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無能な陰陽師 ー平安時代 編―  作者: 餅月 響子
第 肆 章 ――忌避 空間――

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16/24

参

 羅城門の奥にある大きな森には、この世とあの世が繋がる境目があった。森の中を駆け巡る野兎が後ろから追いかけてくる熊から必死で逃げようと、後ろを何度も振り返りながら、森の奥へ奥へと進む。時々、とんがった小枝に足がつっかえることもあったが、すぐに起き上がり、走り抜ける。背の低い木の枝にひっかかりそうになった時、野兎は見えない壁に触れた。ぶわんと、壁がまるで水の波紋のような空間が広がる。不気味で恐怖心でしかない。後ろからは大きな熊がよだれを垂らしてこちらを見る。前も後ろも逃げ場がないと、ぐるぐると回っていた野兎の耳を、ひょいっと透明な壁から手が伸びてきた。


 熊は透明な壁に一瞬にして、野兎が消えるのをしっかりと見ていたが、追いかけるともうどこにもいなくなった。ふがふがと鼻息を荒くして、どこかに行ってしまった。


 透明な壁の向こう側には、高貴で純白な布を背中に纏わせた藍色髪の風神と朱色の煌びやかな着物を羽織り8個の太鼓を持った雷神の姿があった。手を伸ばしたのは、風神の方だった。


「おうおう、良い獲物がやってきたなぁ……」

「何をしてんだ。そんな小さなものを独占して。あっちに大きな熊がいただろう」

「あんなの癖が強いだろ。俺が酒吞童子様に渡すんだ。高級そうなお肉を出さないとだな!」

「野兎が高級? んな訳ねぇだろう。酒吞童子様は、人間がお好きなんだぞ。そう、強い能力を持った陰陽師なんかは最高級に贅沢じゃないか」

「……それは、そうだろうけども。捕まえられないだろう、まだ! お前の力が弱いせいだからな!」

「お前もだろ!」

「うっさいわ!」


 風神と雷神はお互いに髪の毛をひっぱりながら喧嘩をしていると、辺りに雷が発生するわ、猛烈な風が起こるわで、周りは騒然とする。ここは、酒吞童子のお屋敷の中、たくさんの鬼たちがあっちやこっちやと慌ただしく働いていた。金の屏風がある奥の奥の部屋で酒吞童子はちびちびとお酒を飲みながら、優雅な時間を過ごしていた。沈魚落雁《ちんぎょらくがん》な絡新婦《じょろうぐも》を横にべったりと置いて、精神統一をしていたが、時々首をくいとひねって体勢を整える。


「酒吞童子様。どうなさったのです? 何か気になりますか?」

 豊満な胸をはだけそうになる着物を羽織った絡新婦は猫のような大きな目で近づいた。


「ああ、そうだな……時々感じるんだ。この屋敷にどこからか発してる念を」

「念? なんと、それは喜ばしいことではないじゃないですか」

「ん?」


 酒吞童子は、この世のものとは思えないほどの恐怖に満ち溢れた目で絡新婦を睨む。


「あ、いや、その……そんなに睨まないでくださいよ。あたしは、酒吞童子様のお力がみなぎるのではないかとそう申しているのです。陰陽師でしたっけ。強い能力を持ったものを食べれば、酒吞童子様は今よりも強くなれるじゃないですか」

「そういうことか。それならば、この首の痛みはその前兆ということでいいんだな?」

「ええ、力を頂けるんですよ。きっと良いことが起きるんですわ」

「そうだといいんだけどな」


 酒吞童子は、お酒を朱色の盃にたっぷり注いでぐびぐびと飲み干した。

 すると、人間界の屋敷が異世界のからくり屋敷への空間に切り替わった。少し離れたところから琵琶の音が鳴り響いた。お経を全身に描かれた耳の無い琵琶法師が勢いよく、琵琶を叩くように演奏する。その隣で座敷童が大きな鈴を鳴らした。


「ぐああああわわあわーーーーーー」


 何かに取りつかれたように酒吞童子は頭を抱えて叫んだ。狂ったようにのたうちまわる酒吞童子を見て、尋常じゃない様子に戸惑う絡新婦の姿があった。ふと、目の前にお札を持った狩衣姿の男が現れた。目を閉じ、何かを何度も唱えている。その声は徐々に大きくなる。


「お~~の~~れ~~やめろ~~!! その念だけは唱えるんじゃない!! ぐわあああわああーーーーーー」


『青龍・白虎・|朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女《せいりゅう・びゃっこ・すざく・げんぶ・こうちん・ていたい・ぶんおう・さんたい・ぎょくにょ》』


 指で印を切りながら真言を唱えていた。安倍晴明だった。たった一人で、酒吞童子の前に現れていた。


「酒吞童子! ここでお前の息の根を止めてやる。覚悟したまえ!!」

「な、なにを~~!!? お前たち、あいつを止めろ! もう二度と話せないくらいに口を塞げ、指を折れ。念を唱えることのできない姿にしてやるんだ! ぐおぉおおーー」

「どこまでも、しぶといやつめ」


 安倍晴明は、念を強く唱え、腕を振り上げると青白く光る龍をおびき寄せた。酒吞童子に従えていた鬼たちと風神と雷神は、もみくちゃになるくらいに安倍晴明に立ち向かっていったが、目の前にいたはずの安倍晴明は白い人型の紙だけになってしまっていた。


「どこにいった?!」

「逃げたのか!? 追いかけろ~。まだ近くにいるはずだ」


 小鬼たちはぐるぐると回りながら、縁側の方へ走り去っていく。近くにいた風神は、自分は動かずに小鬼たちに右腕を上げて応援する。雷神は、じろりと風神を睨む。


「いけいけ。集団で行けば怖くないぞぉ~」

「……風神。ここに落ちているものは見えないのか?」

「え? 何のことだ」

「形代《かたしろ》だ。安倍晴明の式神だってことだよ。見せられていたのは幻だ」

 

 安倍晴明の念が解けた瞬間に酒吞童子は、その場で四つん這いになり、せき込んだ。体の中に何かが入り込んだように息苦しい思いをしていた。


「安倍……晴明……あやつ、もうここの場所を突き止めたというのかぁ……風神、雷神!!」

「ふへ?! どうなさいましたか」

「さっきからお近くにいましたよ。やっと気づきましたか」


 風神と雷神は、喧嘩していたことをすっかり忘れて、ふわりと体を浮かせてむせる酒吞童子のそばに駆け寄った。


「……あいつを……あいつをさがせ。今すぐにだ!!!」

「……御意」

「お任せを」


 体を起こして冷静さを取り戻す。盃にはもうお酒が入っていなかった。絡新婦は、酒吞童子の背中を介抱する。風神と雷神は、襖を開けると、すぐに真夜中の空へと飛び立った。

 遠隔で念を送ってきた安倍晴明を追いかける。


 西の空には、細くて長い三日月が見えていた。カラスが一羽、森の上を静かに飛んでいた。


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