肆
大内裏の東南部に位置する陰陽道では、沢山の陰陽師たちが利用する書庫があった。そこでは、暦道・天文道・陰陽道のそれぞれの分野の書物が集められていた。土御門 康成に憑依する土御門 迅は、陰陽師の 昇進試験でも方略試を受けるために指導を受けていた。直々に陰陽頭でもある賀茂 保憲と 陰陽博士でもある安倍 晴明の元、暦学・天文学を学ぶことになっていたが、これまた、勉強嫌いの土御門 迅は、話を聞くことをさぼり、本棚にある巻物を次々とめくって読みふけっていた。
「おい、聞いてるのか。さっきから話をしていると言うのに、おぬしは何をしている」
賀茂 保憲は丁寧に二十四節気について、巻物に描かれた文字を指さしながら説明していた。
「そんなん。ただ、時間を大事にしろってことじゃないんですかね……」
「そんな簡単なことじゃない。春夏秋冬とその時で変化する。それが、美というものなんだ。おぬしは全然分かっておらんなぁ……晴明、どういうことだ。こやつが能力があると聞いていたが、基礎の基礎をこうやって、投げやりな態度でどこが……と言いたいところだ」
賀茂 保憲は焼け石に水のような説教をしても、意味がないだろうと呆れかえっていた。安倍晴明に近づき、助け船を求める。安倍晴明は何も言わずにそっと、土御門の横に寄った。
「おぬし、『あやかし』というものを存じておるか」
「……知らないとは言えないなぁ」
土御門の能力を分かったうえで、安倍晴明は鎌をかけてみた。鼻の下をこすり、ドヤ顔をして、土御門はパチンと指を鳴らした。指を鳴らすと、炎を出せると、お得意の術を見せつける。賀茂 保憲は学問を全て把握してない者に術が使えるとはと目を見開いて驚いていた。
「おぬし、なぜ、そんな能力を? 晴明、どういうことなんだ」
「陰陽頭、落ち着いてください。この者は、ただものではないのです。おそらく、この現世の者ではないと思われます」
随分前から気づいていた安倍晴明は、眉をしかめて、賀茂 保憲の逸る気持ちを抑えた。
「あれ、まぁ~。存じておったのですか、安倍晴明様……」
頭をぼりぼりとかきながら、にやりと笑う土御門 迅。頭の上にふわふわと浮かぶ土御門 康成がポカリと迅の頭をたたいた。
『何を調子に乗ったことをしておる! 安倍晴明様に失礼じゃろ!』
「土御門、その頭の上に浮かんでいる者は?」
目にしっかりと浮かび上がった土御門康成の姿に安倍晴明は、誰かが指示していると前々から気付いていたが、遂に本人に聞くことができた。邪悪な者だと思い、お札を懐から出そうとした。
「安倍晴明様! ちょっと、お待ちください。これは怨霊ではございません。私の曾祖父のそれまた祖父……だったかな。とにかく、ずっとずっと先のおじいさんなんです」
「……おじいさん? だと? 陰陽頭、こんな不思議なことって……私はあやかしを見ているのでしょうか?」
「こ、これは、現実のはずだ。目をしっかりしろ。いつものお前らしくないぞ」
「あの、じいちゃんのことはいいですから! ささっと試験だかの勉強をしませんか」
「……さっきから勉学をさぼっていたおぬしが言うのかね?」
賀茂 保憲は額に筋を作って、怒りを隠せずにいた。
「いいだろう。私から出題しよう。能力の高いおぬしなら、できるだろう……先日起きた火災事件の犯人の元に式神を飛ばすんだ。そうだなぁ、私の姿形を式神で飛ばすことができたら、今日の分は合格としよう。さぁ、できるか?」
巻物に筆で詳細に表し、丁寧に説明する安倍晴明に土御門 迅は、後頭部をぼりぼりかいて、烏帽子がずれそうになる。
「式神飛ばし? ふーん、なんで私の式神ではなくするのですか?」
「例えば、おぬしの姿を式神で飛ばしたとしよう。現世に存在するあやかしはおぬしを知る者は少ない。私の姿であれば、見ただけで怯える怨霊もいる。そういうことだ。お前から放つ式神は呪詛返しされる場合もある。自分の身を守るためでもある。さぁ、難しいと感じるならば、辞めるか?」
