いかけてくることはない。
「俺の永遠のライバルだ」
「……敵だ。敵! 永遠にな」
「ふーん。敵ねぇ。敵なのに、距離感が超近いなぁ」
白狐兎は、久しぶりにやっとこそ土御門 迅に会えたことが嬉しくて、ぐいっと首を引っ張って睨みつけ、額に頭突きをしていた。
「こんにゃろぉ、何してくれてんだ!」
「挨拶だ、挨拶!」
ひょいっとジャンプして、鳥居の上に乗った。土御門迅は、プンスカ怒りを見せつけて、地団駄を踏んだ。履いていた草履で足の裏が痛む。
「人間って、そんなふうに絡むのか……」
ボソッと小声で赫が言う。土御門迅は、何か気配が変だと背中がかゆくなった。警戒心を強くしていた霊体の土御門康成は、杉の木のずっと高いところで下を見下ろしていた。何故だか居心地が悪いことに気づく。
(変な気配を感じるな……)
満月に輝く月が大きく灰色な雲で覆われて、辺りは真っ暗になっていた。神社の篝火で赫の横顔が見えると、白狐兎はぴょんとさらに高くジャンプして、何も言わずにどこかに消えていった。
境内に残った赫と土御門迅の間には強い風が吹きすさぶ。




