九州山地の霧深き境界線で光る空飛ぶ円盤と遭遇し、天女の姿をした監視者と目が合った!
人吉の隠れ里を後にしたアルダシール一行は、託された鹿皮の地図を頼りに、九州山地の険しい尾根をひたすら北へと登っていた。
標高が上がるにつれて、周囲の景色は牙を剥くように険しさを増していく。道なき道を大男が強靭な肉体で切り開き、メイファの体を支えながら、親子三人は一歩一歩確実に進んでいた。
異変が起きたのは、山深くに入って三日目の夕刻だった。
山の斜面を這うようにして湧き出してきた霧が、次第に奇妙な色へと変化し始めた。通常の白く濁った霧ではない。それは夕闇の中で、薄く青白く発光しているかのような、この世のものとは思えない不気味な色彩を帯びていた。
「あなた、何だかおかしな気配がするわ」
メイファが足を止め、アルダシールの腕を強く掴んだ。
「ああ。空気が妙に重い。まるで、人間が立ち入るべきではない別の世界へ足を踏み入れてしまったようだ」
アルダシールは周囲を鋭く見回した。
肌を刺すような強烈な境界感が、その空間を支配していた。空間そのものが歪み、平衡感覚が狂いそうになる感覚だ。さらに恐ろしいことに、つい先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりや虫の音が、一瞬にしてピタリと止んでいた。木の葉を揺らす風の音すら消え去り、そこはまるで、音そのものが奪われた不気味な真空状態と化していた。
三人が息を潜めて立ち尽くしたその時、頭上の厚い発光霧が、生き物のように大きく割れた。
そこから姿を現したのは、想像を絶する巨大な物体だった。それは音もなく静かに滞空する、金属とも光の塊ともつかぬ巨大な円盤だった。円盤の表面には幾何学的な紋様が淡くまたたき、圧倒的な質量を持って三人の頭上へと迫ってくる。
アルダシールは瞬時に腰の剣の柄に手をかけた。宮廷の守護戦士としてあらゆる敵と戦ってきた彼だったが、この未知の巨大な存在を前に、全身の産毛が逆立つほどの戦慄を覚えていた。
次の瞬間、巨大な円盤の底部から、目も眩むような凄まじい光の柱が地面へと放たれた。
その神聖な光の中に、一つの影が浮かび上がった。
光の粒子を纏いながらゆっくりと降下してきたのは、息を呑むほどに美しい、人型の生命体だった。まるで天の羽衣を身に纏ったかのように、半透明に発光する柔らかな衣が彼女の身体を包んでいる。この国の民が古くから伝承のなかで崇めてきた、天女そのものの姿だった。
しかし、それは決して優しげなだけの存在ではなかった。底知れぬ高度な知性と、人間を遥かに超越した冷徹な調和のオーラを放っており、ただそこに存在するだけで世界のすべてを支配しているかのようだった。
あまりの光景にメイファが息を呑み、アルダシールが身構える中、八歳のアルスだけがその天女の姿をじっと見つめていた。
少年の大きな瞳の中に、驚きと、それ以上に懐かしさのような光が灯る。
「パパ、あのお姉ちゃん、地底のおじいちゃんたちが言てった星の神様だよ」
アルスが興奮した様子でアルダシールの服の裾を強く引っ張った。
「おじいちゃんたちだと」
アルダシールが問い返すと、アルスは熱を帯びた瞳で言葉を続けた。
「うん。僕にたくさん勉強を教えてくれた、地底のおじいちゃんたち。大昔に戦ったって教えてくれた、空の向こうの人たち。あの時のお話と、おんなじ気配がするんだ」
少年の無垢な言葉が、真空の静寂に響き渡った。
アルダシールは合点がいった。かつて地底世界でレプティリアンの長老たちが語った、古代地球の支配権を巡る天界の神々の戦い。その片方の当事者であり、この世界を設計し管理している大いなる存在、オテントサマ。そのシステムの監視者こそが、目の前にいる天女の正体なのだと、我が子の一言で完全に理解した。アリアの魂が日本へ飛んだことも、自分たちがこの国へ導かれたことも、すべてはこの監視者たちが敷いた設計図の通りなのかもしれない。
自分たちは今、世界の理の境界線に立っているのだ。
天女は攻撃してくる様子を一切見せなかった。
ただ、その透き通った青い瞳で、アルス、メイファ、傷を負った過去を持つアルダシールの姿を順番に、値踏みするようにじっと見つめていた。その視線は冷たくもあったが、どこか予定されたプログラムが正確に進行していることを確認し、安堵しているかのようでもあった。
やがて、天女の美しい唇が、微かに弧を描いてふっと微笑んだ。
刹那、目も眩むような爆発的な閃光が周囲を包み込んだ。
三人が思わず目を瞑り、再び開けたときには、すでに頭上の巨大な円盤も、光の柱も、正式な姿をしていた天女も、影も形もなく消え去っていた。
それと同時に、周囲を覆っていた不気味な発光霧が嘘のように綺麗に晴れ渡り、満天の星空が広がっていた。止まっていた風が急に吹き始め、虫たちの鳴き声が山肌に一斉に響き渡る。世界が元の現実へと引き戻されたのだ。
「消えた、のか」
アルダシールが剣の手を緩め、大きく息を吐き出した。
「あなた、見て。あの方角の霧が完全に晴れているわ」
メイファが指差す先、北東の夜空に向かって、山脈の尾根がまるで道標のようにくっきりと浮かび上がっていた。天女が去ったあ後のその進路は、星々の光に照らされて、かすかに白く輝いている。
「パパ、おじいちゃんたちの言っていた星の人たちは、僕たちの味方なのかな」
アルスがアルダシールの手を握り、夜空を見上げた。
「味方かどうかは分からん。だが、俺たちが進むべき道を指し示してくれたことだけは確かだ」
アルダシールは我が子の頭を優しく撫、改めて懐の山地図を取り出した。地図が示す隠れルートと、先ほどの光が照らした尾根の道は、完全に一致していた。
「行くぞ。俺達が目指すべきところは、どこへ繋がっているのか、この目で確かめる」
大男は決意を新たにすると、妻と息子の手を引き、天女が示した光の道標を頼りに、夜の山脈を再び力強く歩み始めるのだった。




