03 面接は、始まる前に終わった
「今、断るって言ったか? 言ってないよな? 私の聞き間違いでいいんだよな?」
「誘ってくれたのは、正直すごく嬉しかったです。でも、これ以上先輩に甘えるのは悪いですから」
「甘えていいんだよ。人材は本当に募集してるんだ。お前のことならよく知ってるし、頼りになると思ってる」
先輩は怖いところもあるけれど、本当に面倒見がいい。
俺が負担に感じないように、あえて言葉を選んでくれているのだと思う。
先輩は、昔からそういう人だった。
だから、先輩の周りにはいつも人が集まった。皆、先輩のことが好きだった。
「お前なら、うちの会社でも十分戦力になると思ってたんだ」
「……そう言ってもらえるだけで、救われた気がします」
この歳になっての就職活動は、正直なところ心が折れかけていた。
何社も面接を受けて、二次面接、最終面接と進むたびに、今度こそはと期待する。そして、その期待はいとも簡単に打ち砕かれる。
夜は疲れ果てて泥のように眠るだけの日々。
いつか貯金が底をつくまで、ずるずると自堕落な生活に落ちていくのではないか。毎日毎日、そんなことばかり考えるようになっていた。
こうして応援してくれる人がいる。それだけで、明日からもう少しだけ頑張れる気がした。
「昔のよしみだけで採用すると、会社にとって不利益になることもあるんです。先輩のほうこそ、考え直してください」
「そんなことを言うな……」
先輩は、俺のスーツの袖をきゅっと摘んでいた。
「私は、お前がいいんだ」
悲しそうな顔をする先輩を前に、俺はどうするべきか迷っていた。
もしかしたら本当に、俺を必要としてくれているのだろうか?
ついつい、自分に都合のいい方向に考えてしまう。それどころか、次の仕事が見つかるまでの「繋ぎ」として甘えてしまおうか、なんてことまで頭をよぎる。
大学時代の俺なら、何の迷いもなく、文句を言いつつも先輩に従っていただろう。
でも、今の俺たちは、もうそんな歳じゃない。
いつまでも先輩と後輩の関係が続くとしても、会社という組織に属するなら、これまでの間柄はかえって足かせになりかねない。
先輩の会社だって、今は大変な時期なのかもしれない。だからこそ、もっと慎重に人を選ぶべきなのだ。
「……先輩?」
「いいから来るんだ。お前がそこまで言うのなら、私が直々に面接をしてやる」
「ちょっと、なんでそうなるんですか!?」
袖を摘んでいた先輩の手が、いつの間にか俺の腕をがっちりと掴んでいた。
ぎりぎりと、骨が軋むような音がする。
先輩の握力は、リンゴも握り潰せると噂になっていた。
その噂の真偽を、俺の腕で確かめたくはない。
「わ、わかりました! 面接は受けます! 受けますから、手を離してください!」
「ほ、本当だな!?」
振り返った先輩は、満面の笑みを浮かべていた。
まるで、あの頃に戻ったかのような笑顔だった。
腕を力強く引っ張られ、俺は引きずられるようにして先輩の後に続いて歩き出す。
『君は、そこで何をしているんだ?』
『サークル選びで迷う必要なんてない。君は私たちのサークルに入るのだからな』
大学に入ったばかりの春。
キャンパスの中で途方に暮れていた俺の腕を、今と同じように掴んで引っ張っていったのも、この人だった。
先輩は、あの頃と何も変わらない。
自由で、わがままで。振り回されることも多かったけれど、先輩がいると、皆が笑っていられた。
でも先輩……そろそろ、力の加減を覚えてください。腕が痺れてきました。
「ここだ!」
先輩が振り返り、両手を広げてみせた。
かろうじて見覚えのある通りだった。
俺は鞄から、プリントアウトしてきた地図を取り出して、周囲の建物と見比べる。
隣のコンビニ。向かいの古い喫茶店。間違いなく、この場所だ。
だが、ここだけがまるで別物になっていた。
パソコンの画面で見た、あのひび割れた雑居ビルではない。
ガラス張りのエントランスに、磨き上げられた外壁。七階建ての、真新しいオフィスビルが建っていた。
「何を見てるんだ? ああ、それは建て替える前の写真だな」
「建て替えた……?」
「三年前にな。ちなみに、このビルは丸ごとうちの会社の所有だぞ? ネットは便利になったが、この道は交通量が少ないから、地図の写真の更新が遅いんだろう」
確かに、プリントアウトした写真の隅には、六年前の日付が入っていた。
というか、こんな立派なビルが、会社の所有物?
しかも、建て替えられるほどの資金が?
よく見れば、一階と二階にはカフェと歯医者が入っている。テナントとして貸しているのか?
これなら、俺一人雇うくらい、何の問題もないのか?
いやいや、でも、本当にいいのか?
