ハヤトの民の地、清らかな水がもたらす体質改善に驚愕し、銀色の名残を追って北へ向かう
ヤマトの将をコテンパンに叩きのめした夜、阿多の隠れ里の広場では、勝利を祝う篝火が赤々と燃え上がっていた。
「おい、アルダシール、この器に入っている水を飲んでみろ」
シャープールが木製の大きな器を差し出しながら、興奮した面持ちでアルダシールの肩を叩いた。
「水か、今は酒よりもそれがありがたいな、頭を激しく使ったあとだ」
アルダシールは器を受け取り、溢れんばかりの透明な湧き水を一気に喉へと流し込んだ。
「どうだ、何か気づかないか、アルダシール」
「信じられん、喉を通り抜けた瞬間に、体に染み込んでいくようだ、それに、いつもなら戦いのあとに私を襲う、あの引き裂かれるような偏頭痛の予兆が、どこにも見当たらん」
アルダシールは自らの額に手を当て、驚きに目を見張った。
「そうだろう、俺もさっきからこの地の湧き水でお茶を淹れて飲んでいたんだが、大陸のあの喉に引っかかるような重い水とはまるで違う、驚くほど軽くて甘いんだ」
シャープールは自らの頑強な腕を何度も回してみせた。
「大陸にいた頃は、古傷の節々がいつも不気味に痛んでいたんだが、この里に来て、ここの水と美味い魚を口にしてから、その疼きが綺麗さっぱり消え失せてやがる」
「あなた、それ、私にも分かるわ」
メイファが大きな葉に包まれた焼き魚を手に、二人の輪に加わった。
「雲南の山奥や広州にいた頃は、肌がいつも乾燥して、体の中にどす黒い塊が澱んでいるような重さがあった、でも、この国の天の雫のような水を飲み、この土地の食を口にしていると、細胞の一つ一つが内側から清められていくのが分かるのよ」
「パパ、僕もこのお水、大好き、いくらでも飲めちゃうよ、それに、ここでお肉を食べると、なんだか体がもっと大きくなる気がするんだ」
アルスがすでに三杯目となる水の器を干し、満足そうに笑った。
「なるほどな、不老不死の薬か」
シャープールが不敵な笑みを浮かぜ、篝火の炎を見つめた。
「シャープール、どういう意味だ」
「アルダシール、俺たちが大陸の闇市で追いかけた噂を覚えているか、東の果てには、病を退け、肉体を永遠に若返らせる秘薬があるという話をな」
「ああ、それを求めてお前は船を出したはずだ」
「その秘薬の正体が、これさ、金銀財宝や怪しい呪いの丸薬なんかじゃない、このハヤトの地に満ち溢れている清らかな水と、そこから生まれる瑞々しい食、これこそが、俺たちの血を蝕む呪いを洗い流す、本物の不老不死の薬だったんだよ」
シャープールはそう言って、再び器の水を美味そうに飲み干した。
「私たちの血の連なり、代々男子の肌を腐らせ、目を曇らせてきた、あの頭痛と腫れ物の呪縛が、この環境によって劇的に改善されるというわけか」
アルダシールは自らの手のひらを見つめ、ハヤトの地の持つ圧倒的な生命力に戦慄した。
「だからこそ、俺は一度、広州へ還るぜ」
「何だと、ここに残るのではなかったのか、シャープール」
アルダシールの言葉に、シャープールは首を横に振った。
「俺は骨の髄まで商人だからな、この素晴らしい水と食の事実を、大陸で病や戦乱に苦しんでいる同胞たちに教えてやらなきゃならん、ハヤトの地は大陸とは違う、命が救われる約束の地だってな、俺の船があれば、命懸けで海を渡りたいあいつらを、いくらでもここに運んでこられる」
「それは、ハヤトにとって、新たな異邦人の流入を意味するわ」
メイファが静かに呟いた。
「ああ、ヤマトの奴らは俺たちをオニと呼んで恐れたが、これからもっと沢山の、頑強で大きな同胞たちがこの水を求めてやってくるぞ、各地でオニの伝説が量産されることになるだろうが、俺たちの血脈が生き長らえるためには、これ以上の場所はねえ」
シャープールは豪快に笑い、アルダシールの胸を拳で小突いた。
「お前、北、行くか」
そこへ、阿多の頭領が不器用な言葉で話しかけてきた。
「頭領、私たちはヤマトの軍勢に追われる身となった、この里に長居すれば、また迷惑をかける」
アルダシールが答えると、頭領は首を横に振り、遠い北の山並みを指差した。
「違う、ヤマト、恐れるな、お前、オニ、強い、だが、お前が探す、銀色、北へ走った」
「何だと、いま、銀色と言ったのか、頭領」
アルダシールの顔色が変わった、胸の奥に眠る、激しい思慕の情が、その言葉だけで一気に呼び覚まされる。
「美しい、銀の狐、ヤマトの兵、恐れて追った、だが、狐、強くて優しい、誰も追いつけない、北の、肥後の奥、高い山の神殿へ逃げた」
「銀華、やはりこの国にいたのか、私を待ってくれているのか」
アルダシールは天を仰ぎ、言葉にならない切なさに胸を締め付けられた、何度生まれ変わってもすれ違い続ける運命だと知りながらも、その痕跡を耳にして、じっとしていられるはずがなかった。
「あなた、行きましょう、私たちはそのために海を渡ってきたのよ、あの銀色の影を追いかけるために」
メイファが夫の手を優しく握り、力強く頷いた。
「パパ、僕も行くよ、いつも僕たちを見守ってくれた、あの綺麗な狐さんに、ありがとうって言わなきゃね」
アルスもまた、頼もしい目で父親を見上げた。
「シャープール、決まりだ、私は銀華の痕跡を追い、九州を北上する、肥後の奥地を目指す」
「そうこなくっちゃな、アルダシール、お前がその神殿とやらに辿り着き、新しい姓を名乗って土着する頃には、俺が大陸から連れてきた同胞たちで、この国は賑やかになっているはずだ」
シャープールは立ち上がり、アルダシールに向かって大きな右手を差し出した。
「達者でな、西の果てからの友よ、お前たちの武勇、海を越えて広州まで届かせてくれよ、期待しているぜ」
「お前もな、シャープール、命懸けの航海、くれぐれも無事で、またいつか、この地の美味い水で茶でも飲もう」
二人の大男は、言葉にできない熱い信頼を込め、互いの腕を壊れんばかりの力で握り締め合った。
数日後、シャープールたちの商船は、阿多の隠れ港から静かに大陸へと向かって出港していった、それを見送ったアルダシール一行は、阿多の民に見守られながら、銀華の待つ北の地、肥後の山奥を目指し、鬱蒼とした原生林の中へと力強く一歩を踏み出すのであった。




