第七十七話 土蜘蛛の呪詛ごと金ピカの将を完膚なきまでにねじ伏せた結果、南端の地で最悪の風評被害となる鬼武者の伝説が幕を開ける
「五障の這い虫どもが、この国から生きて帰れると思うなよ」
鉄の仮面を失ったヤマトの将は、干からびた青白い顔を歪ませ、窪んだ両目から血のような赤光を放った。
「あァ、おい金ピカ、仮面が割れたら急に威勢が良くなりやがって、何をごちゃごちゃ言っていやがる」
シャープールが大斧の柄を肩に担ぎ直し、正面の将に向かって容赦なく痰を吐き捨てた。
「シャープール、挑発に構うな、空気が変わった。奴の足元を見ろ」
アルダシールが重厚な直剣を低く構え、一歩前に出る。
「あなた、あの男の大鎧の隙間、黒い霧の形が」
メイファが短剣を握り直して鋭く告げた。
将の背後で、大鎧の合わせ目から噴き出したどす黒い妖気が、無数の不気味な長い脚を持つ巨大な蜘蛛の姿へとうねりを上げていく。
「その血、一滴残さず我が土蜘蛛の糧としてくれよう」
「パパ、あいつのまわりの煙、すごく臭いよ。生臭くて、僕、気持ち悪い」
アルスが鼻を何度もすすりながら、不快そうに将を睨みつけた。
「アルス、私の後ろへ下がりなさい。あの黒い妖気は触れたものを腐らせるわ、決して触れては駄目よ」
メイファが息子の前に滑り込み、いつでも闇を裂いて跳べる姿勢を整える。
「無駄だ、異邦の泥犬どもよ、この地を呪い、全ての生命を食らう我が化生の前に平伏せ。死ね」
将が大きく両腕を広げると同時に、背後の土蜘蛛の影が不気味な軋み声を上げ、触れる草木を一瞬で白く枯れ果てさせながら、波濤のような黒い妖波となって一行へ押し寄せた。
「小細工ばかりだ、そんな煙で俺たちの旅路が阻まれてたまるか」
アルダシールが激しい偏頭痛に耐えながら火山灰の大地を強く蹴った。
直剣が渾身の力で振り下ろされ、刃から放たれた生々しい風圧と質量が、迫る黒い波を正面から真っ二つに叩き割る。
「な、何だと、我が化生の呪詛を、ただの剣圧で防ぎおったか」
「驚くのが早いわよ、あんたの鎧、立派だけど関節の隙間だらけ」
霧の裂け目から滑り込んだメイファの二振りの短剣が、将の大鎧の太ももと脇の下の繋ぎ目を的確に切り裂いた。
「がはっ、おのれ、不届きな女め」
「おい、俺を忘れてもらっちゃ困るぜ、金ピカさんよ」
シャープールが横から弾丸のように突進し、大斧の腹で将の側頭部を容赦なく引っ叩いた。
鈍い衝撃音が広場に響き、金色の巨躯が激しく地面を転がっていく。
「パパたちの悪口を言ったバツだ、僕、絶対に許さないんだから」
アルスの小さな身体が、地面を陥没させるほどの重低音とともに上空へと大跳躍した。
「おのれ、小童が、我をどこまで愚弄するか、潰れよ」
地面に倒れた将が、残るすべての黒い呪詛を右拳に集め、上空から迫るアルスを迎え撃とうと突き出した。
「そんなの、全然効かないよ」
アルスはただ、小さな右の拳を真っ直ぐに振り下ろした。
将の右拳に渦巻いていた土蜘蛛の呪詛は、少年の拳が触れた瞬間に、防ぐ間もなく一瞬で押し潰されて霧散した。
「馬鹿な、呪詛が、消えた」
「謝れ」
そのままアルスの拳の質量が、将の金色の胸当てへと突き進む。
バキバキと凄まじい音を立て、漆塗りの大鎧が原型を留めぬまま粉々に弾け飛んだ。
「馬鹿な、この、重さは、人間のものでは」
将の叫びは最後まで続かなかった。