「何をブツブツ言ってるんだ?」
気づけば、先輩が腕を組んで、怪訝そうな顔で俺を見ていた。
「……もしかしてだが。会社がボロいビルに入ってると思ったから、断ろうとしてたのか?」
声のトーンが一段階落ちた。
確かに、そう考えなかったわけではない。わけではないのだが……。
ここで正直に答えたら、確実に殺される。
「そんなことありませんよ! 大好きな先輩のことを思えばこそです!」
「だっ、だいす……」
――理不尽すぎる。
これが理不尽でないのなら、いったい何が理不尽だというのか。
会社の前でのやり取りで、なぜ俺はいきなりビンタをされたんだ?
しかも、グーではなくパー。先輩がパーで叩くところなんて、初めて見た。
昨日のハンバーガーショップといい、さっきのお冷やといい、先輩は最近、情緒が不安定なのかもしれない。
「さっきはすまなかった。しかし、お前も悪い。そこは重々反省するんだ」
「……申し訳ございません」
何をどう反省すればいいのかさっぱりわからないが、とりあえず謝っておく。
空手の有段者として、素人に手を上げてはいけないということを理解してほしいものだ。
口に出して言えればいいのだが、これ以上面倒なことになりたくないので、黙っておくことにした。
エレベーターで最上階に上がり、社長室に通される。
ビルを建て替えるだけのことはあった。俺が座っている革張りのソファも、壁一面の本棚も、窓から見える景色も、前の会社の社長室とは比べ物にならない。
コンコン、とノックの音がした。
「失礼します。――あ、申し訳ございません。ご来客中とは存じませんでした」
「彼のことなら構わない。すまない、少しそこで待っていてくれ」
入ってきたのは、ファイルを抱えた若い女性社員だった。
先輩はデスクに座ったまま書類を受け取り、何事か指示を出し始める。
間違いなく仕事の話だろう。今の俺は完全に部外者なのだから、席を外したほうがいいと思うのだが……。
案の定、先輩はまったく気にしていない様子だったが、女性社員のほうは俺のことが気になるらしく、何度もちらちらとこちらを見ていた。
……いや、気になるというより、なんだか値踏みされているような目つきだった気がする。
「では、そのように進めてくれ」
「かしこまりました」
女性社員が一礼して出ていくと、先輩はふんぞり返って、ちらりと俺のほうを見た。
どうだ、私は仕事ができるだろう――と、顔に書いてある。
褒めて、という顔だ。この顔は、これまでに何百回と見てきた。
俺はそんな先輩をよそに、ため息をついて目を閉じ、首を横に振った。
「お前の、そういうところは嫌いだ」
「先輩の、そういうところ。俺は好きですよ」
――パァン。
叩かれていないほうの頬に、二発目のビンタが飛んできた。
まだ始まってもいない面接は、その場で終了を告げられ、俺は廊下に放り出された。
「失礼ですが、遠山さんでよろしいですか?」
両頬をさすりながら廊下で途方に暮れていると、声をかけられた。
「はい。遠山達也は、私ですが」
「ああ、良かった。人違いでなくて安心しました」
白髪交じりの、穏やかそうな年配の男性社員だった。
顎に手を当てて、俺の頭のてっぺんから爪先まで、まるで品定めでもするかのようにじっくりと眺めてくる。
俺が居心地の悪さを感じていることに気づいたのか、男性は誤魔化すように笑った。
「いや、失礼なことをしてすまない。申し遅れました、私は柳と申します」
そう言って、持っていた分厚いファイルを差し出してきた。
「配属していただく部署の業務マニュアルなどです。それと、これが私の名刺です。それでは、明日からよろしくお願いしますね」
「は、はぁ……」
明日から、社員として来いということか?
面接は、たった今、強制終了されたはずなのだが。
ファイルの上に載せられた名刺には、「総務部 部長 柳」とあった。
さっきの人は、部長さんだったらしい。
……俺、本当に大丈夫なのか?
* * *
同じ頃。
ビルの五階にある、総務部の小会議室。
ブラインドの下ろされた部屋に、数人の社員が集まっていた。
ホワイトボードの前に立つ柳部長が、静かに口を開く。
「彼は、いかがでしたか?」
「私は、いいと思います」
先ほど社長室に書類を届けた女性社員が、真っ先に手を挙げた。
「真面目そうな方でしたし。それに……」
彼女は言葉を切って、少しだけ声を潜めた。
「何より、あのお顔ですから」
「ええ、私も廊下でお会いして驚きました。社長が仰っていた通りでしたね」
「あれなら、社長が放っておけないのも無理はない」
会議室のあちこちで、うんうんと頷く気配がする。
柳部長は満足そうに目を細め、ゆっくりと全員の顔を見回した。
「では皆さん――よろしいですね?」
全員の手が、一斉に挙がった。




