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アルダシールと銀華~千年の時空を駆ける鬼と狐の恋物語  作者: 秋津ネオ


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父の剣と試練の朝

 朝靄が静かに引いていく幣立の森に、鮮やかな黄金色の朝日が差し込んできた。


 大木の葉からぽたりと落ちる朝露が地面を叩き、静寂に包まれた山に鳥たちの爽やかな羽ばたきが響き渡る。


「パパ! 約束通り、お日様が昇る前に起きたよ!」


 庭へ勢いよく跳び出してきたのは、アルスだった。


 昨日、大冒険への夢を熱く宣言した少年は、まだ幼い身体いっぱいに朝の光を浴び、やる気と覇気を満ちあふれさせていた。


 庭の中央では、すでにアルダシールが一人立ち、二本の細い木棒を削り終えたところだった。自らの手で整えたしなやかな樫の木棒は、刃こそついていないものの、手に吸い付くような重みと重心を備えている。


「早いな、アルス。だが、大冒険へ出たいと言った言葉に嘘はないようだな」


 アルダシールは削りたての木棒の一本を、アルスに向かって優しく投げ渡した。


 アルスはそれを小さな両手でしっかりと受け止め、嬉しそうにぶんぶんと振り回した。


「うん! ぼく、パパをびっくりさせるくらい強くなるって決めたんだもん!」


「調子に乗るなよ。冒険とは、見知らぬ景色を楽しむだけの遊山ではない。己の身を守り、大切な者を護り抜き、戻るべき場所へ必ず帰ってくるための強さが必要なのだ」


 アルダシールは低い声で言い聞かせ、己の木棒を静かに構えた。


 波斯の宮廷で骨の髄まで叩き込まれ、地底世界での死闘を潜り抜けてきた彼の構えには、隙というものが一切存在しない。ただそこに立つだけで、周囲の空気がピリリと緊張感で引き締まった。


「さあ、来いアルス。まずは私に一撃でも打ち込んでみろ」


「よーし、行くぞー!」


 アルスは小さな足を力強く踏み込み、風を切って一直線に駆け出した。


 小さな身軀から放たれたとは思えぬ速度で間合いを詰め、木棒を上段から一気に振り下ろす。その腕の振りの鋭さには、すでに迷いが一切なかった。


 バシーン。


 アルダシールは最小限の動きで自分の木棒を添え、アルスの攻撃を軽く受け流した。打ち合わされた木棒から乾いた音と振動が弾け飛ぶ。


「良い筋だ。だが、腕の力だけに頼るな。足の裏で地の気を感じ、腰の回転で打つ文章を意識しろ」


 アルダシールは一歩退きながら、実戦で培った身体操作の技術を言葉にして教え込んだ。


「うん、こうだね!」


 アルスは弾かれた衝撃に怯むことなく、即座に軸足を入れ替えた。アルダシールの助言をその瞬間に理解し、腰の捻りを加えた滑らかな返し打つ攻撃を繰り出した。


(速い。教えた先から身体が動きを覚えていく)


 アルダシールは胸の中で息を呑んだ。


 我が子ながら、その学習速度と潜在能力は驚異的だった。かつて過酷な経験を経て会得した剣の理を、アルスは水が砂に染み込むかのように吸い上げていく。


 その頃、庭の端にある台所では、メイファが温かい湯気を立てるお釜からおにぎりを握り、二人のお茶を用意していた。


「ふふ、二人とも、朝から本当に楽しそうですね」


 窓から二人を見守るメイファの目には、温かい慈愛の光が宿っていた。


 昨夜は我が子の唐突な旅立ちの宣言に驚き、不安を募らせていたが、朝の光の中で真剣に打ち合う夫と息子の姿を見て、胸の奥にあった冷たい懸念が静かに溶けていくのを感じていた。


「あなたも、あんなに嬉しそうな顔をして。結局、アルスに教えてあげたくて堪らなかったのですね」


 夫が息子に向ける眼差しには、厳しい師としての厳格さと同時に、我が子の無限の可能性を誇らしく思う父親としての熱い愛が満ちていた。


「昔から、剣のことになるとあの人は生き生きとするのだから」


 メイファはほほ笑みながら、握りたてのおにぎりを竹の葉に包んで重箱へと収めていった。


 一方、二人が白熱した稽古を繰り広げる庭の頭上、高い樹木の上では、また別の視線が彼らを見下ろしていた。


 透き通るような美しい衣を纏い、太い枝に腰掛けた天女の姿、銀華である。


 銀華は片手で美しい髪を掻き揚げながら、呆れたように、だがどこか愛おしそうに溜め息をついた。


「やれやれ。あの大馬鹿父親め。口では厳しく言っておきながら、目元が完全にデレデレではないか。あのような甘い稽古で、あの坊やの底知れぬ力を抑え込めると思っているのか」


 銀華の九本の尻尾が、風もないのにゆらゆらと揺れる。


「あの子の身体の中に眠る気は、すでに神々の領域に片足を突っ込んでおる。私が陰から手助けをしてやらねば、力を持て余して自分自身を傷つけかねんわ」


 銀華は指先をそっと揺らし、庭の周囲に目に見えない微細な結界を張り巡らせた。アルスが放つ過剰な気と衝撃が、近隣の森の静寂を乱して余計な魔物を呼び寄せないための気配りだった。


「全く、胃が痛くなるような役目じゃ。私がここまで世話を焼く破目になるとはな」


 そう呟く銀華の口元には、柔らかな苦笑いが浮かんでいた。


 その時、幣立の森の奥にある滝壺からも、静かな波動が伝わってきた。


 深く青い水面から鼻先だけを覗かせた白蛇が、遠く離れたアルダシール家の庭の気配を静かに察知していた。


「ほう、あの童、もう稽古を始めたか」


 白蛇は長い髭をゆらりと揺らし、愉しげに目を細めた。


「父の教えを吸い上げ、母の愛を胸に抱き、九尾の加護を受けて育つか。天地開闢の地で芽吹いた大樹の芽は、想像以上の速さで天を目指しておるわ」


 白蛇の低い声が、滝の清らかな水音に紛れて静かに消えていく。


 庭では、アルスが額にびっしょりと汗をかきながら、何度も何度も木棒を振るっていた。


「はぁ、はぁ、パパ! まだまだ行くよ!」


「よし、かかってこい、アルス」


 アルダシールは木棒を持ち直し、力強く足を踏み出させた。


 陽光が二人を包み込み、木と木がぶつかり合う清々しい音が、幣立の朝の空へと高く響き渡っていく。


 自分の知らない広い世界へ踏み出すための、小さな冒険者の第一歩が、今ここに確かな音を立てて刻まれていた。

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