05 薄情者と言われても
駅に着くと、いつものようにホームの端で良子ちゃんが待っていた。
朝の通勤ラッシュを、良子ちゃんと一緒に過ごすのがすっかり当たり前になっている。
一時は本気で心配していた通報もなく、穏やかな日々が続いていた。
学校の最寄り駅までは、たった四駅。
それでも、彼女の負った傷は思っていたよりも深いらしい。「一人で乗ってみる」という選択肢は、まだ彼女の中にはないようだった。
それでも、最初の頃に比べれば、ずいぶん良くなった。
電車の中でも表情の硬さはなくなり、いつの間にか学校のことや店のことを話しては、笑顔を見せるようになっていた。
ところが、今日に限って、良子ちゃんのほうから話しかけてくることがなかった。
こちらから話を振っても、「はい」「そうですね」と曖昧な返事ばかり。
駅に着くたびに「あ」と小さく声を漏らしたかと思えば、急にぶんぶんと首を横に振ったりする。
挙動不審極まりない。
「どうしたの? 気分悪い?」
「だ、大丈夫です。です。元気です!」
……この反応を、信じていいのだろうか?
普段の様子や、お弁当屋さんで働いているときの元気な姿と比べて、あからさまに何かがおかしい。
良子ちゃんが降りる駅に着いた。
いつものように見送ろうとした瞬間、腕をぐいっと引かれて、俺までホームに降ろされてしまった。
背後で、ドアがぷしゅうと閉まる。
「いや、本当にどうしたの?」
「あの、えっと……こ、これ! 作ってきました!」
良子ちゃんは顔を真っ赤にして、両手で何かを差し出していた。
可愛らしいうさぎ柄の布に包まれた、四角いもの。
それが何なのか、考えるまでもなかった。
なるほど、と納得する。
高校生の女の子が、おっさんに片足を突っ込んだような俺に、こんなものを渡そうとしているのだ。そりゃあ緊張もするだろう。
「さ、最初から全部、一人で作りました。お野菜、いっぱい入れてます。遠山さん、まだ顔色悪いので……。だから、その、美味しくなかったら……」
あの店主に色々と教えてもらいながら、一人で一生懸命作ったのだろう。
偶然知り合っただけの俺に、ここまでしてくれる。
きっと、あのときのお礼と、毎朝ボディガードをさせていることを気にしているのだ。
良子ちゃんにとっては、いまだに心苦しいことなのだろう。
すぐに受け取らなかったせいで、後ろで電車が発車してしまった。
良子ちゃんが、はっとして申し訳なさそうな顔になる。
「あっ……す、すみません、電車が」
「大丈夫、次の電車でも十分間に合うから。気にすることないよ」
「でも、すみません……」
会社には、もう少し遅く着いても問題ないくらいだ。そんなに気落ちされても困る。
むしろ、こんなことまでしてもらって、俺のほうが悪い気がしているのだけど。
「ありがとう。でも、ごめんね」
「あ……」
良子ちゃんの顔から、さっと血の気が引いた。
「そ、その……すみません。迷惑、でしたよね」
悲しそうな顔をして、お弁当を鞄にしまおうとする。
俺は慌てて、奪い取るような形でお弁当を受け取った。
どうやら、俺の言い方が悪くて、悪い方向に受け取られてしまったらしい。
「違う違う! 言い方が悪かったね。実は急に決まってさ、仕事の都合で明日から一泊で出張なんだ。だから明日の夜はお店に寄れないし、お弁当箱を返すのが遅くなっちゃうなと思って。それに、明日の朝は一人になっちゃうけど、大丈夫?」
昨日の夕方、柳部長から「社長の視察に同行してもらえますか」と言われたばかりだった。
入社二ヵ月の新人が社長のお供なんて、普通はありえない。部長いわく、「社長のご指名」だそうだが、どうせ荷物持ちが欲しいだけだろう。
「そうなんですか……。明日は、遠山さん、いないんですね」
「本当にごめんね」
俺がいる今はある程度慣れてきたとはいえ、いざ一人になると思うと、やっぱり不安になるよな。
とはいえ、いつまでも一緒に通勤するわけにもいかない。
時間通りに登校できない日があっても、それは学校と相談して対応してもらうしかない。
完全な部外者である俺が、これ以上首を突っ込んでいい話でもないだろう。
俺がいない日でも、問題なく電車に乗れる日が来るといいのだけど。
「……私、行きます」
「うん。行ってらっしゃい」
小走りで学校へ向かっていく背中を見送りながら、頭の中に【いつまで】という言葉が浮かんだ。
助けた手前ということもある。あの子が俺を必要としなくなるまでは、面倒を見るしかないのだろうか。
* * *
「遠山さん、今日は珍しくお弁当なんですね」
昼休み。
