伍
平安京のさらに森の上の位置にそびえ立つ酒吞童子が住む屋敷は、あやかしの術により歪んで見えた。どこにあるかを探られてはいけないが、安倍晴明の術にはまだ守りが弱い。昨夜、土御門 迅(康成の肉体)の術により放った安倍晴明の形代は、空腹により力を存分に発揮できなかった。危なく、形代の術師を探られてしまうところであった。耳なしの琵琶法師が琵琶を打ち鳴らすと、水の波紋のように空間はぐわんと歪む。大きな鈴の音が聞こえてくる。
天井から一枚の常盤色の葉がひらひらと揺れ落ちる。床にゆっくりと落ちた瞬間にまた鈴の音が聞こえた。
「おっと、また落としてしまったわ。あたしの大事な収集物が……」
半袖に切り取られた十二単を羽織る一人の女が忍者のように天井の梁から落ちて来た。床に落ちた明らかに葉に見えたが、女が触れた途端に色が変化する。
「そうそう、この色よ。これこれ。あーーいい匂い。次は誰のものにしようかしら」
女が拾ったそれは自然豊かな植物の葉ではない。自分が殺した人間の皮膚を薄くして、葉の形に切ったもの。葉に見えたのは錯覚だ。皮膚だということを完全に忘れている。
「結弦葉、そこで何をしておる」
和室の上段の間から声がした。そこには、脇息に体を寄りかかった酒吞童子と隣にべったりとくっつく絡新婦の姿があった。
「あ、酒吞童子様! あたし、やりましたよ。そう、お仕事をこなしてきました。ほら、見てください。綺麗な葉っぱでしょう。これであたしの収集物は巻物に集まっていくんですよ」
半袖と短い裾の十二単を羽織る結弦葉は身軽にジャンプして、酒吞童子の隣に近づく。横にいた絡新婦は、嫉妬心むき出しでジロりと睨みつけた。
「綺麗な葉だと? どこが葉っぱなんだ。お前の目はおかしいじゃないのか?」
「あら、やだ。酒吞童子様。あたしなりのおしゃれよ。人間の皮膚なんて言ったら、面白くないじゃない。葉っぱみたいに切り取ったら、ほら、この通り、巻物の栞になるわ。栞って知ってますか? 酒吞童子様ぁ?」
「ふん……それくらい知っておるわ」
結弦葉は、平安に生きる未来から来た鬼だ。土御門 迅と同じ未来からやってきていた。土御門 迅との当時の交わりはない。栞を本当はわからない酒吞童子は知ってるふりをした。嘘をついていると気付いた結弦葉はにやりと笑って、またその場をジャンプした。天井の梁にとびついて、上段の間を見つめる。
「そろそろ、行ってきますね。あたしの収集物はまだまだこれからだから。全部揃ったら、あたしの腕の皮膚を治してくれる約束ですよね?!」
「……ああ。そのつもりだ」
酒吞童子は都合悪そうに返答する。平安京の羅城門の森で火事があったときに、左腕のほとんどを熱傷やけどした結弦葉は、のっぺらぼう役を担っていた。危険な仕事を知りながら、報酬をたっぷり貰えるとあって、気合が入っていた。通りかかったあの権兵衛もやけど治療の標的一人目だった。
「酒吞童子様ぁ、あたしのこともしっかり見てくださいよ」
「うぁー、話に割り込んできたわ」
「うっさいわねぇ」
「…………」
痺れを切らした絡新婦が口を開く。結弦葉との喧嘩が始まった。酒吞童子は、静かに目を閉じて、何も言わずにやり過ごした。盃にそっとお酒を注いだ。
盲目の耳なし法師が琵琶を打ち鳴らすと、空間が歪みからくり部屋が切り替わる。藍が横目で酒吞童子を睨みつけていた。
「父上様。また、何かご用事ですか? 今、とても忙しいのです」
藍の背中には「我、長男」と墨字で書かれていた。その字は前よりも太く濃くなっているように思う。藍は、木でできた洗面器に布を入れて、しっかりと絞っていた。
「何をしておるんだ」
「見て分かりませんか? ほら、しっかり布を絞っておるのです」
「……それが?」
「ええ、ええ。しっかり絞って、この顔を綺麗にしておるところですよ。全然気に掛けられない私の顔をそれはそれは綺麗にしているのです。どの誰にも負けない美しい顔ですからね」
藍は、布をきつく絞ると、左頬からゆっくり吹き始めた。
「何を言いたいのだ」
「あいつに負けたくないからですよ。そう、あいつに!!」
水の入った洗面器に布を勢いよく入れると、床がびしょ濡れになっていた。やってしまった藍は慌てて、持っていた布で拭いた。
「……その言葉を言ってはいけないと言っているだろう!」
この世のものではないくらいのそれは低い低い声で酒吞童子は藍を叱る。
「……ええ、その顔を見たくて言ったまでです。いつになったら、私の前でお怒りにならなくなるかと試してみました」
「試すだと? さっきから、父である私に何をしたいと言うのか」
「酒吞童子様、落ち着いてください。相手は子どもですよ」
歯止めが効かなくなりそうだと察した絡新婦は、酒吞童子の力を落ち着かせようと必死だった。藍はニヤニヤとして、口角をさらに上げた。
「父上様、もっと怒ってください。そう、怒るだけ、このお屋敷の力が存分に発揮される。力がみなぎった時、あいつの力もきっと見れるに決まってます。いつか、倒してやると思っているのですから」
「……藍、お前が言いたいのはそういうことか。分かった。もう、私は何も感じない。何も話さないことにしよう」
「ち、父上様! それは無しです。やめてください!」
藍は酒吞童子の行動に不満を感じて、慌てて止めようとするが、もう何もすることはできなかった。からくり部屋は一気に天高く遠くに移動してしまう。もう、顔を合わせることはできなかった。
「くっ……いつでも、どんなときでも、私はあいつには勝てないのか!」
藍は唇を歪ませ、床を何度もたたいた。父に長男として大事にされたいが、なかなかその希望が叶わないことが悔しい思いをしていた。
酒吞童子は再び、ゆっくりと盃を上げて、口にお酒を注いだ。絡新婦は誰もいなくなった上段の間にふと安心して、またべったりと酒吞童子にしがみつく。ゆっくりとした時間が流れた。
鹿威しがカツンと大きな音を鳴らしていた。




