日出ずる国の南端に上陸したら、朝廷に従わない最強の盾持ち一族と秒で一触即発の事態になったんだが?
切り立った漆黒の岩肌が、まるで巨大な怪物の顎のように海へと突き出している。その狭間に隠された、火山灰の混ざる黒い砂浜の広がる入江へと、波斯の商船はゆっくりと滑り込んでいった。
周囲には、長安や広州の港にあったような華やかな活気は一切ない。漂ってくるのは、かすかな硫黄の匂いと、人を寄せ付けない大自然の圧倒的な拒絶の気配だけであった。総員が息を潜める中、巨大な船体が静かに砂地へと接岸する。
「ここが薩摩の隠れ港だ。朝廷の役人どもは、この険しい岩礁を恐れて滅多に近づかねえ」
船長のシャープールが舵から手を離し、額の汗を拭いながら低く呟いた。
アルダシールは船の甲板から、その見知らぬ異国の砂浜をじっと見下ろした。背後では、メイファが我が子であるアルスの衣服を整えながら、周囲の警戒を怠らない。彼らの圧倒的な体躯は、ただ佇んでいるだけで船上にただならぬ威風をもたらしていた。
船から降ろされた踏み板を渡り、一行がその黒い砂を踏み締めた瞬間であった。
「止まれ」
言葉こそ分からなかったが、明確な拒絶の意志を孕んだ地鳴りのような叫びが、岩陰から響き渡った。
次の瞬間、黒い岩肌の隙間から、音もなく無数の人影が姿を現した。彼らは一様に、大和の朝廷が用いる洗練された甲冑とは程遠い、独特の幾何学的な文様が刺繍された衣服を纏っていた。衣服の端々には獣の皮や鳥の羽が配され、どこか大陸の辺境を思わせる異質さを放っている。
だが、何よりもアルダシールたちの目を引いたのは、彼らが左腕に構えている大きな木盾であった。それは中央が膨らんだ特異な形状をしており、表面には赤と黒の漆を用いて、奇怪な渦巻きや鋭い直線が交差する禍々しい文様が描かれている。
「あなた、あの盾の文様を見て」
メイファの声が、恐怖とは異なる強い衝撃によって激しく震えた。
彼女の視線の先にある盾の幾何学文様。それは、かつて彼らが大陸の遥か西の山奥、雲南の地で影喰の一味に追い詰められた際、あの地底の遺構の壁や、敵の暗殺者たちが身に宿していた呪詛の紋章と、驚くほど酷似していた。
「偶然ではあるまい。海の向こうのこの辺境の地にまで、あの呪われた鎖が繋がっているというのか」
アルダシールは苦々しく奥歯を噛み締めた。この世界は作り物などではない。地続きの過酷な現実が、千年以上の時を超えて彼らの血脈を絡め取ろうとしているのだ。その宿命の不気味さに、大男の背筋に冷たい戦慄が走る。
しかし、感傷に浸る時間は一瞬たりとも与えられなかった。
立ち死に立ち塞がる異国の戦士たち、すなわち隼人の一族から放たれる殺気は、これまで対峙してきた安禄山の猟犬たちとも、地底の怪物たちとも完全に異なっていた。
彼らの瞳には、恐怖という感情が一切存在しなかった。それどころか、見たこともない大男や異国の巨大な船を目の当たりにしながら、ただ純粋な闘争への渇望だけでその身を震わせている。命を捨てることを名誉とさえ思わぬ、ただ戦うことそのものに飢え果てた、剥き出しの狂戦士の気配であった。彼らは言葉を交わすこともなく、錆びついた不気味な曲刀を抜き放ち、あるいは大弓の弦を限界まで引き絞りながら、狂ったような笑みを浮かべて距離を詰めてくる。
「シャープール、下がれ。こいつらは話が通じる相手ではない」
アルダシールは腰の直剣の柄に手をかけ、一歩前に出た。目の前の戦士たちは、一触即発という言葉すら生ぬるい、触れた瞬間に肉飛沫が飛び散る肉弾戦を望んでいる。防衛のための戦いではなく、死を恐れぬ狂気の群れを相手にするのだ。張り詰めた空気が、入江の風を凝固させる。
その時、張り詰めた殺気の真ん中へ、小さな影が平然と歩み出た。
「ねえ、おじさんたち。その盾、とってもかっこいいね。赤と黒のぐるぐる、どうやって描いたの」
七歳のアルスであった。少年は、引き絞られた無数の矢の先端が自分に向けられていることなど、まるで気にも留めていない様子で、無邪気に首を傾げ了った。
「アルス、戻りなさい」
メイファが声を潜めて叫んだが、アルスは止まらなかった。
少年がさらに一歩、黒い砂を踏み締めた瞬間であった。アルスの小さな身体から、周囲の空気を歪めるほどの圧倒的な質量が、目に見えぬ波動となって周囲へと放射された。それは彼の内に眠る、黒海周辺の巨人族の生々しい覇気であった。
その圧倒的な圧力の波動が砂浜を駆け抜けた瞬間、狂戦士たちの動きが完全に止まった。
引き絞られていた弓の手が微かに震え、狂った笑みを浮かべていた男たちの眼光が、驚愕へと塗り替えられる。彼らの野生の本能は、目の前にいる小柄な少年が、自分たちを遥かに凌駕する真の怪物であることを瞬時に理解したのだ。
戦士たちの中心から、一人の筋骨逞しい男がゆっくりと歩み出てきた。衣服の装飾からして、この一団の頭領であろう。
頭領はアルスの前に立ち止まると、その鋭い眼光で少年の全身を凝視した。そして、じわじわと、その顔に狂気混じりの獰猛な笑みが戻っていく。真の強者を前にして、彼の狂戦士としての血が、これまでにない歓喜に震えているようだった。
頭領は構えていた曲刀を静かに鞘へと収めると、胸の前で独自の拳礼を組んだ。言葉は通じずとも、そこには明確な敬意と、新たなる闘争への予感が満ち満ちていた。
「どうやら、ただの歓迎では済まないようだな」
アルダシールは剣の柄から静かに手を離したが、その瞳の奥の警戒は毛頭消えていなかった。雲南の地から繋がる幾何学の文様、実戦を渇望する狂戦士たちとの遭遇。未知なる日出ずる国の旅路は、上陸の瞬間から、彼らの命脈を激しく揺さぶり始めていた。




