規格外の怪力親子が力任せではなく技ありの一撃で大岩を粉砕する
深い霧が立ち込める山道を、アルダシールたちは里の長の案内に従って登っていた。
道とは名ばかりの、急な斜面だった。足元には湿った腐葉土が敷き詰められており、油断すると滑り落ちそうになる。里の長は、何度も息を切らし、細い木の幹に掴まりながら必死に足を動かしていた。飢えと渇きで限界のはずの体を、かすかな希望だけで動かしているのだろう。
「お前様たち、本当にあの大岩をどうにかできるのですか。私たちは、鉄のツルハシを何本も叩き込みましたが、火花が散るだけで刃先が丸くなってしまったのです」
長が不安そうに振り返り、アルダシールの巨躯を見上げた。
「石の性質にもよるが、力任せに叩くだけでは硬い岩は割れない。必ず、力が逃げる隙間があるはずだ」
アルダシールは静かに答えながら、隣を歩くアルスの肩を軽く叩いた。
「パパ、お水の匂いがだんだん強くなってきたよ。この先で、お水が怒って暴れているみたいだ」
アルスが耳を澄ませながら言った。八歳の少年の聴覚は、すでに普通の人間を遥かに超えている。
さらに斜面を登りきると、突然、目の前の視界が開けた。いや、開けたというよりは、巨大な崖に挟まれた狭い渓谷に突き当たったのだ。
「あ、あれです。あの忌々しい大岩が、私たちの命を塞いでいるのです」
長が絶望を込めて指差した。
そこには、想像を絶する大きさの黒い岩が鎮座していた。崖の上から崩れ落ちてきたその大岩は、幅三メートルほどの狭い川幅に、誂えたかのように完璧にはまり込んでいる。
大岩の向こう側からは、行き場を失った豊かな水が激しくぶつかり合い、白い飛沫を上げて暴れ狂っている音が聞こえた。しかし、こちら側には、大岩の隙間から、泥の混じった水がほんのわずかに滴り落ちているだけだった。
「これは確かに見事なはまり方だ」
アルダシールは岩の前に立ち、その表面を巨大な手で触った。冷たく、恐ろしく頑丈な玄武岩だ。
普通に考えれば、これを動かすには大人が百人いても足りない。無理に引っ張れば、背後の崖がさらに崩れて、今度こそ水路が完全に埋まってしまう危険すらあった。
「パパ、どうするの。僕、あの岩をパンチして粉々にしちゃおうか」
アルスが拳を握り締め、やる気満々で大岩を見上げた。
「待て、アルス。ただ力任せに叩けば、上の崖がまた崩れて水路が完全に死んでしまう。壊すのではなく、この大岩だけを綺麗に取り除く必要がある」
アルダシールは岩の周囲を細かく観察した。
岩が両側の崖と接触している部分に、激しい摩擦で生じた白い粉が溜まっている。ここが、最も大きな圧力がかかっている支点だ。
「アルス、よく聞くんだ。お前はあの右側の隙間に手を差し込んで、岩を少しだけ上に向かって持ち上げるんだ。全力ではなく、三分の一の力でいい」
「上に向かって、少しだけだね。わかった」
「よし。お前が岩を浮かせて支点をずらした瞬間、俺がこの中央のひび割れに、戦士の闘気を込めた一撃を叩き込む。そうすれば、大岩は自重で真っ二つに割れ、下の谷へ安全に転がり落ちるはずだ」
アルダシールは腰を落とし、拳に力を込めた。
「あなた、無茶はしないでね」
少し離れた場所で見守っていたメイファが、心配そうに、しかし信頼を込めた声で呼びかけた。
「大丈夫だ、メイファ。我が子の成長を、特等席で見ているといい」
アルダシールは不敵に笑うと、アルスに向かって頷いた。
「よし、アルス。やれ!」
「ふんぬっ!」
アルスが短い気合とともに、小さな手を大岩の隙間にねじ込み、一気に腰を落とした。
その瞬間、ゴゴゴと地響きが鳴り響いた。八歳の子供が、自らの身体の質量を何倍にも引き上げるような、規格外の重力と筋力を発揮している。大人が百人集まってもびくともしなかった巨大な玄武岩が、アルスの腕によって、数センチメートルだけ確かに持ち上がった。
「今だ!」
アルダシールが踏み込んだ。
大男の右拳が、風を切り裂いて大岩の中央へと叩き込まれた。ただの怪力ではない。宮廷守護の戦士として叩き込まれた、気の流れを一点に集中させる寸勁の一撃だ。
パシィン、と乾いた高い音が鳴り響いた。
次の瞬間、大岩の表面に、稲妻のような白い亀裂が一瞬で走り抜けた。
「アルス、離れろ!」
アルダシールが叫ぶと同時に、アルスは素早く後ろへ跳んだ。
その直後、凄まじい爆音とともに大岩が中央から綺麗に真っ二つに裂けた。左右に分かれた巨岩は、支点を失い、自らの重みでゴロゴロと音を立てながら、水路の外側にある深い谷底へと転がり落ちていった。
「おお、おおお!」
長が腰を抜かし、地面にへたり込みながら叫んだ。
塞き止められていた水が、一気に解放された。
濁った泥水を吹き飛ばしながら、水晶のように透き通った冷たい水が、激しい勢いで水路を駆け下りていく。乾ききっていた谷間に、生命の躍動を告げる美しい水の音が、高らかに響き渡った。
「パパ、やったね! お水が流れていったよ!」
アルスが飛び跳ねて喜び、泥だらけの手でアルダシールに抱きついた。
「ああ、よくやった、アルス。お前の力のおかげだ」
アルダシールは我が子を抱き上げ、その頭を優しく撫でた。
駆け寄ってきたメイファが、懐から出した布でアルスの泥だらけの顔を甲斐甲斐しく拭いてやる。
「二人とも、本当に凄いわ。ほら、見て」
メイファが指差す先では、長が流れる水に両手を浸し、子供のように大声を上げて泣いていた。
「水だ、本当に水が戻ってきた。これで里の皆が助かる。神様、仏様、本当にありがとうございます」
長は何度も涙を拭いながら、アルダシール親子の前にひざまずき、地面に何度も頭を擦りつけた。
「お前様たちは、この里の救世主です。この恩は、一生忘れません。どうか、里へ戻って、私たちにできる限りのもてなしをさせてください」
アルダシールはメイファと顔を見合わせ、静かに微笑んだ。
ただ敵を倒すためだけではない。人を生かすために力を使う喜びが、大男の胸を温かく満たしていた。三人は、水が勢いよく流れる音に包まれながら、歓喜に沸く里へとゆっくりと歩みを戻すのだった。




