↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30を過ぎた俺に、モテ期という都市伝説は来なかった  作者: 松原 透


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/14

13 忘れていた恋を、もう一度

 一ヵ月後。


 都内のホテルのチャペルは、早くも人でいっぱいだった。


 新郎側の席には、懐かしい親戚の顔ぶれ。新婦側の席には、先輩の会社の社員たちと、大学時代のサークルの面々。

 柳部長は、最前列でハンカチを握りしめていた。まだ式も始まっていないのに。


「――達也ァ!」


 チャペルの入り口で、地響きのような声がした。


 振り返る間もなく、俺の体は宙に浮いていた。

 白いタキシードをパンパンに張り詰めさせた巨体が、俺を軽々と抱え上げて、ぐるぐると振り回している。


「久しぶりだなあ! 元気だったか! 顔色、思ってたより全然いいじゃねえか!」


「た、猛兄ちゃん……! 下ろして……! 首が……!」


 白川猛男。

 俺と同じ顔をした、ゴリラ。

 いや、新郎だ。今日の主役だ。


 ようやく床に下ろされると、猛兄ちゃんは俺の両肩をがっしりと掴んで、まじまじと顔を覗き込んできた。

 近くで見ると、本当に、俺の顔だった。首から下が、俺の三倍くらいあるだけで。


「会社のこと、聞いたぞ。大変だったな。……悪かったな、もっと早く気づいてやれなくて」


「いいよ。先輩が、拾ってくれたから」


「ああ。静さんには、頭が上がらねえ」


 猛兄ちゃんは、子供の頃と同じ顔で、にかっと笑った。

 悪ガキから俺を守ってくれた、あの夏の日と同じ笑顔だった。


「で?」


 猛兄ちゃんの視線が、俺の隣に移る。


「そちらの美人さんは?」


 俺の隣には、桜子さんが立っていた。

 付き合い始めて一ヵ月。ようやく「七瀬先輩」から呼び方を変えられたばかりだ。

 受付で、先輩が用意してくれたあの招待状を、少し誇らしげに差し出していた人でもある。


 淡い桜色のドレス。

 ぼさぼさだった髪は綺麗にまとめられ、分厚い眼鏡は、今日だけはコンタクトに替えている。

 朝、聖域から出てきた桜子さんを見たとき、俺は思わず持っていた靴べらを落とした。

 図書室の桜子さんとは違う。でも、紛れもなく、俺の知っている桜子さんだった。


「七瀬桜子です。本日は、おめでとうございます」


 桜子さんが、完璧な所作でお辞儀をする。

 さすが、元生徒会長だ。外面は、今でも健在らしい。


「おお、これはどうも! 達也の……?」


「……彼女です」


 俺がそう答えると、猛兄ちゃんは目を丸くして、それから、俺の背中をバシンと叩いた。

 肺の空気が、全部出ていった。


「やるじゃねえか、達也!」


 咳き込む俺の横で、桜子さんは、なぜか小刻みに震えていた。

 見ると、その視線は、俺と猛兄ちゃんの顔を、交互に、ものすごい速さで行き来している。


「……同じ顔の、従兄弟……体格差……兄貴肌と、守られてきた弟分……」


「桜子さん?」


「……尊い」


 口元を押さえて、桜子さんは小さく呟いた。

 何を考えているのかは、聞かないことにした。たぶん、今夜の聖域のキーボードは、いつもより速く鳴るだろう。




 式は、滞りなく進んだ。


 バージンロードを歩いてくる先輩は、本当に綺麗だった。

 純白のドレスに、長いヴェール。いつもの鋭い目つきは、今日だけはすっかり柔らかくなっていた。

 祭壇の前で待つ猛兄ちゃんは、先輩の姿を見た瞬間から、男泣きに泣いていた。


 誓いの言葉。指輪の交換。

 猛兄ちゃんがヴェールを上げると、先輩は、見たこともないくらい真っ赤な顔をしていた。


 ああ、と思う。

 あの顔は、俺の顔の向こうに、ずっとこの人を見ていた顔だ。

 ハンバーガーショップでも、会社の前でも、社長室でも。


 胸の奥が、もう、ちくりとはしなかった。

 隣で、桜子さんがそっと俺の手を握ってきたからかもしれない。




 チャペルの外の、大階段。

 新郎新婦が、祝福の花びらの中を降りてくる。


「ブーケトス、始めまーす!」


 司会の声に、独身の女性陣がわらわらと階段の下に集まった。

 総務の女性社員たちが、目の色を変えて最前列を陣取っている。


 桜子さんは、その輪から少し離れたところで、俺の隣に立っていた。


「行かないんですか?」


「ブーケより、今日の新郎の写真がほしい。達也くん、お兄さんの写真、色々とあったりしない?」


「……ぶれませんね。でも、ちゃんと奥さんの許可をもらってからにしてくださいよ。ぶっ飛ばされるの、俺なんですから」


 階段の上で、先輩がこちらに背を向けた。

 ブーケを持った両手を、大きく振りかぶる。


 ――あれ?

 あの構え、ブーケトスというより、空手の正拳突きの――。


「それっ!」


 先輩の手から放たれたブーケは、女性陣の頭上を遥かに越えて、一直線に飛んできた。

 まっすぐ、俺の顔面に向かって。


「ぶっ!?」


 顔面で受け止めた。

 花びらが、ぱっと宙に舞う。


 会場が、一瞬静まり返り、それから、どっと笑いに包まれた。


「遠山!」


 階段の上から、先輩が叫んだ。

 純白のドレスで、腕を組んで、いつもの、あの自信満々の鼻息で。


「次は、お前だ! 宛名の彼女を泣かせたら、殴るからな!」


 隣で、猛兄ちゃんが腹を抱えて笑っている。

 総務の女性陣が、拍手をしている。柳部長が、またハンカチで目元を押さえている。


 鼻の頭をさすりながら、俺は手の中のブーケを見下ろした。

 それから、隣を見る。


 桜子さんは、桜色のドレスの裾を握りしめて、耳まで真っ赤になっていた。

 俺と目が合うと、ぷいっと顔を逸らす。


「……何よ」


「いえ、何も」


 俺は、ブーケを桜子さんの手に、そっと持たせた。


「これ、持っててください。俺が持ってても、似合わないので」


 桜子さんは、ブーケと俺の顔を交互に見て、それから、小さく、本当に小さく、頷いた。


 その瞬間、胸の奥で、何かがことりと音を立てた。


 あの日、聖域で、これが「好き」なのかどうかはわからないと思った。

 十五年前の図書室の気持ちとは違うから、と。

 でも、違って当たり前だったのだ。

 あの頃の俺が好きだったのは、窓際の虚像で。

 今、目の前で真っ赤になってブーケを抱えているのは、本物の七瀬桜子なのだから。


 ――ああ、そうか。

 これが、好きってことなんだ。




 ――三十を過ぎた俺に、モテ期という都市伝説は来なかった。


 大学の先輩は、俺の顔の向こうに、従兄弟を見ていた。

 電車で助けた女の子は、俺の向こうの車両に、好きな人を見ていた。

 誰も、俺を見てなんかいなかった。


 でも、それでよかったのだと、今は思う。


 誰かに好かれるのを待つより、誰かを好きになるほうが、何倍もいい。

 十五年前に振られた人が、それを教えてくれた。


 花びらの舞う大階段の下で、ブーケを抱えた桜子さんが、くしゃくしゃの顔で笑っている。


 モテ期は、来なかった。

 ――代わりに俺は、忘れていた恋を、もう一度した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。