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アルダシールと銀華~千年の時空を駆ける鬼と狐の恋物語  作者: 秋津ネオ


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地底の断絶に迫る突厥の冷徹なる暗殺部隊と、パパとママを守るため七歳の僕が振るう巨人族の拳

 静寂が戻った闇の中で、突如として冷たい風が吹き抜けた。


 雲南の地底、奈落の底とも言える断絶の谷に、地上からは決して届かぬはずの凍てつくような気配が満ちていく。


「あなた、今の光の残りじゃないわ。この冷気、血の臭いが混じっている」


 メイファが鋭く声を潜め、隣に立つアルスの小さな手をしっかりと握り締めながら、アルダシールの袖を強く引いた。


「ああ、分かっている。奴らは余韻に浸る時間すら惜しいらしいな」


 アルダシールは右腕の微熱を感じながら、腰の剣の柄に指をかけた。


「気配がありません。足音を完全に消している。ただの賊ではありませぬぞ」


 案内人である白い鱗の幹部が、杖を構えて周囲の闇を油断なく見据える。


「案内人、奴らの正体に心当たりがあるのか」


「唐の北方に君臨する強大な遊牧国家、突厥から放たれた影の軍勢に相違ありません。異質な血脈を根絶やしにするためだけに動く人形です」


「突厥か。遥か北方の草原から、わざわざこの地底の底まで俺の首を狩りに来たか」


 アルダシールが鼻で笑った瞬間、頭上から鋭い風切り音が迫った。


「危ない」


 メイファの叫びと同時に、アルダシールは彼女とアルスを庇うようにして身を挺した。


 刹那、彼らがいた岩肌に、氷のように冷たく研ぎ澄まされた数条の投刃が突き刺さる。


 火花が散り、闇の中に一瞬だけ鋼の輝きが浮かび上がった。


「動くな。包囲は既に完了している」


 闇の奥から、感情を一切削ぎ落とした氷壁のような声が響いた。


 どこから聞こえるのか判別がつかない。多重に重なる不気味な声だった。


「姿を見せたらどうだ、突厥の狗ども。闇に隠れて刃を投げるのがお前らの挨拶か」


 アルダシールは剣を引き抜き、あえて大声で挑発を返した。


「我らに名はない。我らはただ、天地の理を乱す血脈を消し去るだけの道具。白狐の光に導かれてここまで下ってきたが、やはりここに呪われた苗床がいたか」


「呪われただと。俺の血が、この右腕の紋章が、お前たちの主にとってそれほど都合が悪いのか」


「その通りだ。お前の存在そのものが、この世界の均整を崩す歪みである。その女も、その傍らに立つ幼子も、等しくここで無に帰さねばならぬ」


「ふざけないで。パパもママも、絶対に死なせないんだから」


 それまで静かに敵の気配を測っていたアルスが、小さな拳を握りしめて一歩前に出た。


「アルス、下がっていなさい」


 メイファが慌てて制止しようとしたが、七歳の少年の瞳には、すでに巨人族の血筋たる獰猛な光が宿っていた。


「ママ、大丈夫だよ。五歳のときに雲南の暗闇で影喰一味をめちゃくちゃに叩きのめしたときより、今の僕、もっと強いんだから」


「よく言った。だが油断はするなよ、アルス」


 アルダシールは息子の頼もしい背中を見つめ、不敵に笑った。


「愚かな。子供を戦場に立たせ

るとは、西の果てより流れる血脈も地に落ちたな」


 冷徹な声と共に、三人の刺客が闇から躍り出た。


 彼らは一様に漆黒の外套を纏い、顔を不気味な布で覆っている。


「言っておくけど、不意打ちなんて僕には通用しないよ」


 アルスは叫ぶと同時に、凄まじい脚力で岩盤を蹴り上げた。

 ドゴォンという地響きが轟き、足元の頑丈な岩が粉々に砕け散る。


 弾丸のような速さで突撃したアルスは、正面から迫る刺客の湾刀を、剥き出しの小さな両手で真正面から受け止めた。


 パキンと、乾いた音を立てて鋼の刃が中央から真っ二つにへし折れる。


「な、何という剛力。これが子供の力か」


 刺客が驚愕に目を剥いた瞬間、アルスの小さな拳が男の腹部へと叩き込まれた。


 凄まじい衝撃波が狭い谷底に吹き荒れ、男の体は紙屑のように吹き飛ぶと、遥か遠くの岩壁に激突してそのまま動かなくなった。


「一人目」


 アルスは無邪気に微笑みながら、残る二人の刺客を睨みつけた。


「化け物め。だが、我らは退かぬ」


 残された刺客の一人がアルスへ飛びかかるが、その死角を突こうとしたもう一人に向かって、アルダシールの直剣が猛然と襲いかかった。


 ガキィンと激しい金属音が反響する。


「速い。だが、重さが足りないな」

 アルダシールは一撃で刺客の太刀を受け止め、そのまま力任せに押し返した。


「驚くのはまだ早いぞ。俺たちの執念を、その身に刻んであの世へ持ち帰るがいい」


