天女の光が残した奇妙な既視感
天女を乗せた光の円盤が夜空の彼方へ消え去り、山肌には静寂が戻っていた。 先ほどまで空間を支配していた不気味な発光霧は失せ、夜空には吸い込まれそうなほど美しい満天の星々が広がっている。天女が去り際に照らし出した北東の尾根道は、星々の柔らかな光を受けて、夜の山脈の中にひと筋の白い帯となって浮かび上がっていた。
アルダシール、メイファ、アルスの親子三人は、その光の道標に導かれるようにして、静かに歩みを進めていた。 風が草木を揺らす音や、遠くで鳴く夜の虫たちの声が耳に届く。歪んでいた空間が本来の現実へと引き戻された証拠だったが、アルダシールの胸の奥には、なおも拭いきれない強烈な違和感がしこりのように残っていた。
大男は無言のまま、先ほど目撃した光景を脳裏で反芻していた。 空から降臨したあの天女。透き通るような青い瞳と、羽衣のように揺らめく発光体。そして何より、人間という存在を遥かに超越した、冷徹でありながらも神聖極まるあのオーラ。 宮廷の守護戦士として生きてきた己の直感が、絶え間なく警告を発していた。あれは初めて出会う未知の存在であるはずなのに、なぜ自分はあのような懐かしさと肌が粟立つような既視感を抱くのか。どこかで、これと全く同じ質の力に触れたことがあるのではないか。
夜の山道を一歩一歩踏みしめる足音が、静寂の中に響く。 アルダシールは己の過去の記憶を、ひとつずつ手繰り寄せた。西の大陸での凄絶な戦い、そして愛する娘アリアに起きた異変。 その瞬間、彼の脳裏で雷鳴のような衝撃が弾けた。
「メイファ」
アルダシールは思わず立ち止まり、背後を歩く妻の肩を掴んだ。
「どうしたの、あなた」 メイファが驚いたように夫の顔を見上げた。
アルダシールの厳めしい顔つきは、恐ろしい真実に思い至った戦慄で硬直していた。
「あの天女の瞳だ。あの瞳の奥にあった、万物を透視し値踏みするような圧倒的な光。俺は以前にも、あれと同じ気配を感じたことがある」
「以前にも? 一体、どこで」
「アリアだ」
アルダシールが低く掠れた声で呟くと、メイファの身体が小さく跳ねた。
「大陸で、アリアの身体に宿っていたあの存在。九尾の狐、銀華の霊気と、あの天女の纏っていた光は、根本の性質がまったく同じだ」
メイファは息を呑み、己の口元を両手で覆った。 かつて娘アリアを包み込んでいた神話級の存在、銀華。それは九本の光の尾を引く神聖なる狐として大陸の古文書に記され、人々から恐れられ、同時に崇められていた。
「言われてみれば」 メイファの声が微かに震えていた。
「あの天女様が身に纏っていた羽衣のような光の揺らめき。あれは、アリアを包んでいた銀華の光の尾の輝きと、驚くほど似ていたわ。ただ姿かたちが違うだけで、放たれていた気の質は、まるで同じ根から分かれたもののようだった」
二人は暗闇の中で互いの目を見つめ合った。 思考が急速に加速し、これまで別々に存在していたすべての点が、一本の太い線となって繋がり始めていた。
「人間は、空から降臨する美しい発光体を天女と呼び、九本の光を放つ霊獣を九尾の狐と呼んだ。だが、それは人間の勝手な名付けに過ぎないのではないか」
アルダシールの言葉には、確信がこもっていた。
「どちらも、この世界の人間ではない。地底の者たちが恐れていた、星の向こうから来た住人。太古の昔に地球へ降り立ち、この本源の地を見守り続けてきた地球外の守護者たちなのだとしたら」
「うん。あのオネエチャンも、銀華もおんなじ星の人たちなんだね」 二人の会話を静かに聞いていたアルスが、無垢な瞳を輝かせて言った。
「僕に勉強を教えてくれた地底のおじいちゃんたちも言っていたよ。星の人たちは、いろんな姿になってこの国を見守っているんだって。だから、あのお話とまったく同じだと思ったの」
八歳の我が子の素直な一言が、二人の胸に深く突き刺さった。 子供の無垢な感性は、大人が頭で捏ねくり回すよりも先に、真理を正確に見抜いていたのだ。
アリアの肉体が倒れた際、その魂が大陸を離れ、海を越えてこの東の島国へと飛翔した理由。そして自分たちが西の果てから恐ろしい追っ手に追われながらも、吸い寄せられるように九州の地へ辿り着いた理由。 それは単なる偶然の逃亡劇などではなかった。古来よりこの地を見守る星の守護者たち、すなわち天の采配によって敷かれた壮大な設計図の上を、自分たちは歩まされていたのだ。
「アリアの魂がこの国へ向かったのは、彼女の中に眠る銀華が、同族のいる本源の地へ帰ろうとしたからなのだな」 アルダシールは夜空を見上げ、深く息を吐き出した。
「そして俺たちもまた、その大いなる意志によって、ここに導かれた」
「ええ。そう考えると、すべての苦難に意味があったと思えるわ。私たちは、引き寄せられるべくしてこの地にいるのね」 メイファは慈愛に満ちた目で夫を見つめ、しっかりと手を握りしめた。
謎の霧は晴れ、世界の理が指し示す道筋は、これ以上ないほど明確になった。
老巫女が語った古文書の言葉、地底世界で学んだ知識、そして天女と銀華というふたつの神聖なる存在。それらすべての答えが待つ場所、日本最古の聖地、幣立の地。
「行くぞ」 アルダシールは妻と息子の手を強く引き寄せた。
「その幣立神社という場所で、俺たちの血脈に隠されたすべての真実を、この目で確かめてやる」
「はい、パパ。僕、ぜんぜん怖くないよ」
「ええ、どこまでも一緒に行きましょう」
三人は決意も新たに、星の道標が照らし出す尾根を力強く踏みしめながら、夜の九州山地を北東へと進んでいくのだった。