胸骨ごと完全に肉体を陥没させられ、地面の岩盤を大きく陥没させながら、文字通りコテンパンに圧殺された。
将の肉体は形を保つことすら許されず、ただ、お前たちは、人ではない、鬼だ、という恐怖の叫びを遺して黒い煤へと変わった。
「やったぞ、あの小僧、本当に化け物ごと金ピカを潰しやがったな」
シャープールが呆気にとられたように大斧を構え直した。
「パパ、ママ、もう動かないよ、ちゃんと僕たちのパパとママに謝ってほしかったのに」
アルスが汚れた小さな手をズボンで拭きながら、何事もなかったかのように無邪気に笑った。
里の入り口で生き残っていたヤマトの雑兵たちが、一斉に武器を放り出して腰を抜かした。
「おい、見たか、化生様が一撃で潰されたぞ」
「人間じゃない、あの大きな男も、あの子供も、西から来た巨大な鬼だ」
「隠だ、おにだ、おにが攻めてきたぞ、早くヤマトへ報告しろ、逃げろ」
雑兵たちは互いに突き飛ばし合いながら悲鳴を上げ、夜の深い原生林の奥へと我先にと逃げ惑っていった。
「おいおい、アルダシール、聞いたか、あいつら俺たちのことを鬼だとさ、命懸けで戦って勝ったっていうのに、とんだ風評被害じゃねえか」
シャープールが逃げていく後ろ姿を見送りながら、大きな声を上げて笑った。
「ヤマト、オニ、オニ、オオオオン」
阿多の頭領が愉快そうに赤と黒の盾を叩き、アルスを軽々と肩に担ぎ上げて戦鬼たちと勝ち鬨を上げる。
「シャープール、これは笑い事ではないかもしれないぞ」
アルダシールは直剣を鞘に収めながら、ヤマトの兵たちが逃げていった暗い森の奥を静かに見つめていた。
「ああん、どういうことだ、アルダシール、勝ったんだから良いじゃねえか」
「あの者たちの目にあったのは、ただの敗北の悔しさではない、本物の、姿の見えぬ恐怖に対する怯えだった」
「あなた、彼らが言った、おに、という響き、なんだか妙に耳に残るわね」
メイファが短剣の血を拭いながら、夫の隣に寄り添って眉をひそめた。
「ああ、私たちの祖先は、かつて西の果てで巨人と呼ばれた血脈だ、この国の人間からすれば、私たちの体躯も、アルスの放つ圧倒的な質量も、すべて人の理を超えた怪物の仕業に見えるのだろう」
「なるほどな、俺たちの頑強な身体が、この島国じゃあ化け物扱いってわけか、全くいけ好かねえ連中だぜ」
シャープールが苦笑しながら、阿多の民が持ってきた大きな酒瓶を受け取った。
「お前、オニ、強い、ヤマト、倒した」
阿多の頭領がアルスを肩に乗せたまま、不器用な言葉でアルダシールの胸を叩いた。
「頭領、私たちは鬼ではない、ただ、あやつらの無礼が許せなかっただけだ」
「いや、アルダシール、もう遅いぜ、あいつらは間違いなくあの金ピカの死体を抱えてヤマトの本陣へ駆け込む、そうなれば、西から巨大な鬼の軍勢がやってきたと大騒ぎになるぞ」
シャープールが地酒を豪快に煽りながら、悪戯っぽく笑った。
「これから先、私たちの血脈は、このヤマトの地で鬼という新たな宿命を背負うことになる、どれほど正しく生きようとも、どれほど泥臭く戦おうとも、彼らは私たちを恐れ、排除しようとするだろうな」
アルダシールは自らの額を軽く押さえた。
激しい偏頭痛は完全に消え去っていたが、ヤマトの軍勢が自分たちを恐れ、鬼武者と呼び始めるという、終わりのない新たな闘争の歴史の幕開けを、その遺伝子に焼き付いた記憶が確かに予感していた。




