壱
漆黒の闇が落ちて来たようだった。辺りは重い空気に包まれている。どこからか、鈴の音が聞こえる。黒い篝火の炭がパチパチと燃える横で一人の男が提灯を吊り下げて、体をふらりと傾けながら家路を急いでいた。頬を赤くして、焦点が合わない。少し先には京都の正門である羅城門がある。刀を腰につけていた男は鞘を整えながらも、足元はふらふらしていた。
「うへぇ……なんで、おいらはこんなにふらつくかって……」
何を言っているか自分でも分からずに、千鳥足で暗い夜道を進む。ふらっと左側に倒れると、提灯が転がって、大事な火が消えてしまった。
「うぉ……やっちまった! こりゃ、見えない。明かり、明かり……」
篝火を頼りにぼんやりとした道を辿る。油に火をつけなければと男は夢中になって、酔っていたことも忘れるくらいに篝火に手を伸ばした。
「お前さん。何をしてるん?」
薄暗い羅城門の近くで一人の女が現れた。男は、突然のことで肝を冷やした。
「うひゃぁ!? お、お、お前。ど、どっから出て来たんだ!?」
「何を言うんだい。あたしは、ずっと前からここにいたよ」
「こ、ここだって? ……んー?」
女は篝火の近くをぐるぐる回る。男は変なことを言う女だと不審がる。
「こ、こんなところにずっとなんかいられるかぁ! わ、わかった。わかったぞ。あれだ。お前は妖怪だぁ」
しゃっくりをしながら、人差し指を出して笑う男に女は草履をじりじりと這わせて近づいた。着ていた着物が擦れる音がする。男はまだ気もしないで笑っている。妖怪だと言いつつ、嘘だと思いながら、家路の方へ向かおうとした。まだ提灯には火はついていない。
「お前さん。火をつけなくちゃ、意味がないじゃないか!」
女は親切心に提灯に火をつけようと、素手で篝火から炭を取り出した。その行動を見た男は、背筋を凍らせた。提灯に火が付いた瞬間、同時に女の顔が見えた。真っ暗でどんな顔してるかよく見えなかったが、明るいところでよく見ると、目と鼻、口が全くない、のっぺらぼうだと言うことが分かった。
男は一気に酔いが覚めて、持っていた提灯を吹っ飛ばしながら、慌てて駆け出した。
「うぎゃぁぁああああああーーーーーーー」
無我夢中で駆け出した。どこに向かっているかなど考えていない。後ろからさっきの女が提灯を持ちながら、俊足で追いかけてくる。
「お前さん。どこに行くんだーい! 提灯忘れているよぉ~」
「ついて来るなぁぁあああ~~~ぎゃぁああああーーーー」
涙を大量に流しながら、必死に走る。街から外れた森に向かって逃げようとするが、足がもつれて逃げることができなかった。草履が脱げて、地面に這いつくばった。
「ああ、追い付いたぁ。お前さん。逃げるのが早いんだね。追い付いて、本当に良かったよぉ……提灯忘れて行ったらさぁ、お前さんの体を焼き切ることができないからねぇ」
「うぎゃああぁああああああああ~~~~」
のっぺらぼうは、持っていた提灯を男の顔に近づけて、揺らすと一気に炎が大きくなった。油を少量しか入れてなかったはずが不思議な力で膨大に膨れ上がっていく。みるみるうちに男の体が提灯から噴き出た火で燃え広がっていった。森の入口の端っこで、焦げ臭い匂いが充満する。
「良い獲物だったよ。お前さんの骨はあたしが拾ってやるよ。なぁ、権兵衛さん」
―――― 一方、森から少し離れたところの稲荷神社では、ふとんを敷いてゆっくりと寝ようとしていた白狐兎と赫の姿があった。
「さーて、今日も一日頑張ったなぁ……」
「稲荷寿司食べるのに必死だったなぁ」
「べ、別に、いいだろう。俺は稲荷寿司が好きなんだって。放っておけって。何も好きなもの無いお前の話は聞かないでおくからな……ん? 何か匂う」
「好きなものがないんじゃない。好きと言いたくないだけだ」
「しっ! 静かにしろ……ただもんじゃねぇ! じいちゃん!!」
白狐兎は、綺麗に敷いたばかりのふとんにぐちゃぐちゃにして、廊下を出た。氷狐竜の元に急ぐ。隣にいた赫は、きょとんとした顔をしてふとんを綺麗に敷き直して、何事もなかったように眠りにつこうとする。
白狐兎の足音が豪快に聞こえて、眠りにつくことは不可能だと察する。
「赫!! 行くぞ。山の向こうの方で火事だ。ただもんじゃない気配もある」
「え、氷狐竜 様は?」
「もちろん、一緒だ。お前も行くぞ」
「今から、寝ようとしていたのに……それ、行かなくてもいいよね?」
「ん? なぁにをさぼろうとしてる?」
「……ちぇ」
白狐兎にずるずると首根っこをつかまれて、引きずられて進む赫の姿があった。
心穏やかには過ごせない時間が始まろうとしている。
神社の向こう、火の手が大きくなるのが見えた。森で休んでいたカラスやコウモリが慌てて空に飛んでいった。
火事を知らせる木札を叩く警報が鳴り響いていた。




