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アルダシールと銀華~千年の時空を駆ける鬼と狐の恋物語  作者: 秋津ネオ


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活気と陰謀が渦巻く広州の港で波斯の商船を捜す俺たちと、静かに忍び寄る影喰一味の冷ややかな視線

 

 広州の街を貫く大通りは、踏み締める石畳が見えぬほどの人波で埋め尽くされていた。


 頭上を飛び交うのは、大陸南方の甲高い言葉や、西域の異国なまり、さらには海の向こうから来たであろう聞いたこともない言語の数々である。


「パパ、あそこの露店で売ってる赤い果物、すごく不思議な形をしてるよ」


 アルスがアルダシールの服の裾を引っ張りながら、目を輝かせて果物売りを指差した。


「あれは茘枝という果実だ。美味だが、今は寄り道をしている暇はないぞ、アルス」


 アルダシールは息子の小さな頭に手を置き、周囲の雑踏へと鋭い視線を走らせた。


「分かっているよ、パパ。僕、ちゃんと静かにしてる。あのおじさんが運んでる大きな荷物、僕なら片手で持てるけど、手伝ったら目立っちゃうもんね」


 アルスはいたずらっぽく笑い、自分の小さな拳を握ってみせた。


「そうよ、アルス。あなたの一突きは、この頑丈な石壁さえ簡単に打ち砕いてしまうのだから。ここでは普通の大人しい男の子でいて頂戴ね」


 メイファが布を被った頭を少し下げ、息子の耳元で優しく囁いた。


「はーい、ママ。でも、もし悪い奴らがパパやママを襲ってきたら、そのときは僕、我慢しなくていいんだよね」


「そのときは、お前の大いなる力で一気に踏み潰して構わん。だが、それまでは牙を隠しておくのだぞ」


 アルダシールはそう告げながら、自然な動作で腰の剣の位置を確かめた。


 衣服の下に隠した波斯の直剣は、いつでも抜き放てる状態にある。


 三人は旅の商人を装いながら、潮の匂いが次第に濃くなっていく南へと向かって歩みを進めた。


 通りを抜けると、目の前に目も眩むような広大な海と、無数の帆柱が林立する広州の港が広がった。


 波飛沫が陽光を浴びてきらきらと輝き、巨大な木造船が何隻も岸壁に横付けされている。


 港では、肌を黒く焼いた男たちが大声を掛け合いながら、香料や織物が詰まった重い木箱を次々と運び出していた。


「あなた、懐かしい匂いがするわね」


 メイファが大きく息を吸い込み、潮風に目を細めた。


「ああ。この香料の香りは、間違いなく我が故郷、波斯の商船が運んできたものだ」


 アルダシールの胸に、遠い異郷の記憶が呼び覚まされる。


 西の果てより流れる血脈の源流たるあの美しき国は、今や遠い幻影のようであった。


「パパ、あっちにすごく大きな船があるよ。あの船に乗れば、東の果ての国に行けるの」


 アルスが岸壁の最奥に停泊している、三本マストの重厚な船を指差した。


「そのはずだ。あの船の舳先を見ろ。波斯の伝統的な飾りが施されている。あの船の船長と交渉し、密航の許可を取り付ける」


「うまくいくと良いけれど。あの船の周り、少し様子が変じゃないかしら」


 メイファの言葉に、アルダシールは即座に眉をひそめた。


 言われてみれば、波斯の商船の周囲だけ、荷役の男たちの動きが酷くぎこちない。


「パパ、僕、あそこの物陰に隠れてる人たちの視線がチクチクして痛いよ」


 アルスが低く喉を鳴らし、港の片隅にある倉庫の影を睨みつけた。


「アルス、気づいたか。やはりな。安禄山の放った影喰一味の猟犬どもだ。俺たちが港へ現れるのを、最初から待ち伏せていたのだろう」


 アルダシールは表情を変えぬまま、歩調を緩めることなく目的地へと向かった。


「どうするの、あなた。このまま船に近づけば、港全体が戦場になってしまうわ」


「構わん。敵に囲まれる前に、こちらから仕掛ける。メイファ、お前はアルスと共に左側の荷物の影へ回れ。俺が正面の注意を引く」


「分かったわ。アルス、パパの合図があるまで、絶対に飛び出しては駄目よ」


「うん、ママ。僕、じっと息を潜めてる」


 アルスは小さな体を縮め、メイファと共に音もなく雑雑とした荷物の山へと滑り込んだ。


 一人残されたアルダシールは、わざと無防備を装いながら、波斯の商船へと続く一本道を堂々と歩いた。


 周囲の喧騒が、なぜか遠のいていくような奇妙な錯覚に囚われる。


 不意に、正面の倉庫から、灰色の衣を纏った男たちが次々と姿を現した。


 彼らの顔は布で覆われており、その瞳には冷徹な殺意だけが宿っている。


「波斯の遺児よ、ついに網にかかったな。安禄山様の手からは、地の果てまで逃れることはできぬ」


 先頭の男が、低く濁った声でアルダシールを威嚇した。


「安禄山の猟犬が、大層な口を利く。この港を血で染めたいのなら、望み通りにしてやるぞ」


 アルダシールは静かに右手を衣服の内側へと滑り込ませた。


「笑止。お前がどれほどの剣手であれ、この港はすでに我ら影喰一味の領域。お前の呪われた命脈も、ここで完全に途絶えるのだ」


