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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第三部

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212/224

第七十九章『銀猫、囚われの夜に』

挿絵(By みてみん)

※ここから数話、心理的に重く、息苦しい展開が続きます。

王城へ迎えられてから、数日が過ぎていた。

 

王城の昼は華やかだった。

青い天蓋、白い大理石、花々の香りに満ちた回廊──

けれど、それらの美しさはどれも、扉の向こうにあった。

 

「……お茶を、お持ちしました」

 

控えめに扉が開き、使用人の少女が銀の盆を差し出す。

その所作は丁重だった。だが、目は合わせてこなかった。

 

「ありがとう。ここに置いておいて……」

 

ファナが小さく微笑むと、少女は一礼し、言葉もなく部屋を去っていった。

扉が閉まる音だけが、やけに大きく響いた。

 

(……また、ここにひとり)

 

花に囲まれた特別室。

柔らかな絨毯、ふかふかのソファ、暖かい光。

何ひとつ不自由はない。けれど、どこにも自由がなかった。

街へ出たいと申し出れば、「安全のため」と穏やかに止められた。

メルに会いたいと伝えても、「彼も任務で忙しい」とやんわり退けられる。

 

「……神の、花嫁……」

 

そう囁いたのは、使用人ではなく、昼にふと耳に入った兵の言葉だった。

 

“銀猫は、神の象徴。王と結ばれ、国の未来となる”

いつの間にか、王城ではそんな噂が囁かれるようになっていた。

 

まるでそれが既定路線であるかのように、誰もが自然に口にする。

(違うよ……そんな、つもりじゃなかった)

けれど、その言葉を否定する者はいなかった。

メルは、遠くにいる。

数日前、侍女たちが部屋へ入ってきた時、ファニャンはするりと扉の隙間から外へ飛び出した。

それ以来、姿を見せていない。

 

***

 

夜──

 

ファナは大きなベッドに身を沈めていた。

薄いシーツが肌を包む。けれど、それすらも孤独を癒せなかった。

 

閉じたまぶたの裏に浮かんだのは──

あの金色の髪。笑いながら口をとがらせてからかってくる、あの人。

「……メル……」

夢の中、メルが微笑んでいた。

『戻ってきて。俺は、ここにいるよ』

メルの傍らには、ファニャンの姿もあった。

小さな黒猫が、ファナの頬を舐めている。

懐かしくて、優しくて──帰る場所のようだった。

「っ……」

 

目が覚めた。

 

「……いない……」

 

部屋は、静寂に満ちていた。

(あの人は、もう……ここにはいない)

(あの子も、どこにいるのか分からない)

「……ごめんね、メル……」

 

こらえていたものが堰を切り、涙が頬をつたった。

 

「わたし、ここに……来なければよかったのかな……」

「メルと、あのまま……」

 

言葉にならない想いが喉に詰まる。

吐き出す場所も、すがる腕も──ここにはなかった。

 

「泣かないで」

 

その声は、まるで夢の続きのようだった。

戸を叩くこともなく、ラルガス王がそこに立っていた。

それを不思議に思うより先に、ファナはその声に安堵してしまっていた。

 

「っ……!」

 

ファナは反射的に身を起こすが、涙の痕はすでに頬に残っている。

 

「ごめん……今、見ないで……」

「どうして?」

 

彼はベッドに歩み寄り、そっとファナの髪に触れた。

「涙は、君が人を想っている証だ。隠すことはないよ」

その指先は、まるで花びらのように優しかった。

額にかかった髪を払い、頬をなぞり、濡れたまつ毛をそっと撫でた。

 

「君が悲しむのは……見ていられない」

 

ファナは、言葉を失っていた。

やがて彼女は、ぽつりと呟いた。

 

「……どうして……そんなに優しいの……」

「それは、君を……愛しているからだよ」

囁くような声だった。

 

「わたしは──」

 

言おうとして、声が震える。

その瞬間、王が彼女の手を取り、そっと包んだ。

 

「もう、無理をしなくていい。誰も君を責めはしない。君はただ──幸せになればいいんだ」

 

その言葉に、ファナはただ黙って頷いた。

「──ファナ」

 

彼女の名を呼ぶと同時に、ラルガス王はそっと彼女の頬に口づけた。

ゆっくりと、なぞるように。

ファナは、ただ目を閉じた。

ラルガス王がわずかに顔を離すと、ファナはそっと彼の背に腕を回した。

 

そして──

「……ありがとう……」

 

小さな声でそう呟き、王の胸に顔をうずめたまま、静かに涙を流していた。

ラルガス王は何も言わず、その背に手を回し、しっかりと受け止めた。

 

(違う……ちがうのに……)

(メルのところに、帰らなきゃ……)

(でも……優しいの。温かくて、寂しくなくて……)

(帰らなきゃいけないのに……今だけは、この温かさから離れたくなかった)

 

***

 

──同じころ、王城の最上階。

 

王城のどこかで、ひとつの選択がなされたことを察したように、ヴェルナ・クローデルは月を見上げていた。

黒紫の長い髪を風に揺らしながら、独りごちった。

 

「あらあら。主役が入れ替わるのかしら?」

「ラルガス王の破滅劇だと思っていたけれど……

 帰りたいと願いながら、差し出された手を取る。人って、本当に綺麗に矛盾するのね」

紅い唇に薄い笑みを浮かべ、肩をすくめる。

 

「けれど、舞台の幕はまだ降りていない。

 ねぇ、金雷? 君が、どう登場してくるのか……楽しみにしてる」

月の光が、彼女の双眸に妖しく反射した。

 

ベッドの上、寄り添う二つの影。

ファナは目を閉じ、ラルガス王の胸の鼓動に耳を傾けていた。

 

扉の外──

物陰に、黒い猫が一匹、佇んでいた。

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