とおくの国からきたけれど かみ様と勘違いされた
「パパ、今日のお風呂もあつあつで最高だったよ!」
アルスが羽毛の布団の上に勢いよく飛び乗りながら、元気いっぱいに声をあげた。
「こらアルス、跳ねたらダメでしょう。せっかくお父様が作ってくださった特別なベッドなのですから」
メイファが困ったように苦笑しながら、アルスの頭を優しく撫でる。
「だって、ぼくの部屋なんだよ! 自分のお部屋があるなんて、なんだか夢みたいで嬉しすぎるんだもん!」
「ははは、喜んでくれて何よりだ。竹樋から引き込んだ湯もいい塩梅だったな。身も心もほぐれるようだ」
アルダシールは手作りの頑丈な木製椅子に腰を下ろし、満足そうに胸を張った。
木造の新居には心地よい木の香りが満ち、源泉から引き込んだ温泉のあたたかい湯気がほんのりと部屋を包んでいる。長かった過酷な旅を思えば、今の暮らしはまるで夢のように穏やかで満たされていた。
「ねえパパ、明日はなにするの? ぼくもお手伝いしたいな!」
「そうだな。実は、神社へ続く山道が先日の雨でひどく崩れていてね。ぬかるみが酷いし、大きな岩が道を塞いでいるんだ。メイファやアルスが歩く時に危ないから、少し整えておこうと思ってね」
「わあ、道路工事だ! ぼくも一緒に行く! 大きな岩を動かすところ、近くで見たい!」
「よし、頼んだぞ。怪我をしないように、少し離れた安全な場所から見ていておくれ」
翌朝、澄み切った山の空気の中で、アルダシールは街道の整備作業を開始した。
「うおー! パパ、すごい! 大岩が浮いてる!」
「アルス、危ないからもう少し下がりなさい。ほっ、これをこちらの脇に置けば、幅が広くなるな」
ズシン、と腹に響くような重低音が周囲の森に響き渡った。
大人の男が十人がかりでも動かせないような巨大な岩を、アルダシールは素手で軽々と持ち上げ、道の端へと片付けていく。
その時、近くの藪の中から、ガサガサと怪しい音が聞こえた。
「ひいっ! な、なんだあの大男は!」
「人間ではないぞ! あの巨大な岩を、たった一人で紙箱のように放り投げている!」
「もしや、この山に昔から潜む恐ろしい鬼の類いではなかろうか!」
物陰から覗いていたのは、近隣の幣立神社に仕える神職や集落の者たちであった。彼らは作業の音を聞きつけて様子を見に来たのだが、あまりの規格外な光景に腰を抜かしかけていた。
「待ちなされ。鬼というなら、なぜあの者は作業をしておるのだ?」
老神主が目を細め、静かに呟いた。
「作業、でございますか? 我々を油断させて喰らうための罠では!」
「よく見なされ。ぬかるんでいた坂道に平らな石を並べ、歩きやすくしておる。それに、傍らにいる子供に向けて見せている笑顔は、決して邪悪なものではない」
アルダシールは汗をぬぐいながら、アルスに語りかけた。
「よし、これで水たまりもなくなった。足元が滑る心配もないはずだ」
「うん! とっても綺麗な道になったね! パパは道路作りの名人だよ!」
「ははは、そう褒めるな。では次は、あちらの崩れかけた斜面を補強しておこう」
アルダシールが丸太を持ち上げようとしたその時、藪をかき分けて神職たちが姿を現した。
「た、たのもう!」
緊張で裏返った声が響き渡る。
アルダシールは静かに振り返り、抱えていた丸太をそっと地面に下ろした。
「やあ、何か用だろうか。作業の音がうるさかったかな」
「い、いえ! 滅相もございません! このような険しき道を美しく整えていただき、感謝の言葉もございません!」
老神主が前に歩み出で、深く深く頭を下げた。
「我らはこの山深くの社に仕える者でございます。恐れながらお尋ねいたします。あなたはいったい何者で、いかなる地から来られたお方でしょうか?」
アルダシールは首を傾げた。隠すようなことでもないため、ありのままを素直に答えることにした。