 男の合図とともに、左右の建物の屋根からも、弓を構えた刺客たちが姿を現す。


 一触即発の緊張感が、港の重い空気の中に満ちていった。


 「パパ、もう我慢しなくていい」


 荷物の影から、アルスの小さな、しかし力強い声が響いた。


「ああ、アルス、メイファ、やれ」


 アルダシールの叫びと同時に、港の静寂は完全に打ち砕かれた。


 アルスが地面を蹴った衝撃で、背後にあった巨大な木箱が粉々に吹き飛ぶ。


「いくよ、悪い奴ら」


 七歳の少年は、突風のような速さで屋根の上の弓兵へと向かって跳躍した。


 その驚異的な跳躍力は、まさに巨人族の血筋そのものであり、一瞬で刺客たちの頭上へと達する。


「な、何だあのガキは」


 屋根の上の男たちが驚愕の声を上げる暇もなく、アルスの小さな拳が容赦なく叩きつけられた。


 ドゴォンという凄まじい破壊音が響き、城壁の一部かと見紛うほどの頑丈な建物の屋根が、一撃で崩落していく。


「ぎゃあっ」


 刺客たちは瓦礫と共に真っ逆さまに地面へと叩きつけられ、一瞬で行動作戦能力を失った。


「よし、次は俺の番だ」


 アルダシールは衣服の下から波斯の直剣を抜き放ち、正面の男たちへと突進した。


 刃が鋭い風切り音を立てて閃き、先頭の男の湾刀を真っ向から撥ね飛ばす。


「この力、まさか地底の狗どもを全滅させたというのは本当か」


 男が恐怖に顔を引き攣らせて後退しようとするが、アルダシールの追撃は容赦がなかった。


「そうだ。お前たちの主が仕組んだこの盤上の遊戯、ここで全て覆してやる」


 アルダシールの一閃が男の胸元を深く切り裂き、鮮血が石畳の上に飛び散った。


 一方、メイファもまた、短剣を両手に持って影から影へと素早く移動し、アルダシールの死角から迫る敵を確実に仕留めていた。


「あなた、後ろからまだ来るわ」


 メイファが叫びながら、一人の刺客の喉元を鋭く突き抜く。


「パパ、ママ、こっちの奴らは僕が引き受けるよ」


 アルスは地面に着地すると同時に、近くにあった大人が十人がかりでも動かせないような巨大な鉄の錨を、両手で軽々と持ち上げた。


「えい」


 無邪気な掛け声と共に放たれた鉄の錨は、凄まじい質量兵器となって迫り来る刺客たちの集団へと投げつけられた。


 突進してきた影喰一味の男たちは、その圧倒的な質量の前になす術もなく、まとめて薙ぎ倒されていく。


 港の一角は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌していった。


 「化け物め、これでは拉ちがあかぬ。波斯の船を燃やせ。奴らの退路を断て」


 生き残った刺客の首領が、狂乱状態で叫び声を上げた。


 男たちの数人が、火のついた矢を波斯の商船に向けて放とうと弓を引き絞る。


「させるか」


 アルダシールは地を強く踏み締め、刃を構えて突撃した。


 だが、距離がある。火矢が放たれる方が早い。


「パパ、大丈夫だよ」


 アルスが叫ぶと同時に、再び地面を大きく蹴り上げた。


 少年は火矢を構えた男たちの真ん中へと割り込み、その圧倒的な怪力で地面の石畳を素手で捲り上げた。


 巨大な石の壁が盾のように立ち上がり、放たれた火矢を全て弾き返す。


「僕がいる限り、パパたちの邪魔はさせないんだから」


 アルスは胸を張り、不敵な笑みを浮かべた。


「見事だ、アルス。これで終わりだ、影喰一味の猟犬どもめ」


 アルダシールは一気に距離を詰め、火矢を失って狼狽する残党を次々と斬り伏せた。


 最後のひとりが地面に倒れ伏したとき、港を包んでいた激しい騒乱の音は消え去り、ただ激しい波の音だけが周囲に響き渡っていた。


 「ふぅ、今回の奴らも、あんまり強くなかったね」


 アルスは衣服についた埃を払いながら、何事もなかったかのようにパパの元へと駆け寄った。


「お前のその力には、何度救われても驚かされるな。怪我はないか、アルス」


 アルダシールは剣を鞘に収め、愛息の体を抱き上げてその無事を確認した。


「うん、どこも痛くないよ。ママも大丈夫」


「ええ、私は無事よ。でも、こんなに騒ぎを起こしてしまったわ。船の人たちが驚いていなければ良いけれど」


 メイファが心配そうに、すぐ目の前にある波斯の商船を見上げた。


 船の甲板からは、多くの乗組員たちが驚愕の面持ちで、石畳を破壊し尽くした七歳の少年と、その両親を見つめていた。


「案ずるな。我が故郷の同胞たちだ。この事態を見れば、俺たちが何者であるか、すぐに察しがつくはずだ」


 アルダシールはアルスを地面に降ろし、妻の手を引いて船のタラップへと歩みを進めた。


「さあ、いよいよ海を渡るぞ。東の果ての国、遥か未来の約束の地へ、俺たちの命脈を繋ぐために」


 三人は力強い足取りで船へと乗り込み、激動の大陸に別れを告げる準備を始めるのだった。


 安禄山の呪詛の手が、海の向こうまで伸びているとも知らずに、彼らは新たな希望の航路へと進んでいく。


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