鞄から弁当の包みを取り出した途端、部署の女性陣がわらわらと集まってきた。
俺の昼食は、普段ならコンビニ弁当か、近くの定食屋で済ませている。
だから、こんなものを持ってきたのが珍しいのだろう。
入社してからというもの、なぜか俺はこの部署の女性陣から、私生活について根掘り葉掘り質問攻めに遭っている。独り身の俺が手作り弁当なんて持ってきたら、興味を持たれるのは当然だ。
余計な詮索をされるかもしれないが……想定内だ。答えは用意してある。
「ええ。知り合いの子が料理の勉強をしてまして。言わば、実験台ですよ」
「ふーん、知り合いの子、ねえ」
声をかけてきたのは、入社初日に社長室で会った、あの女性社員だった。
なぜか、目がきらりと光った気がする。
「でも、いいじゃないですか。SNSには絶対アップしないので、写真撮ってもいいですか?」
「それならいいですよ」
うさぎ柄の布をほどいて、弁当箱の蓋を開ける。
途端に、女性陣から「可愛い!」という声が上がった。
タコの形のウインナー。ハートの形に抜かれたにんじん。彩りよく詰められたおかずの真ん中で、ご飯の上に海苔で書かれた『がんばって』の文字。
思わず、口元がほころんだ。
パシャパシャと何枚か写真を撮り終えると、件の女性社員は「ありがとうございました!」と言うなり、スマホを握りしめて部署を飛び出していった。
どこへ行くんだろう。トイレかな。
他の女性陣も自分の席に戻り、俺はようやく弁当と向き合うことができた。
まずは定番の卵焼きから。
箸を伸ばした、そのときだった。
バァン! と、部署のドアが勢いよく開いた。
「ふー……ふー……ふー……」
肩で荒い息をした先輩が、ものすごい剣幕でこちらへ歩いてくる。
部署の空気が、一瞬で凍りついた。
先輩は俺のデスクの前で止まると、両手でデスクを叩きつけた。
バン! という大きな音が、静まり返ったフロアに響き渡る。
あの……俺は平社員で、あなたは社長ですよね?
場合によっては、パワハラになりますよ?
「い、一体何があったんですか?」
「お前が! お前が! あの、アレをだな……!」
「何を言ってるのか、さっぱりですよ」
どうやら仕事のことではなさそうだ。
俺は、箸に刺さったままになっていた卵焼きを頬張った。
……ん? 味が薄い。良子ちゃん、塩を入れ忘れたのかな? でも、焼き加減は上手だと思う。
もぐもぐと口を動かしていると、さっきまで怒り狂っていたはずの先輩が、突然、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
「な、何してるんですか、先輩。それで、俺に何の用なんです?」
「……この、薄情者っ!」
先輩はがばっと立ち上がると、そう言い放って部署から出ていった。
ドアが、さっきよりもさらに大きな音を立てて閉まる。
……一体、何の用があったんだ?
というか、薄情者って何に対して?
よくわからないことで怒っていたけど、明日の出張は先輩と二人きりなんだよな。大丈夫かな。
一瞬心配になったものの、ああいうことは学生時代にも何度かあった。
明日になれば、いつもの先輩に戻っているだろう。
気を取り直して、食事を再開する。
すると、背後からヒソヒソと話し声が聞こえてきた。
「うわっ、サイテー。あんなの、どう見たってわかるでしょ」
「わざとじゃない? 俺モテてますアピールとか。最悪よね。社長があれだけ目をかけてるのに……」
「ほんとよね。なんであんなのがいいのかしら。そりゃ、仕事はちゃんとしてるけどさ」
……俺のことでないことを祈りたい。
だが、背中に突き刺さる冷たい視線は、気のせいとは思えなかった。
せっかく作ってくれた弁当を、味わう余裕もなかった。
口いっぱいにおかずを詰め込み、お茶で流し込んでいく。
綺麗に平らげてから、俺は弁当箱を抱えて部署から逃げ出した。
ごめん、良子ちゃん。次は、ちゃんと味わって食べるから。
* * *
翌朝。
出張に向かうため、駅で待ち合わせていた。
改札の向こうから、ふらふらとおぼつかない足取りで先輩がやってくる。
俺の顔を見るなり、先輩は大きなため息をついた。
「先輩、おはようございます」
「ああ……うん。おはよう」
「……大丈夫ですか?」
おかしい。
何があったのかはわからないが、今日の先輩は、目が死んでいる。
寝不足、というだけではなさそうだ。やはり、昨日のアレが原因なのか?
昨夜、家で先輩が怒っていた理由を色々と考えてみたものの、結局まったくわからなかった。
「はぁ……はああぁぁぁぁ……」
先輩は、魂まで抜けていきそうな、長い長いため息をついた。