「私か? 私はペルシャから来た」
「ぺるしゃ?」
若い神職たちが互いに顔を見合わせる。
「ぺるしゃとは、西の海のさらに果てにある国でしょうか?」
その答えを聞いた瞬間、老神主の表情が劇的に変化した。目を見開き、全身を震わせはじめたのだ。
「西の遠き国! ぺるしゃ! まさか、まさかのお覚命か!」
「神主様!? いったいどうされたのですか!」
「お主たちは忘れたのか! 我が社に代々伝わる古文書の言い伝えを! 西の果てより舞い戻りし神々の御人、巨躯をもって山を拓き、民に道を示さん、と記されているではないか!」
「ええっ! では、あのお方は!」
「そうだ! 万物の理を知り、太古よりこの地を見守りし神の御使いに違いない!」
老神主は突然、地面にひざまずき、深く額をこすりつけた。他の者たちも慌ててそれに倣い、伏せ拝み始める。
「おお、神々の御人よ! 再びこの地へお戻りいただき、真にありがとうございます!」
あまりの展開に、アルダシールとアルスはぽかんと口を開けて顔を見合わせた。
「パパ、なんだかすごく拝まれてるよ? 神様になっちゃったの?」
「いや、私はただのペルシャの人間なのだが」
「おおっ! なんという謙虚なお心! そのお言葉こそ、古文書に記された神の気品そのもの!」
「いや、だから違うのだと言っているのだが」
「さあ神様、どうか我が社へ! 今夜は取れたての山菜と清らかな水で作った酒で、ささやかな宴を催させてください!」
「宴!? わあ、美味しそう! パパ、行こうよ!」
「アルス、勝手に返事をしてはいけないよ。いやはや、参ったな」
アルダシールの困惑をよそに、神職たちの興奮は収まる気配がなかった。
夕方、家に戻ったアルダシールの後ろには、神職たちが感謝の印として差し出した新鮮な山菜や果物が山のように積み上げられていた。
「ただいま、メイファ」
「お帰りなさい。あらあら、なんだかすごい量のお土産ですね? 一体どうされたのですか?」
メイファが出迎え、積み上げられた籠を見て驚きの声をあげる。
「パパね、山で道を綺麗にしていたら、神社の人たちに神様だって思われちゃったんだよ!」
アルスが得意気にお腹をポンと叩いて報告した。
メイファは一瞬ポカンとした後、両手を頬に当ててくすくすと嬉しそうに笑った。
「まあ、神様ですか? それは頼もしいお父様ですね」
「笑いごとではないんだよ、メイファ。どこでどう間違われたのか、すっかり拝まれてしまってね。ペルシャから来たと言っただけなのだが」
「ふふふ、でも皆様、とても温かい方々のようですわ。この採れたての野菜も、とても美味しそうですもの。今夜はごちそうが作れそうです」
「そうだな。なんだか大袈裟なことになってしまったが、この地に住む人々が良い人たちでよかった」
アルダシールは苦笑しながら、山菜の入った籠を台所へと運んだ。
「ねえママ、今日のスープにはこの大きなキノコも入れようよ!」
「ええ、そうしましょうね。アルス、お手を洗っておいで」
「はーい!」
元気よく走っていくアルスの背中を、メイファは愛おしそうに見つめていた。
ふと、アルダシールは縁側の方へと視線を向けた。
夕闇が迫る庭の隅、木々の陰に一瞬だけ白い影が揺れたような気がした。
昼間まで縁側で静かに休んでいたはずの銀華の姿は、いつの間にか消えている。
気配すら残さず、どこか遠くの山深くへ出かけていったのだろうか。
「どうされましたの、あなた?」
「いや、なんでもない。少し風が冷たくなってきたなと思ってね」
「では、早く温かいお湯に入って、美味しいごはんをいただきましょう」
「そうだな。それがいい」
不便な山道を直しただけの出来事は、思わぬ誤解を生みつつも、この地に暮らす人々との温かで穏やかな交流の始まりとなったのだった。




