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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第三部

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216/224

幕間『愛など、なかった』

挿絵(By みてみん)

雨のような音がしていた。

静かな、水の音。

 

産声は──あまりに短く、そして小さかった。

 

「……おめでとうございます。王妃さま」

 

誰かが言う。

けれど、それが誰だったのか、もう思い出せない。

 

頭の中は白く、胸の奥は空っぽで。

ただ、腕の中にある小さな命だけが、現実だった。

 

息をしている。ぬくもりがある。

小さな手が、指を握っている。

 

それだけで、涙があふれそうだった。

 

***

 

やがて扉が開き、彼が現れた。

 

──ラルガス・ディエン。

 

レオーネ王国の王であり、ファナのすべてを変えた男。

 

彼はゆっくりと歩み寄り、赤子を覗き込む。

 

「……女か」

 

まるで、そこに価値を量る天秤があるかのように。

 

「そう、か……」

 

少しの沈黙。

 

「……なら、神の器として扱えばよい」

 

その言葉が、まるで刃のようだった。

 

「……え?」

 

ファナの声は掠れていた。

 

「……なん、ですか……?」

 

「跡継ぎには使えん。

“神の器”としてなら、しばらくは役に立つかもしれんが……。

この子に“王としての価値”はない。

そういうことだ、ファナ」

 

彼女は震える手で、子を抱き直した。

 

「待って、そんな……っ。

この子は……わたしの……わたしの……!」

 

「……お前のものではない」

「その子は“王家の所有物”だ。神の血と王の血を引いた存在。

今後は、宮廷の管理下に置く。教育も、監視も、式典への登壇も……全て、私が決める」

 

「そんな……!」

 

ファナは叫ぼうとした。

でも、声が出なかった。

 

顔が熱い。喉が詰まる。

涙が、止まらない。

 

「あなたは……あなたは、“大事にする”って……!」

 

──あれは、嘘だったの?

 

あの優しさも、あの腕も、あの夜の言葉も。

全部、全部……。

 

「……ああ、言ったな」

 

彼はふと、軽く笑った。

 

「“大事にする”。

ああ。……そうだ。“手に入れたもの”として、な」

 

「安心しろ。宮廷は整っている。

お前にも、最低限の尊厳は与えよう。

“神の妃”という飾り物としては、まだ使えるからな」

 

ファナは、まるで身体が砕けていくように感じた。

 

ふと、胸の上の赤子が、小さく息をした。

 

その音だけが、現実。

 

(この子だけは……)

 

彼は最後にこう言った。

 

「これからは、微笑んでいればいい。

お前にはそれが一番似合う。感情は、いらない」

 

 

──そして彼は去った。

 

 

部屋には、静寂だけが残った。

 

ファナは、何も言わなかった。

赤子を抱いたまま、じっと前を見ていた。

 

もう涙も出なかった。

 

そして──

 

ファナは、微笑んだ。

 

ゆっくりと。

静かに。

 

「……うん、大丈夫。だいじょうぶよ……」

 

誰に言うでもなく。

ただ、口元だけで。

 

その日から、ファナは微笑むことしかしなくなった。

 

怒らず、泣かず、叫ばず。

子を抱き、王に従い、式典で祈り、

いつも静かに、美しく、穏やかに。

 

まるで──人形のように。

 

愛を信じてしまったのは、自分だった。

 

だからせめて、この子の前では、

壊れていないふりをしよう。

 

ファナ・ラムゼリアは、誰にも気づかれぬまま、

“完璧な神の妃”としての仮面を身にまとうこととなる。

 

──終わりなき檻の中で。

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