 反転したアルダシールの剣が、闇を裂いて一人の刺客の胸元を正確に捉えた。


 鮮血が飛び散るが、斬られた刺客は悲鳴一つ上げず、そのまま相打ちを狙って刃を突き出してきた。


「なっ、命を惜しまぬというのか」


「我らは道具。任務の完遂こそがすべて」


「あなた、右。右からもう一人が迫っています」


 メイファの的確な警告が響く。

 アルダシールは即座に身を翻し、襲い来る刃を剣の腹で受け流した。


 火花が暗闇を赤く染め、刺客の無機質な目が一瞬だけ照らされる。


「メイファ、助かった。案内人、後ろはどうだ」


「分かっております。ですが、後ろの退路にもすでに別の影が回っています。挟み撃ちですぞ」


 案内人の杖が鈍い音を立てて岩を叩く。


 彼もまた、背後から迫る別の刺客と対峙せざるを得なくなっていた。


「逃げ場などない。この地底の断絶こそが、お前たちの墓標となる」

 闇の奥から、さらに多くの足音が近づいてくる。


 一人倒しても、十人がその跡を埋めるかのような、圧倒的な組織の力がそこにあった。


「パパ、後ろの奴らは僕がまとめて片付けてあげるよ」


 アルスはそう言うと、近くにあった大人が数人がかりでも動かせないような巨大な落盤の巨石を、両手で軽々と持ち上げた。


「えい」


 少年の掛け声と共に放たれた巨石は、凄まじい質量兵器となって、後方から迫る刺客たちの集団へと投げつけられた。


 突進してきた突厥の狗たちは、その圧倒的な質量の前になす術もなく、まとめて押し潰されていく。


「見事だ、アルス。俺たちも負けていられぬな」


 アルダシールは剣を構え直し、呼吸を整えた。

 右腕の紋章が、再び激しく脈打ち始める。

 それは痛みを伴うものではなく、彼の全身に未知の活力を注ぎ込むかのような熱さだった。


「メイファ、アルスの援護に回れ。俺の背中は任せたぞ」


「はい、私はあなたたちを信じます。どこまでも、この命が尽きるまで共に行きます」


 二人の視線が交錯する。

 言葉は少なかったが、その胸に宿る絆は、刺客たちの冷徹な刃よりも遥かに強固だった。


「総員、排除を開始せよ」


 冷酷なる命令が下ると同時に、無数の黒い影が一斉に襲いかかってきた。


「させるか。これ以上、俺の大切なものを奪わせはしない」


 アルダシールの咆哮が闇を切り裂く。

 彼の剣は円弧を描き、襲いかかる影を次々と弾き飛ばした。


「一人防いでも無駄だ。次が来る」


 刺客の声はどこまでも平坦で、仲間が倒れても動揺の欠片もない。


「なら、全員叩き伏せるまでだ」


 アルダシールの刃が、闇の中で新たな火花を散らす。


「あなた、上からも来ます」

 メイファが叫び、短刀を頭上に突き出した。


 小さな金属音が響き、不意を突こうとした刺客の刃を辛うじて逸らす。


「よくやった、メイファ。これで死角はなくなった」


 アルダシールはその隙を逃さず、頭上の影を横一線に一刀両断した。


「案内人、上への道を開くぞ。俺に続け」


「承知いたしました。この老骨、最後までお付き合いいたしましょう」


 案内人が杖で岩を突き崩し、足場を作る。


「行くぞ、突厥の人形ども。俺たちの命、そう簡単に摘み取れると思うな」


 アルダシールはメイファの手を引き、アルスの突撃によって開かれた僅かな隙間へと向かって果敢に躍り出た。


 地底の最下層、絶望的な暗闇の中で、家族の命を守るための壮絶な死闘が、本格的に幕を開けた。


「無駄な抵抗を。包囲網はすでにこの谷全体に敷かれている」


 刺客の言葉通り、進む先々の岩陰から新たな影が次々と這い出てくる。


「パパ、前方に三人。真ん中の大きい奴は僕が殴り倒すよ」


「よし、左右は俺とメイファで仕留める。アルス、突っ込め」


 アルスの小さな体が風を切り、中央の敵の防陣を真っ向から粉砕する。


 宿命の熱が彼らの限界を超えた動きを可能にしていた。


「案内人、足元が崩れる。メイファの手を引いてくれ」


「合点承知。さあ、メイファ殿、こちらへ。アルダシール殿とアルス殿の背中を信じるのです」


「分かっています。あなた、アルス、絶対に死なないで」


「当たり前だ。俺たちはまだ、お前を連れて東の果てへ行かねばならないのだからな」


「うん、僕もパパとママと一緒に、海の向こうへ行くんだから」


 激突の音が奈落の底に響き渡り、火花が夜の闇を幾度も引き裂いた。

 突厥の冷徹なる意志と、一人の男、そしてその血脈を継ぐ怪力の少年の熱き執念。


 そのどちらが勝るのか、戦いはさらにその激しさを増していくのだった。

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