恋人ごっこの代償
――信じるはずがない。
あんな言葉に、惑わされるはずがない。
そう思っていたのに。
心のどこかで、ほんのわずかにでも期待してしまった自分が、愚かだったのだろう。
あの夜、彼に抱きしめられたぬくもりを。
「ごめんな」と囁いた声を。
まるで本当に愛されているかのような錯覚を。
愚かで、惨めで、どうしようもないほどに――馬鹿だった。
「……は?」
思わず足を止める。
甘ったるい笑い声と、男の低い囁き。
それに、かすかに漂う酒と香の匂い。
その瞬間、胸の奥が嫌なほど軋んだ。
わかる。
この声の主は、レイヴェルだ。
そして、彼に寄り添う、女たちの艶めかしい囁き。
視界がにじむ。
全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
――嫌だ。見たくない。
でも、確かめずにはいられなかった。
震える指先をそっと木の幹に添え、わずかな隙間から中を覗き込む。
――見たくない。
それなのに、どうしても確かめずにはいられなかった。
息を殺し、かすかに揺れる灯りの向こうに目を凝らす。
そこには、華やかな衣装を纏った遊女たちがいた。
酒を酌み交わし、彼の肩に甘えるように寄り添う女たち。
そして、その中心で、薄く笑みを浮かべているレイヴェル。
「……」
声が出なかった。
彼の膝の上に座る女が、彼の顎を撫でる。
それを、レイヴェルは嫌がる様子もなく、ただ余裕の笑みを浮かべながら受け入れていた。
「ねえ、王子様。今夜はどの子をお望み?」
遊女のひとりが、妖艶な声で尋ねる。
レイヴェルはグラスを揺らしながら、ふっと唇を歪めた。
「さあな。俺は気まぐれでしか動かない」
その言葉に、女たちがくすくすと笑う。
――気まぐれ。
私は、何を期待していたのだろうか。
この数日、優しくされて、まるで恋人のように振る舞われて――
また、あの頃のように愛されていると錯覚してしまった。
「妻になれ」と言ったあの言葉も、結局は気まぐれだったのだろう。
少しでも信じた自分が、馬鹿だった。
また裏切られるとわかっていたのに――。
これが、この男の本性なのだ。
私は知っていたはずなのに。
どうして、また同じ過ちを繰り返したのだろう。
心臓が締めつけられるように痛い。
視線がレイヴェルの手に向かう。
指先が、隣にいる遊女の髪を撫でるように流れる。
私にも、あんな風に触れた。
私にも、あんな風に甘く囁いた。
――全部、嘘だったんだ。
足が震える。
後ずさると、かすかに靴音が廊下に響いた。
「……?」
レイヴェルが顔を上げる。
まるで獲物の気配を察知した獣のように、鋭い琥珀色の瞳がこちらを見た。
「……チッ」
間に合わなかった。
逃げるよりも早く、レイヴェルが立ち上がる。
遊女たちが驚いた顔で彼を見上げるが、レイヴェルは無言で私のもとへと向かってくる。
「……何をしている?」
低く、冷たい声。
「……別に。ただ、通りかかっただけよ」
精一杯の強がりだった。
けれど、震える声がそれを台無しにする。
気づかれたくなかった。
彼の一挙手一投足に、まだ心を乱されていることを。
こんなにも惨めな気持ちになっていることを。
それでも、言わずにはいられなかった。
胸の奥が張り裂けそうなほどに、痛んだから。
「……私が泣いた夜も、きっとあなたはこうやって、他の女を抱いていたのね」
言葉に滲んだ苦しみが、夜風に溶けて消えていく。
視界が滲む。
唇を噛み締める。
彼の顔が、僅かに険しく歪んだ。
「……泣いた?」
何を言っているんだ、と言わんばかりの表情。
その反応に、もう駄目だと思った。
「っ……!」
耐えきれずに、私は駆け出した。
振り返ることなく、ただ、全速力で――。
涙は、決して流さないと決めていたのに。
どうして、こんなにも苦しいのだろう。
彼は最初から私を騙していた。
私を陥れた。
私を利用した。
そのはずなのに、どうして――。
どうして、今さらこんなにも傷つくの?
「……バカみたい」
震える声で、誰に言うでもなく呟いた。
これは、私への罰なのだろうか。
冷酷な男・レイヴェルを信じ、愛してしまった――愚かな女への。