腕を組みながら、頭をぐるぐるまわす土御門迅に康成は、つんと鼻に触れていたずらをする。
「ちょ、やめろって! じいちゃん」
『おぬしも呪詛返しに遭えばいい。痛い目をみないと悪さばかりするからな』
「どこがだよ。俺は、いつでも真面目だぞっと。あ、やべ」
『現代語は慎めと注意していただろう』
「わ・た・く・し・は!」
『今更、遅いわ』
沈黙が長い時間流れた。横で聞いていた賀茂 保憲と安倍晴明は何とも言えない顔をして2人を見ていた。
「……コホン。やらせていただきましょう。その式神飛ばしを」
「私の力が強すぎて耐えられない者も中にはいるが……さて、おぬしは倒れることはないだろうか」
「全然、気を感じられませんので、平気ですよ。《《私は》》!」
「よく言えるものだな」
「いやぁ、それほどでもないですよ」
「褒めてないんだが……まぁ、よい。術を送る。受け止めろ!」
安倍晴明は人差し指と中指を立て、目をつぶり、息をふきかけると土御門 迅に念を送った。土御門 迅は、指を絡めて手を組み、目をつぶる。
書庫の中には、賀茂 保憲と安倍晴明、土御門 康成に憑依している迅だけがおり、術を交わす2人の間には魔法陣と強い風が吹き荒れた。床から現れる白龍がぐねぐねと動き、安倍晴明を取り囲んだ。形代が浮かびあがり、もう一人の安倍晴明にそっくりな式神が現れる。土御門 迅は安倍晴明の念を跳ね返すように強く念じた。
「よくぞ、耐えられた。よし、いいぞ。そのまま送るのだ!」
『青龍・白虎・|朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女《せいりゅう・びゃっこ・すざく・げんぶ・こうちん・ていたい・ぶんおう・さんたい・ぎょくにょ》』
土御門 迅の唱える声が木霊する。安倍晴明の式神を引き連れて、火災事件の犯人につながる痕跡を辿る。安倍晴明の式神が青龍の力を借りて、すいすいと流れる。火災現場から続く、長い道。青白い霊力によって、一本の道となっていた。長き道をずっと辿ると、人間界でもない霊界でもない、酒吞童子の生息する忌避空間がそこにはあった。
「ここか……」
土御門迅の脳内では、遠隔で入ってくる酒吞童子の屋敷が浮かび上がった。年を若くしても未来と変わらぬ酒吞童子の姿にこめかみがかゆくなった。見たことのある姿に思わず、安倍晴明の式神という姿を消して、念だけを強く送る。目には見えない力に酒吞童子も苦しんでいた。最強の鬼とも呼ばれる酒吞童子。ここでやすやすとやられるわけにはいかない。青白く光る龍が襲いかかろうとすると、酒吞童子の仲間たちが駆けつけようとしていた。すると、土御門の力が不意に弱くなるのが分かった。
「あ、ダメだ……腹、減ったぁ……」
突然の空腹感に襲われる土御門 迅に頭上では、土御門康成がポカリと頭を叩くが霊体のため効果はない。安倍晴明の式神として念を込めていた形代も効果が無くなり、床にふわりと落ちた。
「……あと少しのところだったんだが。残念ながら、失格だな」
賀茂 保憲は腕組をして眺めていたが、膝をついて倒れる土御門迅の姿を見て、掌を上にして、呆れていた。
「おぬしは甘いんだ。無能なんだよ、無能。修行が足りん」
「……いや、だって、まだ、昼飯も食べていないんですよ? そりゃ、腹減るってもんですよ」
「私は、腹が減っても術は解くことはしないなぁ。まだまだってことだろう。昇格試験はまだ先の話ということだ」
安倍晴明は期待を寄せていたが、あとちょっとでできなかった姿を見てがっかりしていた。
「かー! こんなん、あり?!」
土御門 迅は、両手を右手のひらで隠し、両膝をついてうなだれた。そこへ、ぽかりと叩こうとした霊体の土御門康成はヨシヨシと頭を撫でようとしたが、霊体は触れることはできないことを思い出し、残念がる。
「情けはいらんわ! ちくしょーー」




