突厥の首領をパパと共に叩き潰す僕の拳
目の前で巻き起こった奇妙な術の性質が、アルダシールには直感的に分かっているようだった。
光と大気の密度を歪めて生み出された無数の幻影が、暗き地底の谷を瞬く間に埋め尽くしていく。
「よし、もらった」
アルダシールは残像に背を向けて戸惑う刺客たちの背後へと回り込み、流れるような剣捌きで二人の首を瞬時に撥ね飛ばした。
鮮血が闇に舞うが、それさえも案内人の放つ奇妙な光に妖しく照らし出される。
「案内人、これはあんたの国の妖術か。俺の姿をした幽霊が、そこら中で剣を構えて敵を惑わせているぞ」
アルダシールは興奮を隠せぬまま、次の獲物を求めて地を蹴った。
「妖術などと人聞きの悪い。私はただ、彼らの眼の錯覚を誘うように光の通り道を変えただけです。さあ、惑う狗たちを早く片付けなされ。この道具も、いつまで大気を維持できるか分かりませぬからな」
案内人は杖を支えにしながら、楽しそうに戦況を見つめている。
「パパ、こっちの奴らは僕が引き受けるからね」
アルスの小さな体が、残像の隙間を縫うようにして躍り出た。
七歳の少年は、狼狽する刺客の一人の懐へと一瞬で潜り込み、その重い腰に小さな手の平を当てた。
「おらぁ」
無邪気な掛け声と共に放たれた一撃は、巨人族の怪力そのものであった。
刺客の巨体は凄まじい勢いで上空へと吹き飛び、地底の天井にある鍾乳石に激突して、そのまま砕け散った。
合図を交わす暇もなく、アルスは次の標的へと突進していく。
「これは天の眼が我らに下した試練か。この怪異の主を仕留めよ」
我を取り戻した刺客の首領が、残像の群れを無視して真っ直ぐ案内人へと突進してきた。
その手には、毒が塗られたと思しき黒い細剣が握られている。
「案内人、危ない。そいつの狙いはあんただ」
メイファが叫び、身を挺して案内人の前に立とうとした。
「メイファ、下がるんだ。そいつは俺が殺る」
アルダシールが叫ぶよりも早く、首領の刃が空を裂いた。
しかし、その刃が案内人の胸に届く直前、案内人の姿もまた陽炎のように揺らぎ、消え去った。
「な、何だと。老人の姿までもが偽物か」
「私は初めから、ここにはおりませんよ」
首領のすぐ耳元で、案内人の冷ややかな声が響いた。
驚愕して振り返ろうとした首領の視界に、本物のアルダシールの剣が迫る。
「パパ、あいつの右腕は僕が止める」
背後から飛び出してきたアルスが、首領が必死に構え直しようとした細剣を、素手でガシィと掴み取った。
「な、何という硬さだ。子供の手ではない」
首領が驚愕に目を見開いた瞬間、アルスはその剛腕で細剣を粉々にねじ切った。
「終わりだ、大国の人形め。俺たちの行く手を阻んだことを、あの世で後悔するがいい」
アルダシールの渾身の縦一閃が、武器を失って立ち尽くす突厥の首領の身体を、脳天から真っ二つに叩き割った。
激しい血飛沫が岩肌を濡らし、首領の巨体がどさりと崩れ落ちる。
「首領が、首領が討たれたぞ」
残された数人の刺客たちは、指揮官を失い、さらに無数に増殖し続けるアルダシールの残像に完全に包囲され、戦意を喪失しかけていた。
「あなた、今なら上の道へ登れるわ。案内人が作った足場が、光に照らされてはっきり見える」
メイファが上方の一角を指差した。
案内人の放つ奇妙な青い光の残滓が、暗闇の中に埋もれていた崩落した岩の隙間を白日の下に晒していた。
「よくやった、メイファ。案内人、術を解くなよ。このまま一気にこの奈落を駆け上がるぞ」
「お任せを。ですが、追手はこれだけではありますまい。急ぎましょう」
案内人が杖を引くと、十数人のアルダシールの残像が一斉に動き出し、残された刺客たちに向かって突撃を敢行する動きを見せた。
刺客たちが恐怖に駆られて一歩退いたその隙に、本物のアルダシールはメイファの腰を強く抱き寄せた。
「パパ、ママ、僕が先頭を走るよ。僕についてきて」
アルスは力強く地面を蹴り、崩れた岩肌を俊敏に駆け上がり始めた。
七歳とは思えぬその確かな足取りが、暗黒の谷底に確かな希望の道を刻んでいく。
しかし、上層への道は一筋縄ではいかなかった。
行く手を遮るように、天井から崩落したと思われる巨大な一枚岩が、完全に通路を塞いでいたのだ。
「くそ、これでは上がれん。引き返すか」
アルダシールが眉をひそめた瞬間、アルスがその岩の前に歩み出た。
「パパ、これくらいなら僕に任せて」
アルスは小さな両手を岩の底へと差し込むと、顔を真っ赤にして息を吐き出した。
背中にかすかに浮かび上がるのは、巨人族の紋章の輝きか。
ズズズ、と地響きを立てて、大人が数十人がかりでも動かせないはずの巨岩が、じわりと持ち上がっていく。
「おおお、どいてよ」
アルスが魂の底から声を絞り出すと、その巨岩は軽々と頭上まで掲げられ、そのまま通路の奥へと投げ飛ばされた。
ゴロゴロと凄まじい音を立てて岩が転がり、道を塞ごうとしていた突厥の残党たちをまとめて押し潰していく。
「なんて力だ。アルス、お前は本当に頼りになるな」
アルダシールは驚嘆しながらも、息子の頭を激しく撫で回した。
「本当にね。でも、怪我はしていない、アルス」
メイファが心配そうに息子の体を確かめる。
「うん、ママ、僕、全然平気だよ。さあ、早く行こう」
アルスは自慢げに胸を張り、再びパパとママの手を引いて走り出した。
「あなた、絶対に手を離さないで」
「分かっている。この命が果てるまで、お前たちを離しはしない」
アルダシールは妻の細い手を強く握り締め、己の内に流れる西の果てより流れる血脈の宿命を改めて胸に刻んだ。
背後からは、未だに幻影と戦い続ける突厥の狗たちの虚しい剣撃の音が、遠く低く響いていた。
地底の闇を切り裂く案内人の超科学の技と、我が子アルスの目覚めし怪力によって、一行は最大の窮地を脱し、次なる階層へと足を踏み入れるのだった。
まだ見ぬ東の果ての国、遥か未来の約束の地へと至る旅路は、彼らの熱き絆と共に、どこまでも続いていく。




