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銀髪の猫はなにを願う  作者: 熊猫
第三部

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207/226

第七十四章『銀猫、揺らぐ鼓動のままに』

挿絵(By みてみん)

初夏の陽が、石畳に柔らかく差し込んでいた。

遠くで鐘が鳴り、王都へ続く街道沿いの都市はざわめいていた。

 

その中心では、レオーネ王国の使節団を迎えるための歓迎式典が開かれていた。

色鮮やかな旗が掲げられ、通りには市民たちが列を成していた。

 

***

 

「ようこそおいでくださいました。レオーネ王国よりお越しの、友好使節団の皆様──」

歓迎の挨拶と共に、重厚な馬車から降り立った男がいた。

金茶の髪を後ろで束ね、漆黒と緋を基調とした旅装。

柔らかな笑みを湛えながらも、目の奥に影を宿す。

 

──ラルガス・ディエン。

レオーネ王国の現国王。

だがこの日、使節団の書状にも彼の身分は“王太子”と記されていた。

王自身が用意した偽りを、異国の者が疑う理由はなかった。

 

「うん……すごい人……」

ファナは思わずそう呟いた。

その背後に立つメルが、そっと目を細めた。

ファナとメルは、ギルドの推薦によって「使節団の案内役」として選ばれていた。

友好視察という名目でありながら、その空気はどこか緊張を孕んでいた。

 

ラルガス王は、ファナに向けて丁寧に頭を下げた。

「……まさか、貴女にお会いできるとは。

“銀猫”という噂は耳にしておりましたが……お美しいだけでなく、柔らかな気配を纏っていらっしゃる」

 

「えっ……い、いえ、わたしなんて……」

ファナは赤面しながらも、自然と背筋を伸ばした。

だが、ラルガス王の視線に、どこか言葉にできない“圧”を感じていた。

──深い湖の底のような目。

一歩も逃れられない、静かな吸引力。

 

***

 

案内中、広場を通りかかったとき──

「銀猫さまだっ!」

小さな子どもが駆け寄ってきた。

ファナは戸惑いながらも、しゃがんで優しく微笑んだ。

 

「えへへ……びっくりしたよ」

「神様みたいにすごいんでしょ! 銀の毛が光ってたって聞いたよ!」

その言葉に、ラルガス王がそっと目を細めた。

「……やはり、貴女は特別な存在なのですね」

「そんな……わたしは普通の……ただの冒険者です……」

ファナは首を振ったが、王は静かに返した。

「人々は、“救われた”という実感を持った時、

それがどんなに小さくとも、必ず“名”を与えるのです。

──それが、神と呼ばれるものの始まりです」

 

その言葉と同時に、王は自然な動作でファナの手に触れた。

「……失礼。貴女の手は、不思議と心を落ち着かせる」

ファナは驚いたが、咄嗟に振りほどくこともできず、手を見つめたまま固まっていた。

「もしよければ……もう少しの間だけ、握っていてもらえますか?」

 

「殿下、それは……」

 

メルが低く声を挟んだ。

その直後、控えていた側近がラルガス王の耳元へ身を寄せた。

 

「殿下。銀猫殿にはご夫君がいらっしゃいます。公の場での過度なご接触は、無用の憶測を招きかねません」

 

「……それは失礼しました」

 

ラルガス王は素直に手を離し、ファナとメルの双方へ頭を下げた。

 

「他国で少し気が張っていたようです。どうか、無礼をお許しください」

「い、いえ……」

 

王太子という立場にありながら、側近の指摘を受け入れ、すぐに非を認める。

少なくともファナの目には、ラルガス王は礼節をわきまえた常識的な人物に映った。

 

メルの眉がピクリと動いた。

王の手つきは優しく、穏やかに見えた。

だが、手を離す直前まで、“離さない”という意志が、確かにそこに宿っていた。

 

***

 

視察が終わった頃、王はふとした調子で言った。

「貴女のような方にこそ、我が国の空気を感じていただきたい。

よろしければ、お二人を我が国の客人としてお招きしたい。レオーネ王国へ来てはいただけないでしょうか?」

 

ファナは息を呑んだ。

辺りには、王国の役人、使節、ギルドの重鎮たち──

みな、名誉なことだと言わんばかりに頷いていた。

断れば、波紋を呼ぶ。

そして──ラルガス王の微笑みは、どこまでも優しく、どこまでも逃げ場がなかった。

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

ファナが答えると、メルも静かに頷いた。

ラルガス王は、二人へ丁寧に頭を下げた。

 

「ありがとう。お二人のご厚意に、深く感謝を」

 

その光景を、メルは黙って見つめていた。

ラルガスは側近の忠告を受け入れ、すぐに手を離した。

非礼を詫び、二人を等しく客人として招いている。

表向き、これ以上口を挟む理由はどこにもなかった。

 

──明確な害意はない。

だが、あの男の手に宿っていた意志を、見間違えたとも思えなかった。

 

空が、微かに陰った。

けれどまだ、その冷たい意志がどこへ向かうのか、誰も知らなかった。

 

 

──記録『銀猫継記』より

「銀猫が、その手を振りほどかなかったのは、慈しみのためか、

それとも、まだ“名もない何か”に怯えていたからか。

握られたその手から、未来がゆっくりと揺れていく。

心の鼓動は、まだ誰にも聞こえていなかった」

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